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「太平記」武蔵野合戦の事(その8)

将軍石浜を打ち渡り給ひける時は、已に腹を切らんとて、よろひ上帯うはおび切つて投げ捨て高紐たかひぼを放さんとし給ひけるを、近習きんじふさぶらひども二十にじふ余騎かへし合はせて、追つくる敵の河中まで渡し懸けたると、引つ組み引つ組み討ち死にしけるその間に、将軍きふを遁れて向かうの岸に駆け上り給ふ。落ち行く敵は三万余騎、追つ懸くる敵は五百余騎、河の向かうの岸高くして、屏風びやうぶを立てたるが如くなるに、数万騎の敵返し合はせて、ここを先途と支へたり。日已にとりの下がりに成つて河の淵瀬も不見分、新田武蔵のかみ義宗よしむね続ひて渡すに不及、迹より続く御方はなし。安からぬ者かなと牙をみて本陣へと引つ返さる。また将軍の御運の強き所なり。




将軍(足利尊氏)が石浜(現東京都福生市牛浜?)を打ち渡る時には、すでに腹を切ろうと、鎧の上帯([鎧・腹巻・胴丸の類の胴先につける帯。ひもや布帯を用いる])を切って投げ捨て高紐([鎧の胴の綿上わたがみと胸板とをつなぐ紐])を外そうとしていましたが、近習の侍どもが二十余騎返し合わせて、追いかける敵が川中まで渡しかけたのと、引っ組み引っ組み討ち死にするその間に、将軍は急を遁れて向こう岸に駆け上りました。落ち行く敵は三万余騎、追いかける敵は五百余騎、川向こうの岸は高く、屏風を立てたようでした、数万騎の敵が返し合わせて、ここを先途と支えました。日はすでに酉([午後六時頃])の下がりになって川の淵瀬も見分けが付きませんでしたので、新田武蔵守義宗(新田義宗。新田義貞の三男)は続いて渡ることもできず、後に続く味方もいませんでした。無念なことよと歯嚙み([歯ぎしり])して本陣へと引き返しました。将軍の運の強さでした。


続く


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by santalab | 2017-05-03 08:29 | 太平記 | Comments(0)

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