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「太平記」北山殿謀反の事(その11)

硯の水に泪落ちて、薄墨の文字定かならず、見る心地さへ消えぬべきに、これを今際いまはの形見とも、泪と共に留め給へば、北の御方はいとど悲しみを被副て中々言の葉もなければ、ただ顔をも不擡泣き給ふ。去るほどに追つ立ての官人くわんにん来たつて、「今夜先づ伯耆はうきかみ長年ながとしが方へ渡し奉てあかつき配所へ可奉下」とまうしければ、やがて物騒がしく成つて、北の方もあたりへ立ち隠れ給ひぬ。さてもなほ今より後の御有様如何がと心苦しく思えて、透垣すいがきの中に立ち紛れて見給へば、大納言殿を請け取りまゐらせんとて、長年物の具したる者ども二三百人召し具して、庭上ていじやう並居なみゐたり。余りに夜の深けさふらひぬると急ぎければ、大納言殿縄取なはとりに引かへられて中門へ出で給ふ。その有様を見給ひける北の御方の心のうちたとへて云はん方もなし。




硯の水に涙が落ちて、薄墨の文字ははっきりとせず、見る心地さえ消えてしまうかと思いながらも、これが今際の形見ともなるかと、涙とともに心に留めて、北の方はいっそう悲しみを添えて言葉も出ず、ただ顔を伏せてただ泣いていました。やがて追い立ての官人が来て、「今夜まず伯耆守長年(名和長年)の方に渡して暁に配所へ下されよ」と申したので、たちまち物騒がしくなって、北の方もあたりに姿を隠しました。さてもなおこれからどうなることかと心苦しく思われて、透垣([板または竹で、間を透かして作った垣根])の中に立ち紛れて見ていると、大納言殿(西園寺公宗きんむね)を請け取り参らせようと、長年は物の具([武具])で身を固めた者どもを二三百人召し具して、庭上に立ち並んでいました。あまりに夜が更けたと急がせたので、大納言殿は縄取り([罪人を縛った縄の端を持って、 逃げないように警護すること。また、その役])に引かれて中門に出ました。その有様を見ていた北の方の心の内は、喩えようもありませんでした。


続く


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by santalab | 2017-05-08 07:16 | 太平記 | Comments(0)

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