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「太平記」鎌倉合戦の事(その3)

鎌倉勢は只今三浦より打ち帰つて、未だ馬の鞍をもろさず鎧の上帯うはおびをも解かぬほどなれば、若宮小路わかみやこうぢへ打ち出でて、ただ一所に控へたり。小俣をまた小輔次郎をば、今日の軍奉行と今朝より被定たりければ、手勢七十三騎選つて、敵の叢立むらだつて控へたる中へつと懸け入り、火を散らして切り乱す。三浦・葦名あしな二階堂にかいだうつはものども、案内は知つたり、人馬は未だ疲れず、ここのやつかしこの小路こうぢより、どつとをめいては懸け入り、さつと懸けつては裏へ抜け、谷々やつやつ小路小路に入り乱れてぞ戦ひたる。兵衛ひやうゑすけ義興よしおきは、浜面の在家のはづれにて、敵三騎切つて落とし、大勢の中をつと懸け抜けける処にて、小手の手覆たおほひを切り流さるる太刀にて手綱たづなの曲がりをづんと切られて、弓手ゆんで片手綱かたたづな土に下がり馬の足に蹈まれけるを、太刀をば左の脇に挟み、あぶみの鼻に落ち下がり、左右の手縄たづなを取り合はせて結ばれけるを、敵三騎よき隙かなと馳せ寄せて、兜の鉢と総角著あげまきつけとを三打ち四打ちしたたかに切りけれども、義興少しも不騒、しづかに手綱を結びて鞍坪になほり給へば、三騎の敵はつと馬を懸け退けて、「あはれ大剛の武者や」と、高声かうじやう二声ふたこゑ三声感じて御方の勢にぞ馳せ着きたる。




鎌倉勢はただ今三浦より打ち帰って、まだ馬の鞍も下ろさず鎧の上帯([鎧の胴を締める緒])も解いていませんでしたので、若宮小路(現神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮の一の鳥居より、大鳥居までの路)へ打ち出て、一所に控えました。小俣小輔次郎は、今日の軍奉行と今朝より決まっていましたので、手勢七十三騎を選って、敵が叢立ち控える中へさっと駆け入ると、火を散らして切り乱しました。三浦・葦名・二階堂の兵どもは、案内([事情や様子をよく知っていること])をよく知っていました、人馬はまだ疲れていませんでしたので、ここの谷かしこの小路より、一斉に喚て駆け入り、さっと駆け破っては裏へ抜け、谷々小路小路に入り乱れて戦いました。兵衛佐義興(新田義興よしおき。新田義貞の次男)は、浜面の在家の外れで、敵三騎を斬って落とし、大勢の中をさっと駆け抜けようとしましたが、小手の手覆い([鎧 の籠手 の、手の甲を覆う部分])を切り流す太刀で手綱の曲がり([馬の手綱の中ほどの部分])を真っ二つに切られて、弓手([左])の片手綱が地に下がり馬の足に踏まれて、太刀を左脇に挟み、鐙の鼻に落ち下がり、左右の手縄を取り合わせて結ぶところに、敵三騎はよき隙と馳せ寄せて、兜の鉢と総角([鎧の背や兜の鉢の後ろの環に付けた、揚巻結びの緒])付けとを三打ち四打ちしたたかに切りましたが、義興は少しも騒がず、静かに手綱を結んで鞍坪に居直ったので、三騎の敵はさっと馬を駆け退けて、「なんと大剛の武者よ」と、高声に二声三声感じて味方の勢に馳せ付きました。


続く


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by santalab | 2017-05-11 10:15 | 太平記 | Comments(0)

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