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「太平記」北山殿謀反の事(その15)

春日の局泣く泣くうちより御使ひに出で合ひ給ひて、「故大納言殿の忘れ形見の出で来させ給ひてさふらひしが、母上ははうへのただならざりし時節をりふし限りなき物思ひにしづみ給ふゆゑにや、生まれ落ち給ひし後、無幾程はかなく成り給ひ候ふ。これもとがありし人の行くなれば、如何なる御沙汰にか逢ひ候はんずらんと、うへの御とがめを怖れて、隠しはんべるにこそと被思召事も候ひぬべければ、いつはりならぬしるしの一言を、仏神に懸けてまうし入れ候ふべし」とて、泣く泣く消息せうそくを書き給ひ、その奥に、

いつはりを ただすの森に 置く露の 消えしにつけて 濡るる袖かな

使ひこの御文を持つてかへまゐれば、定平さだひら泪を押さへて奏覧し給ふ。この一言に、君もあはれとや思し召されけん、その後は御たづねもなかりければ、うれしき中に思ひあつて、焼野のきぎすの残るくさむらを命にて、雛をはごくむらむ風情にて、泣く声をだに人に聞かせじと、口を押さへを含めて、同じ枕の忍び寝に、泣き明かし泣き暮らして、三年みとせを過ごし給ひし心のうちこそ悲しけれ。その後建武の乱出で来て、天下将軍の代と成りしかば、この人てうに仕へて、西園寺さいをんじの跡を継ぎ給ひし、北山の右大将うだいしやう実俊さねとしきやうこれなり。




春日の局が泣く泣く内裏からのお使いに会って、「故大納言殿(西園寺公宗きんむね)の忘れ形見がお生まれになられましたが、母上が身籠っておられた時に限りなき悲しみに沈まれたせいでしょうか、生まれ落ちた後、いくほどもなくしてはかなくなられました。罪ありし人の行く方なれば、いかなる沙汰に遭うことかと、上(天皇)の咎めを怖れて、隠していると思われることもございましょう、偽りでない証拠の一言を、仏神に懸けて申し入れます」と申して、泣く泣く消息([文])を書き、その奥に、

偽りのないことを糺の森(現京都市左京区にある下鴨神社)に誓うにつけても、置く露のが消えてしまった悲しみに袖は濡れるばかりでございます。

使いがこの文を持って帰ると、定平(中院定平)は涙を抑えて奏覧しました。この一言に、君(第九十六代後醍醐天皇)も哀れに思われたか、その後はお尋ねもありませんでした、(北の方は)うれしさの中に悲しみあって、焼野の雉([棲んでいる野を焼かれたキジが自分の命にかえてもその子を救うこと。親が子を思う情の深いことのたとえ])の残る叢を命に代えて、雛を育むように、泣く声をさえ人に聞かせまいと、口を押さえ乳を含めて、同じ枕の忍び寝に、泣き明かし泣き暮らして、三年を過ごした心の内は悲しみに溢れていました。その後建武の乱が起こり、天下は将軍(足利尊氏)の時代となり、この人は朝廷に仕えて、西園寺の跡を継ぎました、北山右大将実俊卿(西園寺実俊。右大臣)のことです。


続く


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by santalab | 2017-05-12 08:29 | 太平記 | Comments(0)

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