その後この楽なほ止まずして、陳の代に至る。陳の後主これを弄んで、隋の為に被滅ぬ。隋の煬帝またこれを翫ぶ事甚だしくして唐の太宗に被滅ぬ。唐の末の代に当たつて、我が朝の楽人掃部頭貞敏、遣唐使にて渡りたりしが、大唐の琵琶の博士廉承夫に逢うて、この曲を我が朝に伝来せり。然れどもこの曲に不吉の声ありとて、一手を略せる所あり。然るをその夜の御法楽に、宗とこの手を引き給ひしに、しかも殊に殺発の声の聞こへつるこそ、浅ましく思へ侍りけれ、八音と与政通ずといへり。大納言殿の御身に当たつて、いかなる煩ひか出で来らん」と、孝重歎きて申しけるが、無幾程して、大納言殿この死刑に逢ひ給ふ。不思議なりける前相なり。
その後この楽はなおも消えることなく、陳の時代に至った。陳の後主(南朝陳の第五代、最後の皇帝)はこれを好んで、隋(隋の初代皇帝、文帝)に滅ぼされた。隋の煬帝(隋の第二代皇帝)もまたこれをたいそう好んで唐の太宗(唐の第二代皇帝)に滅ぼされた。唐の末代に当たって、我が朝の楽人掃部頭貞敏(藤原貞敏)が、遣唐使として渡ったが、大唐の琵琶博士廉承武と出会って、この曲を我が朝に持ち帰ったのだ。けれどもこの曲に不吉の声があると、一手を略した所がある。けれどもの夜の法楽([経を読誦したり、楽を奏し舞をまったりして神仏を楽しませること。また、和歌・芸能などを神仏に奉納すること])に、主にこの曲を弾いたが、なんとも言えぬ殺伐した音が聞こえたので、どうしたことかと不安に思ったものだ。八音([特に儒教音楽で使われる、八種類の楽器を表す語])は政に通じるというぞ。大納言殿(西園寺公宗)の身に、どのような心配事が起きるであろうか」と、孝重(藤原孝重)は嘆き申しましたが、ほどなくして、大納言殿は死刑となりました。不思議な前相([前兆])でした。
(続く)