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「太平記」笛吹峠軍の事(その3)

鎌倉には、義興よしおき義治よしはる七千余騎にて、著到ちやくたうを付くると聞こへ、武蔵には新田義宗よしむね・上杉民部の大輔、二万余騎にて控へたりと聞こゆ。いづくへ可向と評定ありけるが、先づ勢のらうせぬさきに、大敵に打ち勝ちなば、鎌倉の小勢は不戦共可退散、衆議一途いちづに定まりて、将軍同じき二月二十五日石浜を立つて、武蔵の府に著き給へば、甲斐かひの源氏・武田の陸奥のかみ・同じき刑部ぎやうぶの大輔・子息修理しゆりすけ・武田の上野かうづけかみ・同じき甲斐の前司・同じき安芸の守・同じき弾正だんじやう少弼せうひつ・舎弟薩摩の守・小笠原近江あふみの守・同じき三河みかはの守・舎弟越後ゑちごの守・一条四郎・板垣四郎・逸見へんみ入道・同じき美濃の守・舎弟下野しもつけの守・南部常陸の守・下山十郎左衛門、都合二千余騎にて馳せ参る。




鎌倉では、義興(新田義興。新田義貞の次男)・義治(脇屋義治。新田義貞の弟、脇屋義助よしすけの子)が七千余騎で、著到([中世武家社会で,変事や戦闘にさいし、軍勢催促に応じて馳せ集まる軍勢到着。参陣した武士は著到状を提出し、著到帳に自己の姓名を登載してもらい、著到状に証判を加えて返付してもらう])を付けていると聞こえ、武蔵には新田義宗(新田義貞の三男)・上杉民部大輔(上杉憲顕のりあき)が、二万余騎にて控えていると聞こえました。どこに向かうか評定があるましたが、まず勢が疲れぬ前に、大敵に打ち勝てば、鎌倉の小勢は戦わずとも退散するであろうと、衆議は一途に定まりました、将軍(足利尊氏)は同じ二月二十五日に石浜(現東京都福生市牛浜?)を立って、武蔵国府(現東京都府中市)に着くと、甲斐源氏・武田陸奥守(武田信武のぶたけ)・同じく刑部大輔(武田氏信うぢのぶ。武田信武の次男)・子息修理亮・武田上野守・同じく甲斐前司(武田信成のぶなり)・同じく安芸守(武田氏信うぢのぶ。武田信成の弟。安芸守護)・同じく弾正少弼・舎弟薩摩守・小笠原近江守・同じく三河守・舎弟越後守・一条四郎・板垣四郎・逸見入道・同じく美濃守・舎弟下野守・南部常陸守・下山十郎左衛門が、都合二千余騎で馳せ参りました。


続く


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by santalab | 2017-05-15 08:07 | 太平記 | Comments(0)

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