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「太平記」兵部卿宮薨御の事付干将莫耶事(その2)

淵辺その刀を投げ捨て、脇差しの刀を抜いて、先ず御胸元の辺を護良もりよし親王二刀ふたかたな刺す。被刺て宮少し弱らせ給ふていに見へけるところを、御髪を掴んで引き挙げ、すなはち御首を掻き落とす。ろうの前に走り出でて、明るき所にて御首を奉見、ひ切らせ給ひたりつる刀のきつさき、未だ御口の中に留まつて、御まなこなほ生きたる人の如し。淵辺これを見て、「さる事あり。加様かやうの首をば、主には見せぬ事ぞ」とて、かたはらなるやぶの中へ投げ捨ててぞ帰りける。去るほどに御介錯の為、御前おんまへさふらはれける南の御方、この有様を見奉て、余りの恐ろしさと悲しさに、御身もすくみ、手足も立たでましましけるが、暫く肝をしづめて、人心付きければ、薮に捨てたる御首を取り挙げたるに、御膚おんはだへもなほ不冷、御目も塞がせ給はず、ただ元の気色きしよくに見へさせ給へば、こはもし夢にてやあらん、夢ならば醒むる現のあれかしと泣き悲しみ給ひけり。遥かにあつて理致光院りちくわうゐんの長老、「斯かる御事とうけたまはり及び候ふ」とて葬礼さうれいの御事取り営み給へり。南の御方は、やがて御髪被落ろて泣く泣くきやうへ上り給ひけり。




淵辺(淵辺義博よしひろ)はその刀を投げ捨て、脇差しの刀を抜いて、まず護良親王の胸元のあたりを二刀刺しました。宮は刺されて少し弱ったように見えるところを、髪を掴んで引き上げ、たちまち首を掻き落としました。牢の前に走り出て、明るい所で首を見れば、喰い切った刀の切っ先が、まだ口の中に残って、目は生きた人のようでした。淵辺はこれを見て、「こんな話がある。この首を、主(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に見せてはならぬ」と、傍らの薮の中へ投げ捨てて帰りました。やがて介錯のために、御前に祗候する南の御方(藤原保藤やすふぢの娘)は、この有様を見て、あまりの恐ろしさと悲しさに、身はすくみ、手足も立ちませんでしたが、ようやく気が落ち着いて、人心が付くと、薮に捨てられた首を取り上げました、膚はまだ冷えず、目も塞がれず、ただ元の気色に見えて、これはもしや夢なのか、夢ならば醒める現もあれと泣き悲しみました。遠く理致光院(かつて現神奈川県鎌倉市にあった理智光寺)の長老が、「そのようなことがあったとお聞きしております」と葬礼を営みました。南の御方は、やがて髪を下ろして泣く泣く京に上りました。


続く


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by santalab | 2017-05-17 07:42 | 太平記 | Comments(0)

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