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「太平記」兵部卿宮薨御の事付干将莫耶事(その3)

そもそも淵辺が宮の御首を取りながら左馬のかみ殿に見せ奉らで、薮のかたはらに捨てける事いささか思へるところあり。昔しうすゑに、楚王そわうと云ひける王、武を以つて天下を取らん為に、戦ひを習はし剣を好む事年久し。ある時楚王の夫人、くろがねの柱に寄り添ひてすずみ給ひけるが、心地ただならず思えて忽ちに懐姙くわいにんし給ひけり。十月とつきを過ぎて後、産屋うぶやの席に苦しんで一つの鉄丸てつぐわんを産み給ふ。楚王これを怪しとし給はず、「いかさまこれ金鉄の精霊なるべし」とて、干将かんしやうと云ひける鍛冶を被召、この鉄にて宝剣はうけんを作つてまゐらすべき由を被仰。干将この鉄を賜はつて、この妻の莫耶ばくやと共に呉山の中に行きて、竜泉の水ににぶらして、三年が内に雌雄の二剣を打ち出だせり。剣成つて未だ奏すさきに、莫耶、干将かんしやうに向かつて云ひけるは、「この二つの剣精霊暗に通じてながら怨敵をんできを可滅剣なり。我今懐姙くわいにんせり。産む子は必ずたけく勇める男なるべし。然れば一つの剣をば楚王にたてまつるとも今一つの剣をば隠して我が子に可与給」云ひければ、干将、莫耶がまうすに付いて、その雄剣一つを楚王に献じて、一つの雌剣しけんをば、未だ胎内にある子の為に深く隠してぞ置きける。




そもそも淵辺(淵辺義博よしひろ)が宮(護良もりよし親王)の首を取りながら左馬頭殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に見せることなく、薮の傍らに捨てたのは少々思うところがあったからでした。昔周の末代に、楚王という王が、武力をもって天下を取るために、常に戦い剣を好んで長年に渡りました。ある時楚王の夫人が、鉄の柱に寄り添って涼んでいましたが、心地ただならず思えてたちまちに懐妊しました。十月を過ぎた後、産屋で難産の末一つの鉄丸を産みました。楚王はこれを怪しく思うことなく、「きっとこれは金鉄の精霊であろう」と申して、干将という鍛冶を召して、この鉄で宝剣を作るよう命じました。干将はこの鉄を賜わって、妻の莫耶とちもに呉山の中に入り、竜泉の水で鍛えて、三年の内に雌雄の二剣を打ち出しました。剣ができたことを奏上する前に、莫耶が、干将に向かって言うには、「この二つの剣は精霊に通じていながら怨敵を滅ぼす剣です。わたしは今懐妊しています。産む子はきっと猛く勇める男の子です。ですから一つの剣を楚王に奉るとももう一つの剣は隠して我が子に与えてください」と言いました、干将は、莫耶が言った通り、その雄剣一つを楚王に献上し、一つの雌剣を、いまだ胎内にある子のために深く隠し置きました。


続く


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by santalab | 2017-05-18 07:01 | 太平記 | Comments(0)

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