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「太平記」八幡合戦事付官軍夜討の事(その1)

都には去月二十日の合戦に打ち負けて、足利宰相さいしやう中将ちゆうじやう殿は近江あふみの国へ落ちさせ給ひ、持明院の本院ほんゐん・新院・主上しゆしやう・春宮は、皆捕らはれさせ給ひて、賀名生あなふ遷幸せんかう成りぬ。吉野の主上はなほ世をあやぶみて、八幡に御座あり。月卿雲客げつけいうんかくは、西山・東山・吉峯・鞍馬の奥などに逃げ隠れてをはすれば、帝城の九禁きうきんいつしか虎賁猛将こふんまうしやうの備へもなく、朝儀てうぎ大礼の沙汰もなくて、野干やかんの棲みかと成りにけり。桓武くわんむの聖代この四神ししん相応さうおうの地を撰んで、東山に将軍塚しやうぐんづかかれ、うしとらの方に天台山を立て、百王万代ばんだい宝祚はうそを修し置かれし勝地なれば、後五百歳ごごひやくさい未来永々みらいやうやうに至るまで、荒廃くわうはい非じとこそ思えつるに、こはそもいかに成りぬる世の中ぞやと、歎かぬ人もなかりけり。




都では去月(正平七年(1352)二月)二十日の合戦に打ち負けて、足利宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)は近江国に落ち、持明院の本院(北朝初代光厳院)・新院(北朝第二代光明院)・主上(北朝第三代崇光院)・春宮(第九十五代花園天皇の皇子で、実は光厳天皇の皇子。直仁なほひと親王。崇光天皇の皇太弟)は、皆捕らえられて、賀名生(現奈良県五條市)に遷幸されました。吉野の主上(第九十七代後村上天皇)はなおも世を危ぶまれて、八幡(現京都府八幡市)におられました。月卿雲客([公卿と殿上人])は、西山・東山・善峯・鞍馬の奥などに逃げ隠れたので、帝城の九禁([皇居])はいつしか虎賁([前漢代に設立された皇帝直属の部隊名])の猛将の備えもなく、朝儀大礼の沙汰もなくて、野干([狐の異名])の棲みかとなりました。桓武(第五十代天皇)の聖代にこの四神相応([大地の四方の方角を司る 四神=東に青竜・西に白虎・南に朱雀・北に玄武。の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相])の地を選んで、東山に将軍塚([桓武天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、高さ八尺の土の人形に甲冑を着せ、弓矢を持たせ、京都の方を向けて埋めた塚であると伝わる])を築き、艮([北東])の方に天台山(延暦寺)を建て、百王万代の宝祚([天子の位])を修め置かれた勝地でしたので、後五百歳未来永々に至るまで、荒廃することはないと思われましたが、これはいったい世の中はどうなるのかと、嘆かぬ人はいませんでした。


続く


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by santalab | 2017-05-23 06:59 | 太平記 | Comments(0)

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