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「太平記」八幡合戦事付官軍夜討の事(その2)

宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどのは、近江の四十九院しじふくゐんに、遥々とをはしけれども、土岐・佐々木が外は、相従ふ勢もなかりしが、東国の合戦に、将軍勝ち給ひぬと聞こへて、後ろより勢の付き奉る事如雲霞。さらばやがて京都へ寄せよとて、三月十一日四十九院を立つて、三万余騎先づ伊祇代いぎす三大寺にして手を分かつ。あるひは漫々たる湖上に、山田・矢早瀬やばせの渡し舟のさを差す人もあり。或ひは渺々べうべうたる沙頭しやとうに、堅田かただ・高島を経て駒に鞭打つ勢もあり。旌旗せいき水烟すゐえんひるがへつて、竜蛇りようじや忽ちに天に上がり、甲胄かつちう夕陽せきやう耀かかやいて、星斗せいとすなはち地につらなる。中院の宰相の中将具忠ともただきやう、千余騎にてこの勢を防がん為に、大津辺おほつへんに控へられたりけるが、敵の大勢なるていを見て、戦ふ事不叶とや思はれけん。敵の未だ不近さき八幡やはたへ引つ返さる。




宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)は、近江の四十九院(現滋賀県犬上郡豊郷町)に、遥々と引いて行きました、土岐(土岐頼康よりやす)・佐々木(佐々木道誉だうよ)のほかは、従う勢もありませんでしたが、東国の合戦で、将軍(足利尊氏)が勝ったと聞こえたので、後からまるで雲霞のように勢が付きました。ならばすぐに京都へ寄せよと、(正平七年(1352))三月十一日に四十九院を立って、三万余騎をまず伊祇代三大寺(現滋賀県草津市にある三大神社)で手を分けました。あるいは漫々たる湖上に、山田・矢早瀬の渡し舟の棹差す人もありました。あるいは渺々たる沙頭([砂浜])に、堅田(現滋賀県大津市)・高島(現滋賀県高島市)を経て駒に鞭打つ勢もありました。旌旗([軍旗])は水煙に翻り、竜蛇はたちまち天に上り、甲胄は夕陽に輝いて、星を地に連ねたようでした。中院宰相中将具忠卿(中院具忠)は、千余騎で勢を防ぐために、大津辺に控えていましたが、大勢の敵を見て、戦っても敵わないと思ったか。敵がまだ近付かぬ前に八幡(現京都府八幡市)に引き返しました。


続く


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by santalab | 2017-05-24 07:01 | 太平記 | Comments(0)

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