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「太平記」八幡合戦事付官軍夜討の事(その3)

同じき十五日宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどの京都に発向はつかうして、東山に陣を召さるれば、宮方の大将北畠右衛門うゑもんかみ顕能あきよし、都を去つて淀・赤井に陣を取る。同じき十七日じふしちにちに宰相の中将殿下京しもぎやうに御移りあつて、東寺に御陣を召さるれば、顕能卿淀河よどかはを引きて、八幡の山下さんげに陣を取る。未だ戦はざるさきに宮方の大将陣を去る事三箇度なれば、行く末とてもさぞあらんずらめと、憑み少なくぞ見えたりける。さはありながら、八幡は究竟くつきやうの要害なるに、赤井の橋を引きて、畿内の官軍くわんぐん七千余騎にて立て篭もりたり。三方さんぱう大河たいか隔たつて橋もなく舟もなし。宇治路うぢぢを後ろへまはらば、前後皆敵陣にはさまりて、進退心安かるまじ、如何すべきと評定あつて、東寺にはなほ国々の勢を待たれける処に、細川陸奥のかみ四国の勢を率して、三千余騎にて上洛しやうらくせらる。




同じ(正平七年(1352)三月)十五日宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)が京都に発向して、東山に陣を取れば、宮方の大将北畠右衛門督顕能(北畠顕能)は、都を去って淀(現京都市伏見区)・赤井に陣を取りました。同じ十七日に宰相中将殿は下京に移り、東寺(現京都市南区にある教王護国寺)に陣を取ると、顕能卿は淀川を引いて、八幡(現京都府八幡市)の山下に陣を取りました。いまだ戦わぬ前に宮方の大将が陣を去ること三箇度でしたので、行く末はどうなることかと、頼み少なく思われました。とはいえ、八幡は究竟の要害でしたので、赤井の橋を引いて、畿内の官軍が七千余騎で立て籠もりました。三方は大河に隔てられて橋もなく舟もありませんでした。宇治路を後ろへ廻れば、前後を皆敵陣に囲まれて、進退は容易くなかろう、どうすべきと評定があって、東寺で国々の勢を待つところに、細川陸奥守(細川顕氏あきうぢ)が四国の勢を率して、三千余騎で上洛しました。


続く


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by santalab | 2017-05-25 06:45 | 太平記 | Comments(0)

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