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「太平記」足利殿東国下向の事付時行滅亡の事(その1)

直義ただよし朝臣は鎌倉を落ちて被上洛しやうらくけるが、その路次に於いて、駿河の国入江のしやうは、海道第一の難所なり。相摸次郎が与力の者ども、もし道をや塞がんずらんと、士卒皆これを危ふく思へり。これによつてその所の地頭入江左衛門さゑもんじよう春倫はるともが許へ使ひを被遣て、可憑由を被仰たりければ、春倫が一族ども、関東くわんとう再興の時到りぬと、料簡れうけんしける者どもは、左馬の頭を奉打、相摸次郎殿じらうどのに馳せまゐらんと云ひけるを、春倫つくづく思案して、「天下の落居は、愚蒙ぐもうの我らが可知処に非ず。ただ義の向かふところを思ふに、入江の庄と云ふは、本徳宗領とくそうりやうにてありしを、朝恩てうおんに下し賜はり、この二三年が間、一家をかへりみる事日来に勝れり。これ天恩のうへになお義を重ねたり。この時いかでか傾敗けいはいつひえに乗つて、不義の振る舞ひを致さん」とて、春倫すなはち御迎ひに参じければ、直義朝臣不斜喜びて、やがて彼らを召し具し、矢矯やはぎの宿にぢんを取つて、これに暫く汗馬かんばの足を休め、京都へ早馬はやむまをぞ被立ける。




直義朝臣(足利直義。足利尊氏の弟)は鎌倉を落ちて上洛しましたが、道中の、駿河国入江庄(薩埵峠。現静岡県清水市)は、東海道第一の難所でした。相摸二郎(北条時行ときゆき。鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかときの次男)に与力の者どもが、もしや道を塞いでいるのではないかと、士卒は皆これを危ぶんでいました。そこで入江庄の地頭入江左衛門尉春倫(入江春倫)の許に使いを遣って、頼むべき由を告げると、春倫の一族どもは、関東再興の時が到りぬと、考える者どもでしたので、左馬頭(足利直義)を討ち、相摸二郎殿(北条時行)に馳せ参ろうと言いましたが、春倫はつくづくと思案して、「天下の落居は、愚蒙([おろかで道理がわからないこと])の我らの知るところではない。ただ義の向かうところを思えば、入江庄は、本は徳宗領([北条氏家督の知行する所領])であったが、朝恩により下し賜り、この二三年の間、一家を振り返れば日頃に勝るものであった。これは天恩の上になお義を重ねたからではないか。今どうして傾敗の弊えに乗って、不義の振る舞いを致さねばならぬ」と申して、春倫はたちまち迎えに参ると、直義朝臣はたいそうよろこんで、やがて彼らを召し具し、矢作宿(現愛知県岡崎市)に陣を取って、ここでしばらく汗馬の足を休め、京都に早馬を立てました。


続く


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by santalab | 2017-05-25 06:57 | 太平記 | Comments(0)

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