Santa Lab's Blog


「太平記」八幡合戦事付官軍夜討の事(その5)

同じき三月二十四日、宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどの三万余騎の勢を率し、宇治路うぢぢまはつて木津河こつがはを打ち渡り、洞峠ほらがたうげに陣を取らんとす。これは河内・東条とうでうの通路を塞ぎて、敵を兵粮にめん為なり。八幡より北へは、和田にぎた次郎左衛門じらうざゑもんとを向けられけるが、楠木は今年二十三、和田は十六じふろく、いづれも皆若武者なれば思慮なき合戦をや致さんずらんと、諸卿悉く危ぶみ思はれけるに、和田五郎参内して申しけるは、「親類兄弟悉く度々の合戦に、身を捨て討ち死に仕りさうらをはんぬ。今日の合戦はまた公私の一大事と存ずる事にて候ふ上は、命をきはの合戦仕て、敵の大将を一人討ち取り候はずは、生きて再び御前おんまへへ帰り参る事候ふまじ」と、申し切つて罷り出でければ、列座の諸卿・国々の兵、あはれ代々の勇士なりと、感ぜぬ人はなかりけり。




同じ(正平七年(1352))三月二十四日に、宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)は三万余騎の勢を率し、宇治路を廻って木津川を打ち渡り、洞ヶ峠(現京都府八幡市と大阪府枚方市の境にある峠)に陣を取ろうとしました。これは河内・東条の通路を塞いで、敵を兵粮攻めにするためでした。八幡より北へは、和田五郎(和田正隆まさたか)・楠木次郎左衛門(楠木三郎正儀まさのり。楠木正成の三男)を向けましたが、楠木は今年二十三、和田は十六、いずれも皆若武者でしたので思慮なき合戦を致すのではないかと、諸卿は残らず危ぶんでいましたが、和田五郎が参内して申すには、「親類兄弟は残らず度々の合戦で、身を捨て討ち死にしました。今日の合戦はまた公私の一大事と存ずることでございますれば、命を限りの合戦仕り、敵の大将を一人討ち取らずば、生きて再び御前に帰り参ることはございません」と、申し切って罷り出ました、列座の諸卿・国々の兵は、代々の勇士であると、感心しない人はいませんでした。


続く


[PR]
by santalab | 2017-05-27 08:18 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」足利殿東国下向の事付...      「太平記」八幡合戦事付官軍夜討... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧