Santa Lab's Blog


「太平記」足利殿東国下向の事付時行滅亡の事(その5)

足利の相公しやうこうこの由を聞き給ひて、「六韜りくたうの十四変に、『敵経長途来急可撃』と云へり。これ太公武王にをしふるところの兵法なり」とて、同じき八日の卯の刻に平家の陣へ押し寄せて、終日ひねもす闘ひ暮らされけり。平家もここを前途せんどと心を一つにして相当あひあたる事三十さんじふ余箇度、入れ替へ入れ替へ戦ひけるが、野心のつわもの後ろにあつて、跡より引きけるに力を失つて、橋本の陣を引き退き、佐夜さよの中山にて支へたり。源氏の真つさきには、仁木につき細河ほそかわの人々、命を義にかろんじて進みたり。平家の後陣には、諏方すは祝部はふり身を恩に報じて、防ぎ戦ひけり。両陣互ひに勇気を励まして、終日ひねもす相戦あひたたかひけるが、平家ここをも被破て、箱根の水飲みづのみたうげへ引き退く。




足利相公(足利尊氏)はこれを聞いて、「六韜([中国の代表的な兵法書])の十四変に、『敵が長途につく時にはたちまちこれを攻めよ』と書かれておる。太公望が武王(周朝の創始者)に教えた兵法である」と申して、同じ八日の卯の刻([午前八時頃])に平家の陣へ押し寄せて、終日戦いました。平家もここを先途([勝敗や運命を決する大事な分かれ目])と思い心を一つにして攻め合うこと三十余箇度、新手を入れ替え入れ替え戦いましたが、野心の兵が後ろにあって、後に引いたので力を失い、橋本(現静岡県湖西市)の陣を引き退き、佐夜の中山(現静岡県掛川市)で対峙しました。源氏の真っ先を、仁木・細川の人々が、命を義に軽んじて進みました。平家の後陣には、諏訪(現長野県にある諏訪大社)の祝部([神職])が身を恩に報じて、防ぎ戦いました。両陣互いに勇気を励まして、終日戦いましたが、平家はここも破られて、箱根の水呑峠(箱根峠)に引き退きました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-05-29 07:18 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」足利殿東国下向の事付...      「太平記」八幡合戦事付官軍夜討... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧