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「太平記」足利殿東国下向の事付時行滅亡の事(その8)

これのみならず、平家再興の計略、時や未だ至らざりけん、また天命にやたがひけん。名越なごや太郎時兼ときかぬが、北陸道ほくろくだうを打ちしたがへて、三万余騎にて京都へ責め上りけるも、越前と加賀とのさかひ大聖寺だいしやうじと云ふ所にて、敷地しきぢ上木うへき・山岸・瓜生うりふ・深町の者どもがわづかの勢に打ち負けて、骨を白刃はくじんの下に砕き、恩を黄泉くわうせんの底に報ぜり。時行ときゆきはすでに関東くわんとうにして滅び、時兼ときかぬはまた北国にて被討し後は、末々すゑずゑの平氏ども、少々せうせう身を隠しかたちを替へて、ここの山の奥、かしこの浦の辺にありといへども、今は平家の立ちなほる事難有とや思ひけん、その昔を忍びし人も皆怨敵をんてきの心を改めて、足利の相公しやうこうしよくし奉らずと云ふ者なかりけり。さてこそ、尊氏たかうぢきやう威勢ゐせい自然じねんに重く成つて、武運忽ちに開けければ、天下また武家の世とは成りにけり。




こればかりでなく、平家再興の計略の、時はまだ至っていなかったか、それとも天命に背いたのでしょうか。名越太郎時兼(名越時兼=北条時兼)は、北陸道の平和を従えて、三万余騎で京都に攻め上りましたが、越前と加賀との境、大聖寺(かつて現石川県加賀市にあった寺院)という所で、敷地(現石川県加賀市大聖寺敷地)・上木(現石川県加賀市)・山岸(現石川県輪島市)・瓜生(現石川県河北郡津幡町瓜生)・深町の者どものわずかの勢に打ち負けて、骨を白刃の下に砕き、恩を黄泉の底に報じました。時行(北条時行。鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかときの次男)はすでに関東で亡び、時兼もまた北国で討たれた後は、末々の平氏どは、わずかに身を隠し姿を変えて、ここの山奥、かしこの浦の辺におりましたが、今は平家が立ち直ることは困難だと思ったのか、その昔を忍び願う人も皆怨敵の心を改めて、足利相公(足利尊氏。[相公]=[参議])に付かない者はいませんでした。こうして、尊氏卿の威勢はたちまちにして重くなって、武運を開き、天下はまた武家の世となりました。


続く


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by santalab | 2017-06-01 07:06 | 太平記 | Comments(0)

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