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「太平記」八幡合戦事付官軍夜討の事(その13)

一陣破るれば残党まつたからじと見る処に、土岐・佐々木・山名・赤松が陣はすこしも動かず、鹿垣ししがききびしく結うて用心堅く見へたれば、夜討ちに可打様もなく、可打散便りもなかりけり。かくてはいつまでか可怺、和田にぎた・楠木を河内かはちの国へかへして、後攻ごづめをせさせよとて、彼ら両人を忍びて城より出だして、河内の国へぞ遣はされける。八幡にはこの後攻めを憑みて今や今やと待ち給ひける処に、これを我が大事と思ひ入れて引き立ちける和田五郎、にはかに病ひ出だして、無幾程も死にけり。楠木は父にも不似兄にも替はりて、心少し延びたる者なりければ、今日よ明日よと云ふ許りにて、主上しゆしやうの大敵に囲まれて御座あるを、如何がはせんとも心に不懸けるこそ方見うたてけれ。げうの子尭の如くならず、しゆんおとと舜に不似とは乍云、この楠木は正成が子なり。正行まさつらが弟なり。いつのほどにか親に替はり、兄にこれまで劣るらんと、そしらぬ人もなかりけり。




一陣を破って残党は一人も残らないと思われましたが、土岐(土岐頼康よりやす)・佐々木(佐々木道誉だうよ)・山名(山名時氏ときうぢ)・赤松(赤松則祐のりすけ)の陣は少しも動かず、鹿垣([砦の周りに設けて防御用にした垣])を厳しく構えて守り堅く見えたので、夜討ちすることもできず、打ち散らす手立てもありませんでした。こうなってはいつまで堪えることができよう、和田(和田正隆まさたか)・楠木(楠木正儀まさのり。楠木正成の三男)を河内国に返して、後詰め([敵の背後に回って攻めること。また、その軍勢])をさせよと、彼ら両人を密かに城から出して、河内国に発向させました。八幡ではこの後詰めを頼りにして今か今かと待つところに、これを我が大事と思い入れて引き連れた和田五郎(正隆)が、にわかに病いを患って、ほどなく死んでしまいました。楠木(正儀)は父(楠木正成)にも似ず兄(楠木正行まさつら。楠木正成の長男)とも違って、少しおっとりした者でしたので、今日よ明日よと言うばかりで、主上(第九十七代後村上天皇)が大敵に囲まれておられるのを、どうしようかと心配しませんでしたが嘆かわしいことでした。尭(中国神話に登場する君主)の子(丹朱)は尭のように立派でなく、舜(中国神話に登場する君主。堯の跡を継いだ)の弟は舜に似ずとはいいながら、この楠木(正儀)は正成の子でした。正行の弟でした。いつのほどに親と異なり、兄にこれまで劣るのかと、謗らぬ人はいませんでした。


続く


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by santalab | 2017-06-04 08:51 | 太平記 | Comments(0)

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