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「太平記」南帝八幡御退失の事(その3)

古津河こつかはの端を西に傍うて、御馬おんむまを早めらるるところに、備前の松田・備後の宮の入道がつはものども、二三百騎にて取り篭め奉る。十方より如雨降射る矢なれば、遁れ給ふべしとも不見けるが、天地神明の御加護もありけるにや、御鎧の袖・草摺くさずり二筋ふたすぢ当たりける矢も、かつて裏をぞ懸かざりける。法性寺左兵衛さひやうゑかみ、これまでもなほ離れまゐらせず、ただ一騎供奉したりけるが、迹より敵懸かれば引つ返して追ひ散らし、敵前をさへぎれば懸破て、主上しゆしやうを落とし進らせけるところに、いづくより来るとも不知御方の兵百騎計り、皆中黒の笠符かさじるし着けて、御馬の前後にさうらひけるが、近付く敵を右往左往うわうさわうに追ひ散らして、掻き消す様に失せにければ、主上は玉体無恙して東条へ落ちさせ給ひにけり。




木津川の川端を西に沿って、馬を早めるところに、備前の松田・備後の宮入道の兵どもが、二三百騎で取り囲みました。十方より射る矢はまるで雨が降るようでしたので、とても逃れることはできないと思われましたが、天地神明の加護があったか、鎧の袖・草摺([甲冑の胴の裾に垂れ、下半身を防御する部分])に二筋当たる矢も、裏を射通しませんでした。法性寺左兵衛督(藤原康長やすなが?)は、これまでも(第九十七代後村上天皇の)側を離れず、ただ一騎供奉していましたが、後ろより敵が懸かれば引き返して追い散らし、敵が前を防げば駆け破って、主上(後村上天皇)を落とし参らせるところに、どこから来たとも知れず味方の兵が百騎ばかり、皆中黒(新田氏の紋)の笠符を付けて、馬の前後に付いて、近付く敵を右往左往に追い散らし、掻き消すようにいなくなったので、主上は玉体無事にして東条(現兵庫県加東市)へ落ちられました。


続く


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by santalab | 2017-06-08 08:03 | 太平記 | Comments(0)

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