Santa Lab's Blog


「太平記」山名右衛門佐為敵事付武蔵将監自害の事(その2)

度重なれば右衛門うゑもんすけ大きに腹立ふくりふして、「周公旦しゆこうたんは文王の子武王の弟たりしかども、髪を洗ふ時訴人来たれば髪を握つて合ひ、はんを食する時賓客ひんかく来たればを吐いて対面し給ひけり。才とぼしといへども我大樹の一門につらなる身たり。礼儀を存せば、沓をさかさまにしても庭に出で迎ひ、袴の腰を結び結びも急ぎてこそ対面すべきに、この入道にふだう加様かやうに無礼に振る舞ふこそかへす返すも遺恨ゐこんなれ。所詮叶はぬ訴詔そしやうをすればこそ、へつらふまじき人をも諂へ。今夜の中に都を立つて伯耆へ下り、やがて謀反を起こして天下をくつがえし、無礼なりつる者どもに、思ひ知らせんずるものを」と独り言して、我が宿所へ帰るとひとしく、郎等らうどうどもにかくとも云はず、ただ一騎文和ぶんわ元年八月二十六日にじふろくにちの夜半に伯耆を差して落ちて行けば、相順あひしたがひしつはものども聞き伝へて、七百しちひやく余騎迹を追つてぞ下りける。




度重なれば右衛門佐(山名師氏もろうぢ)はたいそう立腹して、「周公旦は文王(朝の始祖)の子で武王(周の創始者。文王の次子)の弟であったが、髪を洗っている時に訴人がやって来れば髪を握ったまま会い、飯を食っている時に賓客([客人])が来れば哺を吐いて([口中の食物を出す])対面したという。才乏しといえどもわしは大樹(将軍)の一門に連なる身である。礼儀を知るならば、沓を逆様に履いて庭に出迎え、袴の腰を結びながらでも急いで対面すべきを、この入道(佐々木道誉だうよ)がこれほど無礼に振る舞うのは返す返すも遺恨である。所詮叶わぬ訴詔をすればこそ、諂う人でなくとも諂っておったのだ。今夜の内に都を立って伯耆へ下り、たちまち謀反を起こして天下を覆し、無礼であった者どもに、思い知らせてやるぞ」と独り言して、我の宿所へ帰るやいなや、郎等([家来])どもには何も知らせず、ただ一騎文和元年(1352)八月二十六日の夜半に伯耆を指して落ちて行けば、従う兵どもは聞き伝えて、七百余騎が後を追って下りました。


続く


[PR]
by santalab | 2017-06-13 07:02 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」山名右衛門佐為敵事付...      「太平記」山名右衛門佐為敵事付... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
さらに付け加えますと、こ..
by 八島 守 at 09:03
おそらく「国民文庫」だと..
by santalab at 21:09
こんにちは。今日はSan..
by 佐藤綾乃 at 18:44
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧