氏範大きに牙を嚼みて、「無詮力態故に、組んで討つべかりつる長山を、打ち漏らしつる事の猜さよ。よしよし敵はいづれも同じ事、一人も亡ぼすに不如」とて、奪ひ取つたる鉞にて、逃ぐる敵を追つ攻め追つ攻め切りけるに、兜の鉢を真つ向まで破り付けられずと云ふ者なし。流るる血には斧の柄も朽つる許りに成りにけり。美濃勢には、土岐七郎を始めとして、桔梗一揆の衆九十七騎まで討たれぬ。近江勢には、伊庭の八郎・蒲生将監・川曲三郎・蜂屋将監・多賀の中務・平井孫八郎・儀俄五郎知秀以下、三十八騎討たれぬ。この外粟飯原下野の守・匹田能登の守も討ち死にしつ。後藤筑後の守貞重も生け虜られぬ。打ち残されたる者とても、あるひは疵を被りあるひは矢種射尽くして、重ねて可戦とも思えざりければ、大将義詮朝臣も日暮れて東坂本へ落ち給ふ。
氏範(赤松氏範)はしきりに牙を噛んで([歯噛み]=[怒りや悔しさから歯をかみしめて音を立てること])、「つまらぬ力比べをして、組んで討つべき長山(長山頼基)を、打ち漏らしたことの無念さよ。まあよい敵は誰も同じよ、一人残らず亡ぼしてやろう」と申して、奪い取った鉞で、逃げる敵を追い詰め追い詰め切ったので、兜の鉢を真っ向まで割られぬ者はいませんでした。流れる血は斧の柄も朽ちるほどでした。美濃勢は、土岐七郎(土岐頼遠のことだが、すでに斬首されている)をはじめとして、桔梗一揆([土岐氏一族の強力な武士団])の衆九十七騎が討たれました。近江勢は、伊庭八郎・蒲生将監・川曲三郎・蜂屋将監・多賀中務・平井孫八郎・儀俄五郎知秀(儀俄知秀)以下、三十八騎が討たれました。このほかに粟飯原下野守(粟飯原清胤。ただし、下総守)・匹田能登守も討ち死にしました。後藤筑後守貞重(後藤貞重)は生け捕りにされました。打ち残された者も、あるい疵を被りあるいは矢種を射尽くして、重ねて戦うことができるとも思えませんでしたので、大将義詮朝臣(足利義詮。足利尊氏の嫡男)も日が暮れてから東坂本(現滋賀県大津市)に落ちて行きました。
(続く)