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「太平記」山名伊豆守時氏京落事

さるほどに山名右衛門うゑもんすけ師氏もろうぢは、都の敵を容易く攻め落として心中の憤り一時に解散げさんしぬる心地して、喜悦きえつの眉を開く事ことはりなり。勢付かばやがて濃州ぢようしう発向はつかうして、宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどのを攻め奉らんと議せられけれども、降参する敵もなし催促に応ずる兵稀なり。あまつさへ洛中には吉野殿より四条しでう少将せうしやうを成敗のていにて置かれたりける間、毎事まいじ山名が計らひにもあらず、また知行の所領も近辺になかりければ、出雲・伯耆より上り集まりたりし勢どもも、在京に疲れて漸々ぜんぜんに落ち行きけるほどに、日を経て無勢ぶせいになりにけり。かくてはいかがせん、かへつて敵に寄せられなば我も都を落とされぬと、内々仰天ぎやうてんせられけるところに、義詮よしあきら朝臣、東山とうせん・東海・北陸道ほくろくだうの勢を率して宇治・勢多より攻め上らるとも聞こへ、また赤松律師則祐そくいうが中国より勢を率して上洛しやうらくすとも聞こへければ、四方しはうの敵の近付かぬ先に早く引き退けとて、数日すじつの大功徒らに、天下に時を得ずしかば、四条しでう少将せうしやう官軍くわんぐんを率して南方に帰り、山名は父子諸共に道を追ひ払つて、伯耆の国へぞ下りける。




やがて山名右衛門佐師氏(山名師氏)は、都の敵を容易く攻め落として心中の憤りは一時に解散した心地がして、喜悦の眉を開くのはもっともなことでした。勢が付けばたちまち濃州(美濃国)に発向して、宰相中将殿(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)を攻めようと決めていましたが、降参する敵もなく催促に応じる兵もほとんどいませんでした。その上洛中には吉野殿(第九十七代後村上天皇)は四条少将(四条隆俊たかとし?四条隆資たかすけの子)を成敗のために置かれたので、毎事山名(師氏)の計らい通りにもいかず、また知行の所領も近辺になかったので、出雲・伯耆より上り集まった勢どもも、在京に疲れて次第に落ちて行ったので、日を経るうちに無勢になりました。こうなっては如何ともし難く、反対に敵に寄せられたら我も都を落とされるであろうと、内々仰天しているところに、義詮朝臣が、東山・東海・北陸道の勢を率して宇治(現京都府宇治市)・勢多(現滋賀県大津市)より攻め上るとも聞こえ、また赤松律師則祐(赤松則祐のりすけ)が中国より勢を率して上洛するとも聞こえたので、四方の敵が近付かぬ先に早く引き退けと、数日の大功は無益となり、天下に時を得ることなく、四条少将は官軍を率して南方に帰り、山名(師氏)は父子諸共に道中の敵を追い払って、伯耆国に下りました。


続く


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by santalab | 2017-06-27 08:53 | 太平記 | Comments(0)

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