その中に王たる師子、かの后を口に咥へて、深山幽谷の巌の中に置奉て、この師子容顔美麗なる男の形に変じければ、后この妻と成り給ひて、思はぬ山の岩の陰に、年月をぞ送らせ給ひける。始めのほどは后、かかる荒き獣の中に交はりぬれば、我さへ畜類の身と成りぬる事の心憂さ、何に命の永らへて、一日片時も過ぐべしと思えず、消えぬを露の身の憂さに思し召し沈ませ給ひけるが、苔深き巌は変じて玉楼金殿となり、虎狼野干は媚けて卿相雲客となり、師子は化して万乗の君と成つて、玉位の座に粧ひを堆くして、袞竜の御衣に薫香を散ぜしかば、后早や憂かりし御思ひも消え果てて、連理の枝の上に、心の花のうつろはん色を悲しみ、階老の枕の下に、夜の隔つるほどをだにかこたれぬべく思し召す。
その中にいた王の獅子は、かの后を口に咥えて、深山幽谷の巌の中に連れ帰ったのだ。獅子は容顔美麗な男の姿に変わり、后は妻となって、思いもしなかった山の岩陰で、年月を送った。はじめの頃は、このような獰猛な獣の中に交わって、我も畜類の身となることを悲しみ、どうして命を永らえて、一日片時も過ごせようと思いながら、消えぬ露の身の悲しみに沈んでおったが、苔深き巌は変じて玉楼金殿となり、虎狼野干([中国で、悪獣の名。狐に似た外見で、木登りがうまく、オオカミに似た鳴き方をするという])は化けて卿相([公卿])雲客([殿上人])となり、獅子は化けて万乗の君となり、玉位の座に装飾を重ね、袞竜([ 天子の礼服につける竜の縫い取り。また、その縫い取りのある衣服])の衣は薫香を漂わせていたので、后は悲しみも消え果てて、連理の枝([男女の契りの深いことのたとえ])の上には、心の花の色あせることを悲しみ、偕老([生きてはともに老いること])の枕の下には、一夜の隔てさえも嘆かわしく思うようになった。
(続く)