かかるほどに、朱雀院の御はらから、承香殿の女御と聞こえし御腹の、斎宮にておはしつる、女御隠れ給ひぬれば、「上り給はむ」とて、右大臣殿のたまふやう、「この宮の御母方も離れ給はねば、早う、近うて、時々見奉りしに、御かたち清げにてをかしくおはせしかば、折々に聞こえ交はししに、『何かは』と思し契りしを、にはかに下り給はむとせしに、また、かく見付け奉りて、異事も思えでなむ。大将の侍りし。げに、物せられずは、忍びて、たまさかに、さやうにありなまし。まだ、御歳も若うおはすらむかし」。「何かは。今も、さおはせかし。宮、いかが思さむ、かたじけなけれども」。「ここには、大将の歳のほど見給ふるに、今にあらねばこそ」と聞こえ給へば、「いさや、なほ荒め言なり。今、かの一条の西の対の君は尋ね侍らむ」と聞こえ給ふ。
そうこうするほどに、朱雀院のご兄弟、承香殿の女御と呼ばれている腹の、斎宮([伊勢神宮の斎王])であられる、女御がお隠れになられて、「京に上られるそうだ」と申して、右大臣殿【藤原兼雅】が申すには、「承香殿の女御の母方とは近い関係で、斎宮が小さい頃より、親しくして、時々お目にかかっておったのだが、顔かたち清らかにして趣きがあられて、折々に文など届けておったのだ、『いつかは』と将来を約束してくれたこともあったが、にわかに伊勢に下ることになったのだ、再び、お会いしようと思っておったのだが、残念でならぬ。大将【藤原仲忠】もそう思うであろう。まこと、斎宮になっておられなかったら、忍んで、もしや、会っておったかも知れぬ。まだ、歳も若かったのに残念なことよ」。「何を申されます。今は、宮【女三の宮】がおられるではありませんか。宮【女三の宮】が、どう思われることか、畏れ多いことです」。「わしは、大将【藤原仲忠】にどうかと思っておったのだ、お前が(朱雀院の女一の宮と)結婚しておらなければ」と申すと、「いやはや、ご冗談でしょう。ちょうど今、あの一条の西の対の君を探しておるところです」と答えました。
(続く)