同じほどに出で給ふ。御君の御供に、殊に、人もなし。御迎へに参り給へるさるべき人、睦ましき人を、「参れ」とて添へ奉り給ふ。西の大宮なりけり。一町なれど、いみじう荒れて、いと幽かなり。祖母も、「かくなむ」と聞き給ひて、限りなく喜び給ふ。人どもに、菓物・肴など、清げにして出だし給へり。
大将【藤原仲忠】も女【宰相の上】と同じ頃に寺を出ました。君【小君】の供には、これといって、人はいませんでした。大将【藤原仲忠】は迎えに参った供にふさわしい者、懇意の者を、「供に参れ」と申して供に付けました。女の宿所は西大宮大路([大内裏西側に接していた通り])にありました。一町([300坪])の広さがありましたが、たいそう荒れて、たいそうみすぼらしい所でした。祖母は、「かくかくしかじか」と聞いて、限りなくよろこびました。供の者たちに、菓子・肴など、見た目よく出しました。
(続く)