Santa Lab's Blog


2014年 06月 17日 ( 25 )



「曽我物語」少将法門の事(その5)

そもそも、薬を得て、ぶくせずして死せんの事、崑崙山こんろんさんに行きて、玉を取らずしてかへり、栴檀せんだんの林に入りて、こずゑを待たずして果てなば、後悔こうくわいするとも、由なし。そのうへ五劫ごこふ思惟しゆい兆載てうさい永劫えいごふ万善まんぜん万行まんぎやう諸波羅蜜しよはらみつの功徳を三字にをさめ給へり。しかれば、『阿字あじ十方じつぱう三世仏、弥字みじ一切諸菩薩、陀字だじ八万諸聖教しよしやうげう』と言ふ時は、八万教法けうぼふ、諸仏菩薩も、名号みやうがうたひないの功徳となれり。しかれば、天台には、法報応ほつほうわう三身さんじん空仮中くうげちゆう三諦さんだいなりと釈しましましさうらふ。森羅万象しんらまんざう山河せんが大地だいぢ、弥陀に漏れたる事なし。これに依りて、ただもつぱら弥陀を以つて、法門ほふもんあるじとすと釈し給へり。




そもそも、薬を得て、服用することなく死ぬこと、崑崙山(中国古代の伝説上の山岳。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるらしい)に行き、玉を取らずに帰り、栴檀の林に入り、梢を待つ(持つ?)ことなく果てたなら、後悔したところで、仕方のないことです。その上、五劫思惟([阿弥陀仏が四十八願をたてる以前に、その誓いについて五劫もの長い間考え続けたこと])、兆載永劫([たいそうながい時間])をかけて万善万行([ありとあらゆる善と行])、諸波羅蜜([仏教で最も深奥の修行])の功徳を三字(阿弥陀)に納められたのです。そういうことですから、『阿字は十方三世仏、弥字は一切諸菩薩、陀字は八万諸聖教を顕しています』の名を、八万教法([釈迦の説いた教え])、諸仏菩薩も、名号たひないの功徳(大宝海の功徳?[功徳]=[現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根])と呼んでいるのです。しかれば、天台宗では、法報応の三身([仏に具わる三身、法身如来、報身 如来、応身如来])を、空仮中の三諦([三つの真理。この世の事物はすべて実体ではないとする空諦、すべて縁起によって生じた現象であるとする仮諦、すべては空・仮を超えた絶対的真実であるとする中諦])であると、解釈します。森羅万象、山河大地も、阿弥陀の慈悲を受けないものはありません。この道理により、ただひたすらに弥陀の名を唱えることを、法門([法門])の第一とすると説くのです。


続く
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by santalab | 2014-06-17 22:27 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」少将法門の事(その4)

しかれば、内典ないでん外典げでんに嫌はれたるところに、弥陀如来、『極重ごくぢゆう悪人、無他むた方便はうべん』と誓ひ給ひて、別にまた、女人成仏じやうぶつぐわんあり。かほどに、ねんごろにあはれみ給ふ事を、信ぜずぎやうぜずして、また三途さんづかへらん事、例へば、耆婆ぎば万病まんびやうをば癒す薬、諸々の薬、何両なんりやう合はせたりと知らざれども、服すれば、即ち癒ゆ。病ひきはめて重き者の、薬ばかりにてはと疑ひて、服せずは、耆婆が医術も、扁鵲へんじやく医方いはうも、えきあるべからず。その如く、煩悩ぼんなう悪業あくごふは、極めて重し。この名号みやうがうにてはいかがと疑ひて、信ぜずぎやうぜざらんは、弥陀本願ほんぐわんも、釈迦の説教せつきやうも、空しかるべし。




しかれば、内典([仏教の経典])・外典([仏教以外の書籍])にも嫌われた女人ですが、阿弥弥陀如来は、『極重悪人には、名号を唱えるほかに救う道はない』と誓われて、別にまた、女人成仏をも願われたのです。これほどまでに、懇ろにあわれまれたのですから、信じることなく、また三途([地獄道・畜生道・餓鬼道])に帰ることは、たとえるなら、耆婆(古代インドの名医。釈迦の弟子の一人)が万病を治す薬、諸々の薬を、何両合わせたかは知りませんが、服用すれば、たちまち直ったといいます。病い極めて重い者が、薬だけでは治らないと疑って、飲まなければ、耆婆の医術も、扁鵲(中国、戦国時代の伝説的名医)の医方も、役には立ちません。同じように、煩悩悪業は、極めて重い罪です。阿弥陀仏の名号と唱えたところでと疑って、信じることなく行いもしないのでは、弥陀の本願(四十八願)も、釈迦の説教も、ただむなしいだけです。


続く
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by santalab | 2014-06-17 22:21 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」少将法門の事(その3)

天台山てんだいさんは、桓武くわんむ起願きぐわん伝教でんげう建立こんりうなり。一乗の峰高うして、真如の月ほがらかなりといへども、五障ごしやうの闇を照らす事なし。高野山かうやさんは、嵯峨の天皇てんわう御宇ぎよう弘法こうぼふ大師の地を示し、八葉はちえふの峰、八の谷、冷々として、みづいさぎよしと雖も、三従さんじゆうの垢をば雪がず。その外、金峰きんぷの雲のうへ醍醐だいご霞の底、深し、白山しらやま書写しよしやの寺、斯様かやうの所々には、女人近付く事もなし。しかれば、あるきやうもんには、『三世の諸仏まなこは、大地だいぢに落ちて朽つとも、女人成仏じやうぶつする事なし』と言へり。また、あるきやうの文には、『女人は、地獄ぢごくの使ひなり、よく仏の種を断つ。外のかほは、菩薩に似たれども、内の心は、夜叉の如し』と言へり。




天台山(比叡山)は、桓武(第五十代桓武天皇)の起願、伝教大師(最澄)の建立です。一乗([大乗仏教で、仏と成ることのできる唯一の教え])の峰は高くして、真如([真理])の月は穏やかに照らしますが、五障([女性が持つとされた五つの障害])の闇を照らすことはありません。高野山は、嵯峨天皇(第五十二代天皇)の御宇、弘法大師(空海)が地を示し、八葉の峰、八の谷、冷々として、水清しといえども、三従([いまだ嫁せずして父に従い,すでに嫁して夫に従い,夫死して子に従うこと])の垢を雪ぐことはありませんでした。その外、金峰(現奈良県吉野郡吉野町にある金峯山寺)の雲の上、醍醐(現府京都市伏見区にある醍醐寺)霞の底は、深く、白山(現石川・岐阜県境にある山。かつて白山権現奥の院があったらしい)、書写(現兵庫県姫路市にある山)の寺(円教寺)、さようの所には、女人が近付くこともありません。なれば、ある経文には、『三世の諸仏の眼が、大地に落ちて朽ちるとも、女人が成仏することはない』と書いてあります。また、ある経文には、『女人は、地獄の使いである、仏になる種を断つ。外面は、菩薩に似ているが、内心は、夜叉の如し』とあります。


続く
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by santalab | 2014-06-17 22:14 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」少将法門の事(その2)

先づ、法然房ほふねんばうが如くは、七千余くわん経蔵きやうざうに入りて、つらつら出離の要義えうぎを案ずるに、けんに付けみつに付け、開悟かいご安からず、事と言ひと言ひ、修行しゆぎやう成就じやうじゆし難し。一実いちじつ円融ゑんゆうの窓のまへには、即是そくぜ妙観めうくわんに疲れ、三密同体のゆかうへには、また現世げんぜ証入しようにふあらはし難し。しかるあひだ涯分がいぶんを計りて、浄土じやうどを願ひ、他力を頼み、名号みやうがうを唱ふ。まことに、浄土の経文けうもんは、直至ぢきし道場だうぢやう目足もくぞくなり。有智うち無智、たれの人か帰せざらんや。すでに正像しやうざう早く暮れて、戒定慧かいぢやうゑの三学は名のみ残りて、有教無人うけうむにん有名無実うみやうむしつなり。殊に女人は、五障ごしやう三従さんじゆうとて、さはりある身なれば、即身成仏じやうぶつは、先づ置きぬ、聞法もんぼふ結縁けちえんの為に、霊仏霊社に詣づるさへ、踏まざる霊地あり、拝せざる仏像ぶつざうあり。




まず、法然房(浄土宗の開祖)が申されたのは、七千余巻の経蔵に入りて、よくよく出離([迷いを離れて解脱の境地に達すること])の要義を案ずるに、顕([顕教]=[密教以外の仏教])に付け密([密教])に付け、悟りを開くことは簡単でなく、事と言い理と言い、修行成就はなり難いものであるということです。一実([絶対平等の真実])円融([それぞれの事物が、その立場を保ちながら一体であり、互いにとけ合っていて障りのないこと])の窓の前には、即是([空即是色]=[宇宙の万物の真の姿は空であって、実体ではない。しかし、空とは、一方的にすべてを否定する虚無ではなく、知覚しているこの世の現象の姿こそが空である])の妙観に疲れ、三密([口密・身密・意密])同体の床の上には、また現世において証入([正しい智慧によって真意を悟ること])を顕わすことは難しいことです。ですから、涯分([力の及ぶ限り])、浄土([極楽浄土]=[阿弥陀仏の住む世界])を願い、他力([阿弥陀仏が衆生を救済する本願])を頼み、名号([阿弥陀仏の御名])を唱えなさい。まことに、浄土の経文は、すなわち道場([仏道修行])にとってもっとも重要なものです。有智([智恵のあること])無智の者、この恩恵を受けない者などいるはずもありません。すでに正像([正法と像法])早くも暮れて([末法]=[仏教が廃れる時期])、戒定慧([仏道修行に必要な三つの大切な事柄。悪を 止める戒と、心の平静を得る定と、真実を悟る慧。三学])の三学は名ばかり残って、仏教を保つ者はなく、有名無実([名ばかりが立派で、それに見合う実質が伴わないさま])といえましょう。とりわけ女人は、五障三従([女性に加えられた五種の障りと三種の忍従])と申して、障りある身ですから、即身成仏は、さておき、聞法結縁([仏法と縁を結ぶこと])のために、霊仏霊社に詣でても、入れない霊地があり、拝めない仏像があるのです。


続く
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by santalab | 2014-06-17 22:08 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」少将法門の事(その1)

虎、少将せうしやうの方を見遣り、少し打ち笑ひ、「あにこそ、念仏の法門ほふもんども知らせ給ひてさうらへ。まうして聞かせまゐらせ給へ」とまうしければ、「わらはも、くはしき事は知りまゐらせず候ふ。一年ひととせ、都にて、法然ほふねん上人しやうにんおほせしは、『そもそも、生死しやうじの根源をたづね候へば、ただ一念の妄執まうしうにかどはされて、由なく法性ほつしやうの都を迷ひ出でて、三界さんがい六道に生まれ、衆生しゆじやうとはなれり。しかれば、地獄ぢこくの八寒八熱の苦しみ、餓鬼の饑饉の愁へ、畜生ちくしやう残害ざんがいの思ひ、その外、天上てんじやう五衰ごすい、人間の八苦、一つとして受けずと言ふ事なく、上は有頂天うちやうてんを限り、しも阿鼻あびきはとして、出づる期はなきがゆゑに、流転るてんの衆生とはまうすなり。しかりといへども、宿善やもよほしけん、今人間に生まれぬ。内に、本有ほんう仏性ぶつしやうあり、外に、諸仏の悲願ひぐわんあり。人木石ぼくせきにあらず、発心ほつしんせば、などか成仏じやうぶつ得脱とくだつなからん。それについて、修行しゆぎやうまちまちなりと雖も、我らが如きの衆生は、諸教しよけうの徳に適ひ難し。




虎御前(祐成すけなりの妾)は、少将(手越少将。工藤祐経すけつねの妾)の方を見て、微笑んで、「あなたから、念仏の法門([釈迦の教え])を教えてあげてください。どうか話して聞かせてあげて」と申せば、少将は「わたしも、詳しいことは知りません。一年、都に参りまして、法然上人が申されたことは、『そもそも、生死の根源とは何かと申せば、ただ一念の妄執にたぶらかされて、訳もなく法性の都を迷い出て、三界六道([三界=欲界・色界・無色界と六道=地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天])に生まれ、衆生([人])となったのです。ならば、地獄の八寒八熱([八寒地獄と八熱地獄])の苦しみ、餓鬼の饑饉([食料が不足すること])の悲しみ、畜生の残害([傷つけ、殺すこと])の思い、そのほか、天上五衰([六道最高位の天界にいる天人が、 長寿の末に迎える死の直前に現れる五つの兆し])、人間の八苦([生・老・病・死の四苦と思うようにならない四つの苦])、一つとして受けないことなく、上は有頂天([天上界における最高の天])を限り、下は阿鼻地獄([最悪の地獄])を際として、三界六道を出ることはないために、流転の衆生と申すのです。とはいえ、宿善のお蔭でしょうか、今生で人間に生まれたのです。内には、本有([本来的な存在])の仏性([仏の性質・本性])を持ち、外には、諸仏の悲願があります。人は心ない木石ではありません、発心すれば、どうして成仏得脱([死んでこの世の苦しみから解放されること])できないはずはありません。そのために、修行は数多くありますが、わたしたち衆生が、諸教の徳に与ることはむずかしいことです。


続く
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by santalab | 2014-06-17 22:00 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗召し捕らるる事(その3)

君も、この由聞こし召して、糸毛いとげの御腹巻に、御重代の鬚切ひげきり抜き、出でさせ給ひける。相模の国の住人ぢゆうにん大友おほともの左近の将監しやうげんが嫡子、一法師丸いちぼふしまるとて、生年しやうねん十三になりけるが、御前おんまへ去ぬ者なるが、小賢しく、御寮れうの御袖を控へ奉り、「日本国につぽんごくをだにも、君はながら従へ給ふべきに、これは、わづかなる事ぞかし。いかさま、若き殿ばらの酔狂すひきやうか、をんなまたは盃論か、宿論か。いづれにてさうらはんに、御座ながら、たづね聞こし召され候へ」と止めまうしければ、げにもとや思し召し候ひけん、止まり給ひけり。さしも出でさせ給ひて、五朗ごらう見え給ふものならば、危ふくぞ思えけり。後に、御恩賞おんしやうにぞあづかりける。古き言葉を見るに、大象兎径とうけいに遊ばず、君子文旨ぶんしに関はらずと云ふ事こそ思ひ遣られたり。その後、小平次、御前にまゐり、畏まつてまうし上げけるは、「曽我の五朗ごらうをば搦め捕りてさうらふ。十郎じふらうは討たれて候ふ」と申したりければ、「神妙しんべうに申したり。五朗をば、なんぢあづくるぞ」とおほせ下されけり。あはれなりし次なりけり。




君(源頼朝)も、これを聞いて、糸毛([糸威]=[糸の平組の緒でさねを綴った鎧])の腹巻([鎧])に、重代に鬚切([平安時代に源満仲みつなかが作らせたとされる刀。北野天満宮所蔵])を抜き、出て来ました。相模国の住人、大友左近将監(大友能直よしなほ)の嫡子で、一法師丸と言って、生年十三になる者、頼朝の御前から去らぬ者でしたが、生意気にも、御寮([貴人またはその子息・息女])の袖を引いて、「日本国さえも、君(頼朝)は鎌倉に居ながらにして従えているのです、これは、大事ではありません。きっと、若き殿たちの酔狂([酒に酔ってとりみだすこと])か、女または盃論([酒席で杯を差す順序を言い争うこと])か、宿論(長年の恨み)によるものか。いずれにしても、後ほど、訊ねられなさいませ」と止め申せば、なるほどと思ったのか、出て行くのを止めました。もし面と向って、五朗に見られたなら、危うくも思われました。後に、一法師丸は恩賞に預かりました。古い言葉を見るに、大象は兎径に遊ばず([大きな志を持っている者は、目標を持たない小物はと交わらない])、君子文旨に関わらず(正しくは「君子以文会友」=[君子は学問を通じて交友を結び、交友を通じて互いに 人格を高め合うものである])ということが思い出されるのでした。その後、小平次が、御前にまゐり、畏まつてまうし上げけるは、「曽我五朗(曽我時致ときむね)を搦め捕りました。十郎(曽我祐成すけなり)は討たれました」と申したので、頼朝は「よくやった。五朗を、お主に預けるぞ」と命を下されました。時致もまた哀れでした。


続く


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by santalab | 2014-06-17 20:37 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗召し捕らるる事(その2)

時致ときむねは、なほも親家ちかいへを手捕りにせんと追ふところを、五郎丸、我が前を遣り過ごし、続きて掛かる、かひなくはへて取り、「えたりや、おう」とぞ抱きける。五朗ごらうは、大力だいぢからに抱かれながら、物ともせず、「こは如何に、をんなにてはなかりけり、物々しや」と言ひつつ、引きて中へぞ入りにける。五郎丸ごらうまる、叶はじとや思ひけん、「敵をば、かうこそ抱け、斯様かやうにこそ抱け」と、高声かうしやうなりければ、彼らが傍輩はうばい、相模の国のせんし太郎丸走り寄り、「逃がすな」とて取り付く。その後、うまやの小平次を始めとして、手柄の者ども走り出でて、五四人取り付きけれども、五朗は、物ともせず、二三人をばけころばかし、大庭おほにはをどり出でんと心ざしけるが、板敷きこら左右さうの足に取り付きければ、その外の雑色ざつしきども、「余すな、漏らすな」とて、かなぐり付く。これや、文選もんぜんの言葉に、「百足むかでは、死に至れども、たはふれすな」となり。心は猛く思へども、多勢に敵はずして、空しく搦め捕られけり。無慙なりし有様なり。




時致(曽我五朗時致)は、なおも親家(堀親家)をを手捕りにしようと追うところを、五郎丸は、我が前を遣り過ごして、続いて掛かりました、腕ごと捕らえると、「捕まえたぞ、おう」と時致を抱きかかえました。五朗は、大力に抱えられながらも、物ともせず、「どういうことだ、女ではなかったか、なんという馬鹿力ぞ」と言いながら、五郎丸を引きずりながら中へ入りました、五郎丸は、叶わないと思ったのか、「敵は、こうして、抱くものよ」と、大声を上げたので、傍輩([仲間])の、相模国のせんし(?)太郎丸が走り寄り、「逃がすな」と言って時致に取り付きました。その後、厩の小平次を始めとして、手柄([腕前])の者ども走り出でて、五四人取り付きましたが、五朗(時致)は、物ともせず、二三人を倒して、大庭に躍り出ようとしましたが、板敷きは耐え切れずに、五朗は、足を踏み落とし、立とうとするところに、小平次・弥平次が起き上がり、左右の足に取り付いたので、その外の雑色([蔵人の職位の一])どもが、「余すな、漏らすな」と言って、かなぐり付きました。これこそ、『文選』(中国の詩文集)の言葉に、「百足は、死んでも、倒れない」とあるようなものでした。五朗(時致)は心は勇敢でしたが、多勢に敵わずして、むなしく搦め捕られたのでした。哀れなことでした。


続く
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by santalab | 2014-06-17 20:31 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」五朗召し捕らるる事(その1)

ここに、ごらうまるとて、御寮れうの召し使ふわらはあり。もとは、きやうの者なりしが、叡山にぢゆうして、十六の年、師匠ししやうかたきを討ち、在京ざいきやう叶はで、東国に下り、一条いちでう二郎じらう忠頼ただよりを頼みたりしに、忠頼、御敵とて討たれ給ひて後、この君にまゐりたりしが、究竟くつきやうの荒馬乗りの者、七十五人が力持ちけり。よひのほどは、夜討ちといへども、音もせず。御前近く祗候しこうせしに、五朗ごらう親家ちかいへを追うて入るを見て、薄衣うすぎぬ引きかづ際きはに立ちけり。五朗は、一目見たりけれども、やかたを出でし時、「女房にようばうに手ばし掛くるな」と、兄が言ひし言葉ありければ、太刀のむねにて、とほり様に、一太刀当ててぞ過ぎける。五郎丸ごらうまると知るならば、ただ一太刀に失はんと、危ふくこそ思えけれ。




ここに、五郎丸という、御寮([貴人またはその子息・息女])が召し使う童がいました。もとは、京の者でしたが、比叡山に住んで、十六の年に、師匠の敵を討ち、在京も叶わず、東国に下り、一条二郎忠頼(一条忠頼)を頼りましたが、忠頼は、頼朝の敵として討たれて後、この君(源頼朝)の許に参りました、究竟の荒馬乗りの者で、七十五人力がありました。宵のほどは、夜討ちといえども、音もしませんでした。御前近く祗候していましたが、五朗(時致ときむね)が親家(堀親家)を追って入るのを見て、薄衣引き被き、幕の際に立ちました。五朗(時致)は、一目見ましたが、館を出る時、「女房に手は掛けるな」と、兄(祐成すけなり)が言ったので、太刀の背で、通り様に、一太刀当てて通り過ぎました。五郎丸と知っていたならば、ただ一太刀に失うものをと、危うく思えました。


続く
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by santalab | 2014-06-17 20:25 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」母歎きし事(その7)

責めての事にや、仏に向かひてくどきけるは、「げにや、彼らが父の討たれし時、如何なる淵瀬にも入りなんと、思ひ焦がれしに、彼らを世に立てんと思ひて、つれなく命永らへ、飽かぬ住まひの心憂かりつるも、ひとへに子どもの為ぞかし。斬られまゐらせての後、一日片時へんしのほども、身は、が為にしかるべき。願はくは、我らが命も取り給ひて、彼ら一所に迎へ取り給へ」と、こゑも惜しまず泣きたり。まことや、身に思ひのある時は、とがもましまさぬ神仏かみほとけを恨み奉り、泣きてはくどき、恨みては泣き、伏ししづみけるこそ、責めての事とは思えける。




母はどうしようもなく、仏に向かって申すには、「あの時、彼らの父(河津祐泰すけやす)が討たれた時に、どの淵瀬にも入ろうと、思いつめておりましたが、彼らを世に立てようと思って、憂き世に命永らえ、心苦しくも月日を送ってきたのは、ただ子どものためでした。もし子どもたちが斬られたら、一日片時も、この身を、惜しむことはありません。願わくは、わたしの命も取って、彼らと同じ場所へお迎えくださいますよう」と、声も惜しまず泣きました。まこと、身に悲しみのある時は、罪もない神仏を恨み、泣いては祈り、恨んでは泣き、伏し拝むほかに、何もできませんでした。


続く
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by santalab | 2014-06-17 11:46 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」母歎きし事(その6)

母は、なほも止まり兼ねて、かどの外まで惑ひ出でて、彼らが後ろ姿を見送り、泣くより外の事ぞなき。子どもも、後ろのみ見かへりしかば、駒をも急がず、後に心は留まりけり。互ひの思ひ、さこそと推し量られて、あはれなり。母は、子どもの後ろも見えず、とほざかり行きければ、すなはちたふれ伏しにけり。女房にようばうたち、急ぎ引き立て、やうやう介錯して、泣く泣く内にぞ入りにける。持仏堂ぢぶつだうまゐり、くどきけるは、「大慈大悲の誓願せいぐわん、枯れたる草木にも、花咲き実生るとこそ聞け。などや、彼らが命をも助け給はざらん。これ、幼少えうせういにしへより、深く頼みを懸け奉る。毎日に三巻さんぐわん普門品ふもんぼん怠らざるしるしに、彼らが命を助け給へ」と、悶え焦がれけるぞ、無慙なる。




母は、なおもじっとしていられなくて、門の外まで惑い出て、一萬いちまん筥王はこわうの後ろ姿を見送り、泣くよりほかありませんでした。子どもたちも後ろを振り返り見たので、景季かげすゑ(梶原景季)も馬を急がせず、後ろを気にしました。互いの思いを、当然のことと思って、悲しく思うのでした。母は、子どもの後ろ姿が見えなくなり、遠ざかると、たちまち倒れてしまいました。女房たちが、急いで引き起こして、なんとか介錯したので、泣く泣く内に入りました。持仏堂([仏間])に参り、申すには、「大慈大悲(観世音菩薩)の誓願は、枯れた草も、花咲き実が生ると聞いております。どうして、彼らの命をお助けにならないことがありましょうや。観音菩薩こそ、幼少の頃より、深く頼みを懸けております。毎日に三巻の普門品([法華経第二十五品『観世音菩薩普門品』])を怠らぬその験に、彼らの命をお助けくださいませ」と、一心に願う姿が、哀れでした。


続く
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by santalab | 2014-06-17 11:41 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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