Santa Lab's Blog


2014年 06月 21日 ( 4 )



「曽我物語」大見・八幡を討つ事(その3)

すなはち、大見おほみ小藤太ことうだが許へ押し寄せたり。この者は、本より、心下がりたる者にて、八幡やはたが討たるるを聞きて、取るもの取り敢へず、落ちたりしを、狩野境かのざかひに追ひ詰めて、搦め捕りて、かわはたにて、首を刎ねたり。九郎は、二人が首を捕りて、父入道にふだうに見せければ、由々しくも振る舞ひたりとぞ感じける。曽我にありける河津かはづが妻女さいぢよも、喜ぶ事限りなし。祐清すけきよは、入道がいきどほりを止め、兄が仇を討ちし孝行かうかう一方ひとかたならぬ忠とぞ見えける。




伊東祐清すけきよはすぐに、大見小藤太の許に押し寄せました。この者は、本より、覚悟のない者でしたので、八幡(八幡行氏ゆきうぢ)が討たれたことを聞いて、取るものも取りあえず、逃げましたが、祐清は狩野境に追い詰めて、搦め捕って、狩野川(伊豆半島を流れる川)の端で、首を刎ねました。九郎(祐清)は、二人(八幡行氏・大見小藤太)の首を捕って、父入道(伊東祐親すけちか)に見せれば、よくやったと褒めました。曽我(現神奈川県小田原市)にいる河津(河津祐泰すけやす)の妻女も、たいそう喜びました。祐清は、入道(祐親)の怒りを止め、兄の仇を討った孝行は、並々ならぬ忠と思えました。


続く
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by santalab | 2014-06-21 12:44 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」大見・八幡を討つ事(その2)

幾程なくして、「来たりぬ」と告げければ、いへの子郎等らうどう八十余人、直兜ひたかぶとにて、狩野かのと言ふ所へ押し寄せたり。八幡やはた三郎さぶらう、さる者にて、「思ひまうけたり。いづくへか引くべき」とて、親しき者ども十余人、込め置きたりしが、矢ども打ち散らし、差し詰め引き詰め、取り取り散々に射ける。矢庭やにはに、かたき数多あまた射落とし、矢種尽きしかば、差し集まりて、しゆうの為に命捨つる事、露ほどもしからず。所詮、望み足りぬ」と言ひて、差し違へ差し違へ、残らず死にけり。八幡やはたは、腹を十文字じふもんじに掻き破り、三十七にて失せにけり。




しばらくして、「帰って来ました」と告げたので、家の子([一門の者])郎等([家来])八十余人が、直兜([全員が、鎧・兜を着用して身を固めること])で、狩野(現静岡県の伊豆半島)と言う所へ押し寄せました。八幡三郎(八幡行氏ゆきうぢ)は、機転がきく者でしたので、「かねて思っていたことだ。どこへ引くべきか」と言って、親しい者ども十余人を、置いていました、矢を打ち散らし、差し詰め引き詰め、それぞれ散々に矢を射ました。たちまち、敵を多く射落とし、矢種が尽きれば、一所に集まって、主のために命を捨てることを、露ほども惜しみませんでした。所詮、助からぬ命よ」と言って、差し違え差し違え、残らず死にました。八幡(行氏)は、腹を十文字に掻き破り、三十七で失せました。


続く
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by santalab | 2014-06-21 12:39 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」大見・八幡を討つ事(その1)

三千世界は、まなこの前まへに付き、十二じふに因縁いんえんは、心のうちに空し。浮き世に住むも、捨つるも、安からぬ命、いつまで永らへて、荒ましのみに暮らさまし。伊東入道にふだうは、何に付けても、身の行方ゆくへ、あぢきなくして、子息の九郎祐清すけきよを呼び寄せ、「入道が生きての孝養けうやうと思ひ、大見おほみ・八幡やはたが首を捕りて見せよ」と言ひければ、「うけたまはりぬ。このあひだも、内々案内者を以つて、見せさうらへば、他行たぎやうの由、まうし候ふ。もしかへり候はば、告げ知らすべき由、申す者の候ふに依つて、待ち候ふ。余し候ふまじ」とて、座敷を立ちぬ。




三千世界([世間])は、目に見えても、十二因縁([人間が過去・現在・未来の三界を流転する輪廻のようすを説明した十二の因果関係])は、心の内に見えずむなしいものです。浮き世に住むも、捨てるも、心穏やかならず、いつまで永らえて、思うがままに生きることができましょう。伊東入道(伊東祐親すけちか)は、何に付け、行く末を、つまらないものと思い、子の九郎祐清(伊東祐清)を呼び寄せ、「この入道(祐親)の生きての孝養と思うて、大見(大見小藤太ことうだ)・八幡(八幡行氏ゆきうぢ)の首を捕って見せよ」と言ったので、「分かりまた。この間も、内々案内者に、訪ねさせましたが、他行([外出])していると、いうことでした。もし帰ったら、知らせると、申しておりますので、待っているのです。決して漏らすことはありません」と言って、座敷を出て行きました。


続く
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by santalab | 2014-06-21 12:35 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」伊東を調伏する事(その3)

これ、まことに神慮にも背き、子孫も絶えぬべき悪事なるをや。たとひ他人なりと言ふとも、親やうじてゆづうえは、違乱いらんの義あるべからず。増して、これは、寂心じやくしん、内々継娘ままむすめの許に通ひて、まうけたる子なり。まことには兄なり。譲りたる上、争ふ事、無益むやくの由、余所余所にもまうし合ひけり。しかれども、祐親すけちか止まらで、対決度々に及ぶといへども、譲状ゆづりぢやうを捧ぐるあひだ、伊東が所領しよりやうに成りて、河津かはづは負けてぞ下りける。




これは、まことに神慮にも背き、子孫も絶えるほどの悪事でした。たとえ他人であるといえども、親(伊東祐隆すけたか)が養育し譲った上は、違乱([秩序を乱すこと])することではありませんでした。まして、嫡男祐継(工藤祐継すけつぐ)は、寂心(祐隆)が、内々継娘の許に通って、設けた子でした。実の兄だったのです。親が譲った上は、争ったところで、無益であることを、ほかの者たちも言い合っていました。けれども、祐親はなおもあきらめきれずに、対決は度々に及びましたが、祐親は譲状([財産の譲渡を証する証文])を持っていましたので、結局伊東(祐継)の所領となって、結局河津(祐親)は負けました。


続く
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by santalab | 2014-06-21 08:16 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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