Santa Lab's Blog


2014年 06月 22日 ( 2 )



「曽我物語」大見・八幡を討つ事(その5)

幾程なくして、寂心じやくしんは、隠れさせ給ひけり。しかればにや、後白河ごしらかは法皇ほふわうも、鳥羽の離宮に渡らせ給ひし時、おほきなるいたちまゐりて、鳴き騒ぎけり。博士に御たづねありければ、『三日の内に御喜び、または御歎き』とぞ申まうしける。それに合はせて申す如く、次の日、御子高倉宮、御謀反あらはれ、奈良路ならぢにて討たれさせ給ひぬ」。




ほどなくして、寂心(伊東祐隆すけたか祐親すけちかの祖父・養父)が、亡くなりました。そういえば、後白河法皇(第七十七代天皇)にも、鳥羽離宮(京都市南区・伏見区にあった院御所)に移られた時(清盛によって幽閉された)、大きないたちがやって来て、鳴き騒ぐことがありました。博士(安倍泰親やすちか。陰陽師)に占わせると、『三日のうちに喜びと、悲しみがありましょう』と答えました。占い通り、次の日、子である高倉宮(後白河院の第三皇子以仁王もちひとわう)の、謀反が明らかとなり、高倉宮は奈良路(奈良に通じる道)で討たれました(高倉宮=以仁王が討たれたのは、『平家物語』によると京都府相楽そうらく郡にある光明山の鳥居前らしい)」。


続く


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by santalab | 2014-06-22 10:08 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」大見・八幡を討つ事(その4)

さても、八幡やはた三郎さぶらうが母は、久須見くすみ入道にふだう寂心じやくしんが乳母子なり。八しゆんに余りけるが、残り止まりて、思ひの余りにくどきけるは、「御しゆうの為に、命を捨つる事は、本望ほんまうなれども、この乱の起こりをたづぬるに、過ぎにし親のゆづりを背き給ひしに依つてなり。しかるに、寂心、世にましませし時、公達数多あまた並み据ゑて、酒宴半ばの折節をりふし、持ち給ひつる盃の中へ、空よりおほきなるいたち一つ入りて、御膝のうへに飛び下りぬと見えしが、何処いづくともなく失せぬ。希代きたいの不思議なりとて、やがて考へさするに、「おほきなる表事へうじ、慎み給へ」とまうしたりしを、さしたる祈祷きたうもなくて、過ぎ給ひぬ。




それにしても、八幡三郎の母は、久須見入道寂心(伊東祐隆すけたか。祐親の祖父・養父)の乳母子でした。八十歳を越えていましたが、命永らえて、思いの余り何度も申すには、「武士が主(工藤祐経すけつね)のために、命を落とすのは、本望ですが、そもそもこの乱が起こったのは、すでに世を去った祐家(伊東祐家すけいへ)の親(伊東祐隆すけたか)が遺言に背いて祐親(伊東祐親すけちか)から荘園を取り上げたからです。けれども、寂心(伊東祐隆)が、出家する前のことですが、君達([子弟])たち多くを集めて、酒宴も半ば過ぎた頃、持っていた盃の中へ、空から大きないたちが一つ飛び込んで、膝の上に飛び降りたと見えて、どこへ行ったのか消えてしまいました。希代([世にもまれなこと])の不思議と、すぐに占わせると、「出過ぎたことを、慎め」と申しましたが、さしたる祈祷もしないまま、日々は過ぎて行きました。


続く
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by santalab | 2014-06-22 10:02 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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