Santa Lab's Blog


2014年 06月 23日 ( 3 )



「曽我物語」祐信、兄弟連れて、鎌倉へ行きし事(その2)

早天さうてんに、源太げんだ左衛門さゑもん、御所へまゐりければ、祐信すけのぶ、遙かにかど送りして、「彼らが事は、一向いつかうに頼み奉る。如何にもよきやうまうしなされ、郎等らうどう二人ありと思し召しさうらへ」と、まことに思ひ入りたる有様、あはれにて、源太も、不便ふびんに思えて、「げにや、子ならずは、何事にか、これほどのたまふべき。人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは、げにことわりと思えて、景季かげすゑも、子ども数多あまた持ちたる身、さらさら人のうへとも存じ候はず」とて、忍びの涙を流しけり。「心の及ぶところは、等閑とうかんあるべからず候ふ。心安く思ひ給へ」とて出でければ、頼もしくぞ思ひける。




早朝になって、源太左衛門(梶原景季かげすゑ)が、御所へ参るというので、祐信(曽我祐信)は、遙かに門送りして、「彼ら(一萬・筥王)のことを、よろしくお願いします。どうかよくように申し上げてください、郎等([家来])二人のことと思われて」と、思いつめた様子が、かわいそうで、源太(景季)も、哀れに思って、「分かりました、我が子でなければ、どうしてそこまで申しましょう。人の親の心は闇ではありませんが、子を思う道に迷うとは、もっともなことです、この景季も、子どもを多く持つ身です、まったく他人の身の上のこととも思えません」と言って、忍び涙を流しました。「できる限りのことを、等閑([おろそか])ならず申し上げましょう。安心なさいませ」と言って出て行きましたので、祐信は頼もしく思いました。


続く
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by santalab | 2014-06-23 21:23 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」祐信、兄弟連れて、鎌倉へ行きし事(その1)

さて、祐信すけのぶは、梶原かぢはらもろともに打ち連れて、駒を早むるとはなけれども、夜に入りて、鎌倉へこそ着きにけれ。今夜は、遙かに更けぬらんとて、景季かげすゑやかたに止め置きたり。祐信は、二人の子ども近くて、今宵こよひばかりと思ふにも、残りおほくぞ思はれける。名残りの夜はも明け安き、隈なき軒を漏る月も、思ひの涙に掻き曇り、とりと同じく泣き明かす、心の内こそ無慙なれ。




その後、祐信(曽我祐信)は、梶原(梶原景季かげすゑ)もろともに打ち連れて、馬を急がせることはありませんでしたが、夜になって、鎌倉に着きました。その夜は、夜はすっかり更けていたので、景季の館に止め置きました。祐信は、二人の子ども(一萬・筥王)の近くに居て、今宵ばかりと思うにも、名残りは尽きることはありませんでした。名残りの夜はすでに明けようとしていました、隈なき軒から漏れる月さえ、悲しみの涙に掻き曇り、鶏と同じく泣き明かす、心の内は哀れでした。


続く
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by santalab | 2014-06-23 08:31 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」伊東を調伏する事(その4)

その後、うへに親しみながら、内々安からぬ事にぞ思ひける。しかれども、我が力には適はで、年月を送り、ある時、祐親すけちか、箱根の別当べつたうを秘かに呼び下し奉り、種々にもてなし、酒宴過ぎしかば、近く寄り、畏まりてまうしけるは、「予ねてより知ろし召されてさうらふ如く、伊東をば、嫡々にて、祐親すけちかあひ継ぎ候ふべきを、思はずの継娘ままむすめの子来たりて、父の墓所はかどころ、先祖の重代ぢゆうだい所領しよりやう横領わうりやう仕る事、余所にて見え候ふが、余りに口惜くちをしく候ふあひだ、御心をも憚らず、まうし出だし候ふ。しかるべくは、伊東武者が二つなき命を、立ち所に失ひ候ふやうに、調伏てうぶくありて見せ給へ」と申しければ、別当べつたう聞き給ひて、しばらく物ものたまはず、ややありて、「この事、よくよく聞き給へ。一腹一生いつしやうにてこそましまさね、兄弟きやうだいなる事は眼前がんぜんなり。公方くばうまでも聞こし召し開かれ、既に御下知げぢをなさるる上は、隔ての御恨みは、さる事にて候へども、忽ちに害心を起こし、親の掟を背き給はん事、しかるべからず。神明は、正直しやうじきかうべに宿り給ふ事なれば、定めて天の加護もあるべからず、みやう照覧せうらんも恐ろし。そのうへ、愚僧は、幼少えうせうより、父母の塵欲ぢんよくを離れ、師匠ししやうのかんしんに入りて、所説の教法けうぼふを学し、円頓ゑんどん止観しくわんの門を望み、一年毎に、稼穡かしよく艱難かんなんを思ひ、一度ひとたび切る時、紡績ばうせきの辛苦を忍ぶ。三衣さんゑを墨に染め、鬢髪びんぱつまろめ、仏の遺願ゆいぐわんに任せ、五戒を保ちしよりこの方、物の命を殺す事、仏殊に戒め給ふ。しかれば、衆生しゆじやうの身の中には、三身さんじん仏性ぶつしやうとて、三体の仏のまします。しかるに、人の命を奪はん事、三世さんぜの諸仏を失ひ奉るに同じ。諸々以つて、思ひ寄らざる事なり」とて、箱根に上り給ひけり。




その後、表面上は親しくしていましたが、内々心安からず思っていました。けれども、祐親の力ではどうしようもなく、年月を送っていました、ある時、祐親は、箱根別当(行実ぎやうじつ僧正)を秘かに呼び下して、様々にもてなし、酒宴を過ぎて、近く寄って、畏まって申すには、「かねてより知っておられる通り、伊東は、嫡々である、この祐親が相続するべきものでしたが、思いもかけず継娘の子(工藤祐隆すけたか)が相続して、父(伊東祐隆すけたか)の墓所、先祖重代の所領を横領したことは、すでに知られるところですが、あまりにくやしくて、憚ることなく、申し上げておるのです。どうか、伊東武者(祐隆)の二つとない命を、たちまち調伏してくだされ」と申せば、
別当はこれを聞いて、しばらくだまったままでした、しばらくして、「わたしの話を、よく聞きくださいませ。一腹一生([同じ父母から生まれた兄弟姉妹])であられぬとはいえ、兄弟であることに違いはございません。公方([将軍家])までも訴え申され、すでに沙汰が下された上は、恨みは、当然とは思われますが、たちまちに害心を起こし、親(伊東祐隆すけたか)の掟に背かれることは、よろしくございません。神明は、正直者に宿ると申しますれば、そのようなことをなされば天の加護もございません、冥([地獄])も見られておられることですし恐ろしいことでございます。その上、愚僧は、幼い頃より、父母の塵欲を離れ、師匠のかんしん(?)に入り、所説の教法を学し、円頓止観([人として理想の人格が完成された至上の境地のこと])の門を望み、一年毎に、稼穡([穀物の植えつけと、取り入れ])の艱難([困難に出あって苦しみ悩むこと])を思い、収穫の時には、紡績([糸をつむぐこと])の辛苦を忍んでおるのです。三衣([法衣])を墨に染め、鬢髪を丸め、仏の遺願に従い、五戒([不殺生・不偸盗ちゆうたう・不邪淫・不妄語まうご不飲酒おんじゆ])を保っておるのです、物の命を殺すことを、仏はとりわけ戒めておられます。ですから、衆生の身の中には、三身([大乗仏教で説かれる三種の仏身。法身・応身・報身])の仏性([仏となることのできる性質])と申して、三体の仏がおられるのです。つまり、人の命を奪うことは、三世([前世・現世・来世])の諸仏を失うのと同じです。どれほど頼まれても、思いもよらないことでございます」と申して、箱根山に上り帰りました。


続く
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by santalab | 2014-06-23 08:27 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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