Santa Lab's Blog


2014年 06月 24日 ( 4 )



「曽我物語」同じく伊東が死する事(その1)

伊東武者、これをば夢にも知らで、時ならぬ奥野の狩りして遊ばんとて、射手いてを揃へ、勢子せこもよほし、若党わかたうあひ具して、いづの奥野へぞ入りにける。頃しも、夏のすゑつ方、峰に重なる木の間より、村々に靡くは、さぞと見えしより、思はざる風にをかされて、心地例ならずわづらひ、心ざす狩場をも見ずして、近き野辺よりかへりけり。日数重なるほどに、いよいよ重くぞなりにける。その時、九つになりける金石かないしを呼び寄せて、ら手を取り、まうしけるは、「如何に己、十歳にだにもならざるを、見捨てて死なん事こそ、悲しけれ。生死しやうじ限りあり、逃るべからず。なんぢを、たれあはれみ、誰はごくみて育てん」と、さめざめと泣きけり。金石はをさなければ、ただ泣くより外の事はなし。女房にようばう、近く寄り、涙を抑へて言ひけるは、「適はぬ浮き世の習ひなれども、せめて、金石かないし十五にならんを待ち給へかし。さればとて、数多あまたある子にもあらず、また、掛子かけこある仲の身にてもなし。いかがはせん」と、歎きけるこそ、ことわりなれ。




伊東武者(工藤祐継すけつぐ)は、これを夢にも知らず、季節はずれの奥野(現静岡県伊東市)の狩りをしようと、射手を揃え、勢子([狩猟に際して野獣を追い出したり包囲して一方に誘導する者])を集め、若党([若い侍])をその数連れて、伊豆の奥野へ出かけて行きました。頃は、夏の終わり頃、峰に重なる木の間より、村々に靡く風は、意外に冷たくて、思いもしなかった風に冒されて、具合を悪くして、目指す狩場も見ないまま、ほど近い野辺より帰って来ました。日数重なるほどに、ますます病いを重らせました。その時、九つになる金石(後の工藤祐経すけつね)を呼び寄せて、みずから手を取り、申すには、「お前が、十歳にもならないのに、見捨てて死ぬことが、悲しい。生死には限りあり、遁れることはできぬ。お前を、誰があわれに、誰が育ててくれるのか」と、さめざめと泣きました。金石(祐経)は幼くて、ただ泣くよりほかありませんでした。女房が、近くに寄り、涙を抑えて申すには、「思うに任せないのが浮き世の習いですけれども、せめて、金石(祐経)が十五歳になるまでお待ちなさいませ。とは申しましても、子は多くおられませんし、また、わたしに掛子([隠し子])がいるわけでもございませんが。いったいどうすればよいのでございましょう」と、嘆き悲しむのも、当然のことでした。


続く


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by santalab | 2014-06-24 19:41 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」伊東を調伏する事(その6)

別当べつたう素気そきなき事ながら、檀那だんなの頼むとまうしければ、壇を立て、荘厳しやうごんして、伊東を調伏てうぶくせられけるこそ、恐ろしけれ。始め三日の本尊には、来迎らいかうの阿弥陀の三尊、六道能化のうけ地蔵ぢざう菩薩、檀那だんな河津かはづ次郎じらう所願しよぐわん成就じやうじゆの為、伊東武者が二つなき命を取り、来世にては、観音くわんおん・勢至、蓮台れんだいかたぶけ、安養あんやう浄刹じやうせつ引接いんぜうし給へ、片時へんしも、地獄ぢごくに落とし給ふなと、他念なく祈られけり。後七日の本尊には、烏蒭沙摩金剛うすさまこんがうとかう童子、五大明王みやうわう威験いげん殊勝しゆせうなるを、四方しはうに掛けて、紫の袈裟を帯し、種々に壇を飾り、肝胆かんたんを砕き、汗をものごはず、おもてをも振らず、余念なくこそ祈られけれ。昔より今に至るまで、仏法ぶつぽふ護持ごぢの御力、今に始めざる事なれば、七日に満ずる寅の半ばに、伊藤武者が盛んなる首を、明王みやうわうの剣の先に貫き、
壇上だんじやうに落つると見て、さては威験いげんあらはれたりとて、別当べつたう、壇を下り給ふ、恐ろしかりし事どもなり。




別当(行実ぎやうじつ僧正)は、気は進まないものの、檀那([布施をする人])が頼むと申されたことでしたので、壇を立て、荘厳にして、伊東(工藤祐継すけつぐ)を調伏することは、恐ろしいことでした。始め三日の本尊には、来迎の阿弥陀三尊([阿弥陀如来と、その左右に観音菩薩と勢至菩薩])、六道能化([六道の巷に現れて、衆生を教化し救う地蔵菩薩])の地蔵菩薩、檀那河津次郎(伊東祐親すけちか)の所願成就のため、伊東武者(工藤祐継)の二つとない命を取り、来世では、観音菩薩・勢至菩薩よ、蓮台([仏・菩薩が座る蓮の花の台座])をもって、安養([安養浄土]=[阿弥陀仏の極楽浄土])の浄刹([浄土])に引接([人の臨終のとき、阿弥陀仏が来迎して極楽浄土に導くこと])してくださいませ、片時([わずかの間])も、地獄に落とさないでくださいと、一心に祈りました。後七日の本尊には、烏蒭沙摩金剛という童子([烏枢沙摩明王]=[密教における明王])、五大明王([不動明王が中心に位置し、東に降三世がうざんぜ明王、南に軍荼利ぐんだり明王、西に大威徳だいゐとく明王、北に金剛夜叉こんがうやしや明王])の威験あらたかなるものを、四方に掛けて、紫の袈裟をかけ、種々に壇を飾り、ひたすら、汗も拭わず、面も振らず、余すところなく祈りました。昔より今にいたるまで、仏法護持([大切に守り保つこと])の威力は、今にはじまったことではありませんでした、七日目の満願の寅の半ば(午前五時頃)に、伊藤武者の盛りの首を、明王の剣の先に貫き、壇上に落ちるのを見て、威験が顕れましたと申して、別当は、壇を下りました、まことに恐ろしいことでした。


続く
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by santalab | 2014-06-24 07:55 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」伊東を調伏する事(その5)

河津かはづは、なまじひなる事まうし出だして、別当べつたう承引しよういんなかりければ、その後、消息せうそくを以つて、重ね重ね申しけれども、なほ用ひ給はず。いかがせんとて、秘かに箱根に上り、別当に見参げんざんして、近く寄りて、ささやきけるは、「物その身にてはさうらはねども、昔より師檀しだんの契約浅からで、頼み頼まれ奉りぬ。祐親すけちかが身におきて、一生いつしやうの大事、子々しし孫々までも、これに如くべからず候ふ。再往さいわうに、まうし入れ候ふでう、まことにその恐れ少なからず候へども、かの方へかへり聞こえなば、重ねたる難儀、出で来たり候ふべし。しかればにや、浮沈に及び候ふ」と、くれぐれ申しければ、始めは、別当べつたうおほきに辞退ありけるが、まことに檀那だんなの情けも去り難くして、おろおろ領状りやうじやうありければ、河津かはづ、里へぞ下りける。




河津(伊東祐親すけちか)は、とんでもないことを言い出しましたが、別当(行実ぎやうじつ僧正)が、引き受けなかったので、その後も、消息([文])をもって、重ね重ね申しましたが、それでも承知しませんでした。祐親はなんとかしようと、密かに箱根山に上り、別当に会って、近く寄り、ささやくには、「わたしは今までそういうこともしませんでしたが、昔より当家とは師檀([師僧と檀那])の契り浅からず、頼み頼まれた間柄ではございませんか。この祐親の身においては、伊東こそ一生の大事であり、子々孫々にいたるまで、これほどのことはないであろうと思っているのです。再往([再び])、申し入れのこと、まことに恐れ少なからぬことではございますが、かの方(工藤祐隆すけたか)へ知られたら、たいそう難儀なことに、なりましょう。そんなことになれば、わたしの身は沈んでしまいます」と、くれぐれも口外しないように申しました、はじめは、別当も、強く辞退していましたが、檀那([布施をする人])の情けも捨て難く、あいまいに領状([承知すること])すると、河津(伊東祐親)は、里に帰って行きました。


続く
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by santalab | 2014-06-24 07:46 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」祐信、兄弟連れて、鎌倉へ行きし事(その3)

その後、景季かげすゑ御前おんまへに畏まりければ、君御覧じて、「咋日きのふは、まゐらざりけるぞ。祐信すけのぶは、異議にや及びける」「如何でか、しみまうすべき。ゆふべ、景季が許まで具足して、さうらひつるを、夜更け候ふあひだ、明くるを待ちまうして候ふ。従ひ候ひては、母や曽我の太郎たらうが歎き、申すに及ばず。かはゆき有様を見てこそ候へ。同じおほせにて、戦場せんぢやうにして、一命を捨て候はん事は、物の数とも存じ候ふまじ。斯様かやうに難儀の事こそ候はざりしか」と申しければ、君聞こし召されて、「さぞ母もしみつらん。同じとがとは言ひながら、いまだをさなき者どもなり。歎きつるか」とおほせられければ、この御言葉に取り付き、畏まつて申しけるは、「斯様かやうに申す事、恐れおほさうらへども、母が思ひ、余りに不便ふびんなる次第に候ふ。いまだ幼き者どもに候へば、成人のほど、景季にあづけさせ給ひ候へかし」と申しければ、




その後、景季(梶原景季)が、頼朝の御前に畏まると、君(源頼朝)はこれを見て、「咋日は、どうして参らなかったのじゃ。祐信(曽我祐信)が、異議を申したか」景季「どうして、異議など申すことがございましょう。夕べ、この景季の許まで連れ参りましたが、夜更けになったものですから、夜が明けるのを待ったまでのことです。当然のことながら、母や曽我太郎(曽我祐信)の歎きは、申すまでもございません。子のかわいい様をご覧なさいませ。同じ仰せではございますが、戦場で、一命を捨てることなど、物の数とも思っておりません。この度ほど難儀のことはございません」と申せば、君(頼朝)はこれを聞いて、「さぞや母も悲しんでいることだろう。同じ罪とは申せ、まだ幼い者であれば。どれほど悲しんでいることか」と申せば、景季はこの言葉に続けて、畏まって申すには、「こう申すのも、恐れ多いことではございますが、母の悲しみは、あまりあるものでございました。まだ幼い者ですれば、成人になるまで、この景季に預けていただけませんか」と申しました、


続く
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by santalab | 2014-06-24 07:38 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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