Santa Lab's Blog


2017年 02月 26日 ( 4 )



「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その15)

後の最勝園寺貞時さいしようをんじさだときも、追先蹤また修行し給ひしに、その頃久我こがの内大臣、仙洞の叡慮に違ひ給ひて、領家悉く被没収給ひしかば、城南ぜいなん茅宮ばうきゆうに、閑寂かんせきを耕してぞ隠居し給ひける。貞時斗薮とそうの次でにかの故宮の有様を見給ひて、『いかなる人の棲遅せいちにてかあるらん』と、事問ひ給ふ処に、諸大夫と思しき人立ち出でて、しかしかとぞ答へける。貞時つぶさに聞きて、『御罪科差したる事にても候はず、そのうへ大家の一跡、この時断亡だんばうせん事無勿体候。など関東くわんとう様へは御歎き候はぬやらん』と、この修行者申しければ、諸大夫、『さ候へばこそ、この御所の御様昔びれて、加様かやうの事申せば、去る事や可有。我が身の無咎由に関東へ歎かば、仙洞の御誤りを挙ぐるに似たり。たとひ一家いつけこの時亡ぶとも、いかでか臣として君の非をば可挙奉。無力、時刻到来たうらい歎かぬ所ぞと被仰候間、御家門の滅亡この時にて候ふ』と語りければ、修行者感涙を押さへて立ちかへりにけり。誰と云ふ事を不知。




後の最勝園寺貞時(鎌倉幕府第九代執権、北条貞時)も、先蹤([前例])を追ってまた修行したが、その頃久我内大臣(久我通基みちもと)は、仙洞(第八十九代後深草院?)の叡慮に違い、領家は残らず没収され、城南の茅宮に、閑寂を添えて隠居した。貞時は斗薮([衣食住に対する欲望を払い退け、身心を清浄にすること。また、その修行])の途中にかの故宮の有様を見て『いかなる人が棲遅([心静かに住むこと])しておるのだろう』と、尋ねるところに、諸大夫と思われる人が立ち出て、しかじかと答えた。貞時は詳しく話を聞いて『大した罪科でもなく、その上に大家の一跡が、この時断亡するのはもったいないことよ。どうして関東(鎌倉幕府)に嘆願されないのか』と、この修行者が申せば、諸大夫は、『そのことですが、この御所の御様(久我通基)は昔気質の人でございますれば、そのことを申すと、そんなことはできない。我が身の咎なきことを関東に嘆願することは、仙洞の誤りを上げるようなものではないか。たとえ一家がこの時亡ぶとも、どうして臣として君の非をあげつらわねばならぬ。どうしようもないことだ、その時が来ようが悲しまぬと申されますれば、家門の滅亡は間違いありません』と語ったので、修行者は感涙を押さえて立ち帰った。修行者が誰とは知らなかったのだ。


続く


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by santalab | 2017-02-26 09:28 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その14)

斗薮とそうの聖つくづくとこれを聞きて、余りにあはれに思えて、おひの中より小硯こすずり取り出だし、しよくの上に立てたりける位牌ゐはいの裏に、一首の歌をぞ被書ける。

難波潟 塩干にとほき 月影の また元の江に すまざらめやは

禅門諸国斗薮はつて鎌倉にかへり給ふとひとしく、この位牌を召し出だし、押領せし地頭が所帯を没収もつしゆして、尼公が本領の上にへてぞこれをびたりける。この外到る所ごとに、人の善悪をたづね聞きてくはしく注し付けられしかば、善人にはしやうを与へ、悪者には罰をくはへられける事、不可勝計しようげ。されば国には守護・国司、所には地頭・領家りやうけ、有威不驕、隠れても僻事ひがことをせず、世帰淳素民の家々豊かなり。




斗薮([衣食住に対する欲望を払い退け、身心を清浄にすること。また、その修行])の聖(鎌倉幕府第五代執権、北条時頼ときより)は話を始終聞いて、あまりに哀れに思い、笈([荷物や書籍を入れて背負う竹製の箱])の中から小硯を取り出し、卓の上に立てていた位牌の裏に、一首の歌を書いた。

難波潟の塩干を遠く照らす月影を、また元の江を照らすようにさせたいと思う。

禅門(北条時頼)は諸国斗薮を終えて鎌倉に帰るやいなや、この位牌を探させて、地頭が押領した所帯([所領])を没収して、尼公の本領とともに添えて与えた。このほか至る所ごとに、人の善悪を訊ね聞いて詳細に記し付けたので、善人には賞を与え、悪者には罰を加えること、数知れず([勝計]=[数え尽くすこと])。こうして国では守護・国司、所には地頭・領家、威を驕らず、隠れて僻事([過ち])を犯さず、世は正しくなり民はこれに従って家々は豊かであった。


続く


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by santalab | 2017-02-26 09:20 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その13)

旅寝のゆかに秋深けて、浦風寒く成るままに、り焚く葦の通夜よもすがら、臥し佗びてこそ明かしけれ。朝に成りぬれば、あるじ尼公にこう手づから飯匙いひがひ取る音して、しひの葉折り敷きたる折敷をしきの上に、かれいひ盛りて持ち出で来たり。甲斐甲斐かひがひしくは見へながら、懸かるわざなんどに馴れたる人とも見へねば不審おぼつかなく思えて、『などや御内に被召仕人は候はぬやらん』と問ひ給へば、尼公泣く泣く、『さ候へばこそ、我は親のゆづりを得て、この所の一分の領主にてさうらひしが、をつとにもおくれ子にも別れて、便りなき身と成り果て候ひし後、惣領そうりやうなにがしまうす者、関東くわんとう奉公の権威を以つて、重代相伝の所帯を押さへ取つて候へども、京鎌倉に参つて可訴詔申代官も候はねば、この二十にじふ余年貧窮孤独びんぐうこどくの身と成つて、麻の衣の浅ましく、垣面かきもの柴のしばしばも、永らふべき心地侍らねば、袖のみ濡るる露の身の、消えぬほどとて世を渡る。朝食あさけけぶりの心細さ、ただ推し量り給へ』と、くはしくこれを語つて、涙にのみぞ咽びける。




旅寝の床に秋深けて、浦風寒くなるままに、折り焚く葦の夜もすがら、(鎌倉幕府第五代執権、北条時頼ときよりは)臥し佗びて夜を明かした。朝になると、主の尼公が自ら飯匙([しゃもじ])を取る音がして、椎の葉を折り敷いた折敷([檜の経木へぎ=木材を薄く削りとったもの。で作った縁つきの盆])の上に、餉([乾飯])を盛って参らせた。忠実忠実しく見えながら、このようなことに馴れた人とも思えなく怪しんで、『身内に召し仕える人はおられぬか』と訊ねると、尼公は泣く泣く、『そう見えましたか、わたしは親の譲りを受けて、わずかにこの所の領主でございました、夫にも後れ子にも死に別れて、頼りなき身と成り果てました後、惣領(惣領地頭)のだれそれと申す者が、関東(鎌倉幕府)奉公の権威をもって重代相伝の所帯を押領しました、京鎌倉に参って訴詔を申すべき代官もございませんので、この二十余年貧窮孤独の身となって、麻衣([粗末な衣服。喪服])に身を窶し、垣面の柴の隙さえも、永らえる心地もなく、袖のみ濡れる露の身が、わずかに消えぬほどに世を渡っております。朝食の煙の心細さを、ただ推し量りくださいませ』と、事の顛末を語ると、涙に咽んでおった。


続く


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by santalab | 2017-02-26 09:13 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その1)

斯かるところに、同じき五月四日、国府こふにおはしたる脇屋刑部卿義助よしすけにはかに病ひを受けて、身心悩乱なうらんし給ひけるが、わづかに七日過ぎて、つひに無墓成り給ひにけり。相順あひしたが官軍くわんぐんども、始皇しくわう沙丘さきうに崩じて、漢・楚機に乗る事を悲しみ、孔明籌筆駅ちうひつえきに死して、呉・魏便りを得し事を愁へしが如く、五更ごかうともしび消えて、破窓はさうの雨に向かひ、中流ちゆうるに舟を失ひて、一瓢いつぺうの浪に漂ふらんも、かくやと思へて、この事外に聞こへなば、敵に気を得られつべしとて、ひそかに葬礼さうれいを致して、隠悲呑声いへども、さすが隠れなかりしかば、四国の大将軍にて、尊氏の被置たる、細河ほそかは刑部ぎやうぶの大輔頼春よりはる、この事を聞きて、「時をば且くも不可失。これ司馬仲達がつひえに乗つて蜀を亡ぼせし謀なり」とて、伊予・讃岐・阿波・淡路の勢七千余騎を率して、先づ伊予のさかひなる河江城かはえのじやうへ押し寄せて、土肥の三郎左衛門さぶらうざゑもんを責めらる。




そうこうするところに、同じ(康永三年(1342))五月四日、国府(伊予国府。現愛媛県今治市)にいた脇屋刑部卿義助(脇屋義助。新田義貞の弟)が、にわかに病いを受けて、身心を悩ませていましたが、わずかに七日を過ぎて、終にはかなくなりました。相従う官軍どもは、始皇帝が沙丘(現河北省平郷)に崩じて、漢・楚が機に乗る事を悲しみ、孔明が籌筆駅(現四川省広元県北方)に死して、呉・魏が便り([頼み])を得たことを嘆き悲しんだように、五更([現在の午前三時から午前五時、または午前四時から午前六時頃])に灯消えて、破窓([やぶれ壊れた窓])の雨に向かい、中流に舟を失って、一瓢([瓢箪])のように浪に漂うのも、このようなものと思えて、もしこれが外に知れたなら、敵を勢い付かせることになると、密かに葬礼を致して、悲しみを隠していましたが、さすがに隠すことは叶わず、四国の大将軍として、尊氏(足利尊氏)が置いていた、細川刑部大輔頼春(細川頼春)が、このことを聞いて、「この時を逃すべきではない。これが司馬仲達が弊えに乗って蜀を亡ぼした謀よ」と申して、伊予・讃岐・阿波・淡路の勢七千余騎を率して、まず伊予の境にある河江城(川之江城。現愛媛県四国中央市)へ押し寄せて、土肥三郎左衛門(土肥義昌よしまさ)を攻めました。


続く


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by santalab | 2017-02-26 09:04 | 太平記 | Comments(0)

    

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