Santa Lab's Blog


2017年 02月 27日 ( 4 )



「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その18)

ある時徳宗領とくそうりやうに沙汰出で来て、地下の公文と、相摸のかみ訴陳そぢんに番ふ事あり。理非懸隔けんかくして、公文がまうす処道理なりけれども、奉行・頭人・評定衆、皆徳宗領に憚つて、公文を負かしけるを、青砥左衛門あをとさゑもんただ一人、権門にも不恐、理の当たる処をつぶさに申し立て、遂に相摸の守をぞ負かしける。公文不慮に得利して、所帯に安堵したりけるが、その恩を報ぜんとや思ひけん、銭を三百貫さんびやくくわんたはらつつみて、後ろの山より潜かに青砥左衛門が坪の内へぞ入れたりける。青砥左衛門これを見て大きに忿り、『沙汰の理非を申しつるは相摸殿を奉思ゆゑなり。全く地下の公文を引くに非ず。もし引出物を取るべくは、上の御悪名を申し留めぬれば、相摸殿よりこそ、悦びをばし給ふべけれ。沙汰に勝ちたる公文が、引出物をすべき様なし』とて一銭をもつひに不用、はるかに遠き田舎まで持ち送らせてぞ返しける。




ある時徳宗領([北条氏家督の知行する所領])に沙汰([訴訟])が起こって、地下([殿上人でない者])の公文([公文書を取り扱う職])と、相摸守(鎌倉幕府第五代執権、北条時頼ときより)が訴陳([訴人=原告。と論人=被告。がそれぞれ訴状と陳状により申し立てをすること])に番う事があった。理非([道理にあっていることとは外れていること。正しいことと間違っていること])懸隔([二つの物事がかけ離れていること。非常に差があること])して、公文が申すところ道理であったが、奉行([政務分掌により公事くじを担当し執行する者])・頭人([鎌倉・室町幕府の引付衆の主席])・評定衆([執権・連署とともに幕府の最高意思決定機関を構成し、政務一般および訴訟の裁断について合議した])、皆徳宗領に憚って公文の負けとした、だが青砥左衛門(青砥藤綱ふぢつな。鎌倉時代後期の武士)ただ一人だけは、権門にも恐れをなさず、道理に適うところを事細かに申し立て、遂に相摸守(北条時頼)の負けとした。公文は意外にも勝利して、所帯(領地)を守ることができた、その恩に報いようと思ったか、銭を三百貫俵に入れて、後ろの山より密かに青砥左衛門の坪([庭])の内に運び入れた。青砥左衛門これを見てたいそう怒って、『沙汰の理非を申したのは相摸殿のことを思ってのことである。まった地下の公文を贔屓した訳ではない。もしも引出物を取るならば、悪名を止めた、相摸殿より、感謝されてしかるべき。沙汰に勝った公文が、どうして引出物をしなければならぬのだ』と申して一銭をも遂に取らず、遥か遠くの田舎まで運ばせて返した。


続く


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by santalab | 2017-02-27 08:12 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その17)

また報光はうくわう寺・最勝園寺さいそうをんじ二代の相州さうしうに仕へて、引付けの人数につらなりける青砥左衛門あをとさゑもんと云ふ者あり。数十箇所すじつかしよの所領を知行して、財宝豊かなりけれども、衣裳には細布さいみ直垂ひたたれ、布の大口、いひの菜には焼きたる塩、干したる魚一つより外はせざりけり。出仕の時は木鞘巻きざやまきの刀を差し木太刀を持たせけるが、叙爵後は、この太刀に弦袋つるぶくろをぞ付けたりける。加様かやうに我が身の為には、いささかも過差くわさなる事をせずして、公方くばうの事には千金万玉をも不惜。また飢ゑたる乞食こつじき、疲れたる訴詔人そせうにんなどを見ては、ぶんに随ひしなに依つて、米銭絹布けふの類を与へければ、仏菩薩の悲願にひとしき慈悲にてぞありける。




また宝光寺(鎌倉幕府第八代執権、北条時宗ときむね)・最勝園寺(鎌倉幕府第九代執権、北条貞時さだとき。北条時宗の嫡男)二代の相州(相模守)に仕えて、引付([引付衆]=[鎌倉幕府第五代執権、北条時頼ときよりの時、評定衆の下に御家人の領地訴訟の裁判の迅速さと公正さをはかる為に設置された職])の人数に連なった青砥左衛門(青砥藤綱ふぢつな。鎌倉時代後期の武士)という人がいた。数十箇所の所領を知行して、財宝は豊かであったが、衣裳は細布([綿織物の低級品])の直垂、布の大口([袴の一])、飯の菜には焼いた塩、干した魚一つよりほかは何もしなかった。出仕の時は木鞘巻の刀を差し木太刀([木刀])を持っていたが、叙爵後は、この太刀に弦袋([掛け替えの弓弦ゆづるを巻いて持ち歩く道具])を付けていた。このように我が身のためには、多少なりとも過差([分に過ぎたこと])なることをせず、公方のことには千金万玉をも惜しまなかった。また飢えた乞食、疲弊した訴詔人を見ては、身分に従い階位に応じて、米銭絹布などを与えた、仏菩薩の悲願にも匹敵する慈悲の持ち主であった。


続く


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by santalab | 2017-02-27 08:04 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その16)

関東くわんとう帰居の後、最前にこの事をありの侭に被申しかば、仙洞大きに有御恥久我こが旧領きうりやう悉く早速さつそくに被還付けり。さてこそこの修行者をば、貞時さだときと被知けれ。一日二日のほどなれど、旅に過ぎたる哀れはなし。況乎いはんや烟霞えんか万里の道の末、思ひ遣るだに憂きものを、深山路みやまぢに行き暮れては、苔のむしろに露を敷き、遠き野原を分け佗びては、草の枕に霜を結ぶ。喚渡口船立ち、失山頭路帰る。烟蓑雨笠えんさうりつ破草鞋はさうあいの底、すべて故郷を思ふ愁へならずと云ふ事なし。あに天下のあるじとして、身富貴ふつききよする人、好んで諸国を可修行や。ただ身安く楽しみに誇つては、世難治事を知るゆゑに、三年の間ただ一人、山川を斗薮とそうし給ひける心のほどこそ難有けれと、感ぜぬ人もなかりけり。




(鎌倉幕府第九代執権、北条貞時さだときは)関東帰居の後、真っ先この事をありのままに申し上げたので、仙洞はたいそう後悔されてさっそく久我の旧領を残らず返された。こうしてこの修行者が、貞時だと知れたのだ。それにしても一日二日のほどでさえ、旅ほど哀れに思うものはない。烟霞万里の道の末を、思ひ遣るさえ憂きものを、深山路に行き暮れて、苔の莚に露を敷き、里遠い野原を分けて、草の枕に霜を結ぶ。喚渡口(相模川?)を船で出て、山頭に路を見失い引き返す、蓑は煙り笠は雨に濡れて、草鞋の底は擦り切れて、すべて故郷を思う愁えとなったであろう。どうして天下の主として、富貴に身を置く人が、好んで諸国を修行するものか。ただ安寧にして楽しみに誇っていては、世を治め難いことを知って、三年間ただ一人、山川を斗薮([衣食住に対する欲望を払い退け、身心を清浄にすること。また、その修行])しようと思う気持ちのありがたさよと、感心しない人はいなかった。


続く


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by santalab | 2017-02-27 07:09 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その2)

義助よしすけ順付したがひつきたりし多年恩顧のつはものども、土居・得能・合田あひだ二宮にのみや・日吉・多田・三木・羽床はゆか・三宅・高市たけいちの者ども、金谷かなや修理しゆりの大夫経氏つねうぢを大将にて、兵船ひやうせん五百余艘よさうにて、土肥が後攻ごづめの為に海上に推し浮かぶ。これを聞きて、備後のとも尾道をのみち舟汰ふなぞろへして、土肥が城へ寄せんとしける備後・安芸・周防・長門の大船千余艘にて推し出だす。両陣の兵船ども、渡中となかに帆を突いて、扣舷鬨を作る。しほに追ひ風に随つて推し合ひ推し合ひ相戦ひける。その中に大館おほたち左馬の助氏明うぢあきらが執事、岡部出羽ではかみが乗りたる舟十七艘、備後の宮下野しもつけの守兼信かねのぶ、左右に別れて漕ぎ双べたる舟四十しじふ余艘が中へ分け入りて、敵の船に乗り遷り乗り遷り、皆引つ組んで海中へ飛び入りけるこそ、厳しかりし振る舞ひなれ。




義助(脇屋義助。新田義貞の弟)に付き従ってきた多年恩顧の兵ども、土居・得能・合田・二宮・日吉・多田・三木・羽床・三宅・高市の者どもは、金谷修理大夫経氏(金谷経氏)を大将に立てて、兵船五百で、土肥(土肥義昌よしまさ)の後詰め([先陣の後方に待機している軍勢])のために海上に船を押し浮かべました。これを聞いて、備後の鞆(現広島県福山市)・尾道(現広島県尾道市)に舟揃えして、土肥(義昌)の城(川之江城。現愛媛県四国中央市)へ寄せようと備後・安芸・周防・長門の大船が千余艘が押し出しました。両陣の兵船は、渡中で帆を突き合わせ、舷を当てて鬨を作りました。潮に追い風に従って押し合い押し合い戦いました。その中に大館左馬助氏明(大舘氏明)の執事、岡部出羽守が乗った舟十七艘は、備後宮下野守兼信(宮兼信)が、左右に分かれて漕ぎ並べた舟四十余艘の中へ分け入って、敵の船に乗り移り乗り移り、皆引っ組んで海中へ飛び入りました、容赦知らずの振る舞いでした。


続く


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by santalab | 2017-02-27 07:02 | 太平記 | Comments(0)

    

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