Santa Lab's Blog


2017年 02月 28日 ( 4 )



「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その21)

それ政道の為にあたなるものは、無礼・不忠・邪欲・功誇こうくわ・大酒・遊宴・抜折羅ばさら傾城けいせい・双六・博奕ばくえき剛縁かうえん・内奏、さては不直ふちよくの奉行なり。をさまりし世にはこれを以つていましめとせしに、今の代の為体皆これを肝要とせず。我こそ悪からめ。ちと礼義をも振る舞ひ、極信ごくしんをも立つる人をば、『あら見られずの延喜式や、あら気詰りの色代や』とて、目を引き、あふのきにたふれ笑ひ軽謾きやうまんす。これはただ一つのすぐなる猿が、九つの鼻欠け猿に笑はれて逃げ去りけるに不異。また仏神領に天役課役てんやくくわやくを懸けて、神慮冥慮みやうりよに背かん事を不痛。また寺道場に懸要脚僧物施料せれうむさぼる事をげふとす。




政道に害なすものは、無礼・不忠・邪欲・功誇([功を誇りうぬぼれること])・大酒・遊宴・婆娑羅([華美な衣装などで飾り立てたり、ぜいたくの限りをつくしたりして、この世を謳歌すること])・傾城([美女])・双六・博奕・剛縁([権力者との縁故。また、それを利用してわがままに振る舞うこと])・内奏([正式の手続きを経ずに天皇に奏上して請願すること])、果ては不直([正しくないこと])の奉行([上の者の命によって事を執行すること])よ。世が治まる時にはこれらを戒めとすべきに、今の時代を見るに皆これを大事に思っておらぬ。我が間違っておるのか。多少も礼義をも弁え、極信([まじめでつつしみ深いこと。控えめで素直なこと])をも立つ人を、『延喜式([平安中期の律令の施行細則])とはなんとも珍しい、なんと堅苦しい色代([挨拶])か』と申して、目を引き、仰向けに倒れ込んで笑い軽慢([人をばかにして、おごりたかぶること。人をあなどること])している。まるで一匹の正直な猿が、九匹の鼻欠け猿に笑われて逃げ去るようなものではないか。また仏神領に天役([中世、朝廷に大儀・造営があった時など、 臨時に賦課した雑税])課役([律令制で租税として朝廷が人民に出させた労働力と物品])を懸けて、神慮冥慮([神仏のおぼしめし])みやうりよに背くことを恐れぬ。また寺道場に要脚([税金])を懸け僧物([寄進された、衆僧共有の物])施料([布施としての金品])を貪ることを業としておる。


続く


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by santalab | 2017-02-28 08:08 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その20)

加様かやうに無私処神慮にや通じけん。ある時相摸のかみ鶴岡つるがをかの八幡宮に通夜つやし給ける暁、夢に衣冠いくわん正しくしたる老翁一人枕に立つて、『政道をなほくして、世を久しく保たんと思はば、心私なく理に不暗青砥左衛門あをとさゑもん賞翫しやうくわんすべし』とたしかに被示と思へて、夢忽ちに覚めてげり。相摸の守つとにかへり、近国の大庄八箇所自筆に補任を書きて、青砥左衛門あをとさゑもんにぞ賜ひたりける。青砥左衛門あをとさゑもん補任をひらき見て大きに驚きて、『これは今何事に三万貫に及ぶ大庄賜はり候ふやらん』と問ひ奉りければ、『夢想に依つて、先づ且く充て行ふなり』と答へ給ふ。青砥左衛門顔を振つて、『さては一所をもえこそ賜り候まじけれ。且は御意のとほりも歎き入りて存じ候ふ。物の定相ぢやうさうなきたとへにも、如夢幻泡影如露亦如電によむげんはうやうによろやくによでんとこそ、金剛経にも説かれて候へば、もしそれがしが首を刎ねよと云ふ夢を被御覧候はば、無咎共如夢被行候はんずるか。報国の忠薄くして、超涯てうがいしやうかうむらん事、これに過ぎたる国賊や候ふべき』とて、すなは補任ふにんをぞ返しまゐらせける。自余の奉行どもも加様かやうの事を聞きて己を恥ぢし間、これまでの賢才はなかりしかども、いささかも背理耽賄賂事をせず。ここを以つて平氏相州さうしう八代まで、天下を保ちしものなり。




このように私なきところが神慮に通じたのか。ある時相摸守(鎌倉幕府第五代執権、北条時頼ときよりらしい)が、鶴岡八幡宮(現神奈川県鎌倉市にある神社)に通夜した暁、夢に衣冠正しくした老翁が一人枕元に立って、『政道を正しくして、世を久しく保とうと思えば、私心なく理に暗からぬ青砥左衛門(青砥藤綱ふぢつな。鎌倉時代後期の武士)を大切にせよ』と確かに示したと思えて、夢はたちまちに覚めた。相摸守は朝早く帰ると、近国の大庄八箇所の補任状([官職に任命する状])を自筆で書いて、青砥左衛門に賜わった。青砥左衛門は補任状を開いてたいそう驚いて、『これはどういう訳で三万貫に及ぶ大庄を賜わると申されるや』と訊ねると、『夢想によって、まずはしばらく与えるものである』と答えた。青砥左衛門は顔を振って、『そういうことならば一所をも賜わる訳には参りません。そのようなお考えさえ嘆かわしく思われます。物の定相([永久に変化しない、一定のかたち])なき例えに、如夢幻泡影如露亦如電([この世のものはすべて夢幻、泡や露や電光のようにはかないものとである])と、金剛経にも説かれおります、もしわたしの首を刎ねよという夢をご覧になれば、罪なくとも夢のままに誅されると申されますや。報国の忠薄くして、超涯([身分に過ぎたこと])の賞を蒙ること、これに過ぎた国賊がありましょうか』と申して、たちまち補任を辞退した。自余の奉行どももこの事を聞いて己を恥じたので、青砥左衛門ほどの賢才ではないにしろ、わずかも理に背き賄賂に耽ることはなかった。こうして平氏相州(北条武蔵守)は八代まで、天下を保つことができたのだ。


続く


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by santalab | 2017-02-28 08:00 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その19)

またある時この青砥左衛門あをとさゑもん夜に入つて出仕しけるに、いつも燧袋ひうちぶくろに入れて持ちたる銭を十文取りはづして、滑河なめりかはへぞ落とし入れたりけるを、少事の物なれば、よしさてもあれかしとてこそ行き過ぐべかりしが、もつてのほかにあわてて、その辺の町屋へ人を走らかし、銭五十文を以つて続松たいまつ十把じつぱ買ひて下り、これをとぼしてつひに十文の銭をぞ求め得たりける。後日にこれを聞きて、『十文の銭を求めんとて、五十ごじふにて続松を買つて燃したるは、小利大損かな』と笑ひければ、青砥左衛門眉をひそめて、『さればこそ御辺たちは愚かにて、世のつひえをも不知、民をめぐむ心なき人なれ。銭十文は只今不求は滑河の底に沈みて永く失せぬべし。某が続松を買はせつる五十の銭は商人の家に止まつて永く不可失。我が損は商人の利なり。彼と我と何の差別しやべつかある。かれこれ六十の銭一つをも不失、あに天下の利に非ずや』と、爪弾きをして申しければ、難じて笑ひつるかたへの人々、舌を振つてぞ感じける。




またある時青砥左衛門(青砥藤綱ふぢつな。鎌倉時代後期の武士)は夜に入って出仕しましたが、いつも燧袋に入れていた銭を十文、滑川に落としてしまった、大した額ではなかったので、そのまま通り過ぎればよいものを、たいそうあわてて、その辺の町屋へ人を走らせ、銭五十文で松明を十把買って川に下り、松明を灯して遂に十文の銭を探し出した。後日にこれを聞いて、『十文の銭を探すのに、五十文で松明を買って灯すとは、大損ではないか』と笑われると、青砥左衛門は眉を顰め呆れ顔で、『だからお主たちは愚かだというのだ、世の費をも知らず、民を恵む心もんし人たちよ。銭十文をその時さがさなければ滑川の底に沈んで永遠に失せてしまったであろう。わたしが松明を買った五十文の銭は商人の家に残って永遠に失われることはない。我が損は商人の利益となった。彼と我を区別してどうする。かれこれ六十文の銭を一文も失うことがなかったのだ、天下にとっての利益ではないか』と、爪弾き([嫌悪・軽蔑・非難などの気持ちを表すしぐさ])をして申したので、(青砥左衛門を)非難して笑っていた人々は、舌を振り([非常に驚く])感心した。


続く


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by santalab | 2017-02-28 07:16 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その3)

備後・安芸・周防の舟は皆大船なれば、ともに櫓を高く掻いて、指し下ろして散々に射る。伊予・土佐の舟は皆小舟なれば、逆櫓さかろを立てて縦横に相当あひあたる。両方のつはもの、よしや死して海底の魚腹にさうせらるるとも、逃げて天下てんがの人口には落ちじものをと、互ひに機を進め、一引きも不引終日ひねもす戦ひ暮らしける処に、海上にはかに風来たつて、宮方の舟をば悉く西を差して吹き戻す。寄せ手の舟をば悉く伊予の地へ吹き送る。夜に入りて風少し静まりければ、宮方の兵ども、「これほどに運の利かぬ時なれば、如何に思ふとも不可叶。ただ元の方へ漕ぎかへすべきか」とまうしけるを、大将金谷かなや修理しゆりの大夫、「運を計り勝つ事を求むる時こそ、身をまつたうして功をなさんとは思へ。ただ一人たのみたる大将軍脇屋義助よしすけは病ひに被侵失せ給ひぬる上は、今は可為方なき微運の我らが、生きてあらばいか許りの事か可有。命を限りの戦ひして、弓矢の義を専らにする許りなるべし。されば運の通塞も軍の吉凶も非可謂処。いざや今夜備後のともへ推し寄せて、そのじやうを追ひ落として、中国の勢着かば西国を責め随へん」とて、その夜の夜半許りに、備後の鞆へ押し寄する。




備後・安芸・周防の舟は皆大船でしたので、艫([船の後方])・舳([船の前方])に櫓を高く掻いて、下ろ様に散々に矢を射ました。伊予・土佐の舟は皆小舟でしたので、逆櫓([船を後ろへも自由に漕ぎ進められるように 、艪を船の前部に取り付けること])を立てて縦横から当たりました。両方の兵は、たとえ死んで海底の魚腹に葬られることになろうとも、逃げて天下の人口に落ちまいと、互い勇み立ち、一引きも引かず終日戦い暮らすところに、海上は急に荒れて、宮方の舟を残らず西方に吹き戻しました。寄せ手の舟は残らず伊予の地に吹き送りました。夜に入って風が少し静まれば、宮方の兵どもは、「これほど運がない時ならば、何を思うとも叶うまい。ただ元の方へ漕ぎ返すべきか」と申すと、大将金谷修理大夫(金谷経氏つねうぢ)、「運を頼って勝つことを求めるより、身を全うして功をなそうとは思わぬか。ただ一人頼みにしていた大将軍脇屋義助(新田義貞の弟)が病いに失せた上は、今は申すべくもない微運の我らが、命長らえたところで何になろうや。命を限りの戦いをして、弓矢(武士)の義を専らにする他あるまい。なれば運の通塞([幸と不幸])も軍の吉凶も気にすることはない。どうだ今夜備後の鞆(現広島県福山市)へ押し寄せて、敵を城から追い落として、中国の勢が付けば西国を攻め従えようではないか」と申して、その夜の夜半ばかりに、備後の鞆へ押し寄せました。


続く


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by santalab | 2017-02-28 07:07 | 太平記 | Comments(0)

    

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