Santa Lab's Blog


2017年 03月 03日 ( 4 )



「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その30)

やがてこの后の御腹に一人の皇子出で来させ給ふ。これを瑠璃太子とぞ申しける。七歳に成らせ給ひける年、浄飯王じやうぼんわうじやうへおはして遊ばれけるが、浄飯王の同じ床にぞ坐し給ひたりける。釈氏の諸王大臣これを見て、『瑠璃太子はこれまことの御孫には非ず、何故なにゆゑにか大王と同位どうゐに座し給ふべき』とて、すなはち玉の床の上より追ひ下ろし奉る。瑠璃太子をさなき心にも不安事に思し召しければ、『我が年ちやうぜば必ず釈氏を滅ぼしてこの恥を可濯』と深く悪念をぞ被起ける。




やがてこの后の腹に一人の皇子が生まれたんじゃ。これを瑠璃太子(コーサラ国太子。ヴィドゥーダバ)と申した。七歳になった年、浄飯王(迦毘羅衛カビラエ国の王。釈迦の父)の城に来て遊んでおったが、浄飯王と同じ床に座ったんじゃ。釈氏(釈迦族)の諸王大臣はこれを見て、『瑠璃太子はまことのお孫ではない、どうして大王と同位に座しておるのだ』と申して、たちまち玉の床の上より追い下ろしたんじゃよ。瑠璃太子は幼いこころにも腹を立てて、『わたしが大人になれば必ずや釈氏を滅ぼしてこの恥を雪いでやるぞ』と深い悪念を抱いたんじゃ。


続く


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by santalab | 2017-03-03 08:06 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その29)

両人物語、げにもと聞き居て耳を澄ます処に、またこれは内典ないでん学匠がくしやうにてぞあるらんと見へつる法師、熟々つくづくと聞きて帽子を押し菩提子ぼだいじ念珠ねんじゆ爪繰つまぐりて申しけるは、「つらつら天下の乱を案ずるに、公家の御とがとも武家の僻事ひがこととも難申。ただ因果の所感とこそ存じ候へ。その故は、仏に無妄語と申せば、あふいで誰か信を取らで候ふべき。仏説の所述を見るに、増一阿含経ぞういちあごんきやうに、昔天竺に波斯匿王はしのくわうと申しける小国の王、浄飯王じやうぼんわうむこに成らんとふ。浄飯王御心には嫌はしく乍思召辞するにことばやなかりけん、召し仕はれける夫人の中に貌形はうぎやう無殊類勝れたるを撰んで、これを第三の姫宮と名付け給ひて、波斯匿王の后にぞ被成ける。




両人(雲客と法師)は物語を、なるほどと聞いて耳を澄ましているところに、またこれは内典([仏教の経典])の学匠([学問に優れている人])であろうかと思われる法師が、つくづくと聞いて僧帽を脱いで菩提子([テンジクボダイジュの実])の念珠を爪繰りながら申すには、「よくよく天下の乱を案ずるに、公家の咎とも武家の僻事([悪事])とも申し難し。ただ因果の所感([過去の行為が結果を生ずること])と思われるぞ。その訳じゃが、仏に妄語([嘘])なしと申せば、信じぬ者はおらぬであろう。仏説の所述を見るに、増一阿含経([原始仏教の経典である四阿含経の一])に、昔天竺(古代インド)に波斯匿王(プラセーナジット。コーサラ国王)と申す小国の王が、浄飯王(迦毘羅衛カビラエ国の王。釈迦の父)の婿になりたいと申し出たんじゃ。浄飯王は心中乗り気ではなかったが断るに口実もなく、召し使っておった夫人の中で姿かたちとりわけ優れた者を選んで、これを第三の姫宮と名付け、波斯匿王の后(マッリカー夫人。勝鬘しようまん夫人)としたんじゃよ。


続く


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by santalab | 2017-03-03 08:01 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その28)

玄宗この時みづからの非を知ろし召し、臣の忠義を叡感あつて、その後よりは史官を不被誅、かへつて大禄たいろくをぞ賜はりける。人として死を不痛云ふ事なければ、三人の史官全く誅を非不悲。もし恐天威不注君非、叡慮無所憚悪しき御振る舞ひなほありぬと思ひし間、死罪に被行をも不顧、これを注し留めける大史官の心の中、思ひ遣るこそ難有けれ。国に有諌臣その国必ず安く、いへに有諌子その家必ず正し。されば如斯君も、まことに天下の人を安からしめんと思し召し、臣も無私君の非を諌めまうす人あらば、これほどに払ひ棄つる武家の世を、宮方に拾うて不捕や。かほどに安き世を不取得、三十さんじふ余年まで南山の谷の底に埋れ木の花開く春を知らぬ様にておはしますを以つて、宮方の政道をば思ひ遣らせ給へ」と爪弾つまはじきをしてぞ語りける。




玄宗(唐の第九代皇帝)この時自らの非を知り、臣の忠義を感じて、その後よりは史官([古代中国で 、文書・記録の任にあたった官])を誅さず、反対に大禄を賜わったのだ。人として死を恐れないことはない、三人の史官も誅を悲しまないはずはなかったものを。も威を恐れて君を諌めなければ、叡慮のままに悪しき御振る舞いを続けることであろうと思い、死罪をも顧みず、君に諫言した大史官の心の内を、思い遣ればありがたいことよ。国に諌臣あればその国は必ず安泰にして、家に諌子あればその家は必ず栄えるものよ。玄宗のような暴君でさえも、まこと天下の人を安んじようと思われるほどに、臣も私なく君の非を諌め申す人あらば、これほどまでに見限る武家の世を、宮方が取れないものか。これほど取り安い世を取ることなく三十余年まで南山の谷の底で埋れ木が花開く春を知らぬようにしておられる、宮方の政道を思い遣らよ」と爪弾き([嫌悪・軽蔑・非難などの気持ちを表すしぐさ])をしながら語りました。


続く


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by santalab | 2017-03-03 07:55 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」義助朝臣病死の事付鞆軍の事(その6)

去るほどに細川刑部ぎやうぶの大輔七千余騎を率して、敵已に打ち出づるなれば、心よく懸け合ひの合戦を可致とて、千町せんちやうが原へ打ち出でて、敵の陣を見渡せば、渺々べうべうたる野原に、中黒の旗一流れ幽かに風に飛揚して、わづかに勢の程三百騎許りぞひかへたる。細川刑部の大輔これを見給ひて、「当国の敵これほどの小勢なるべしとは思はぬに、余りに無勢ぶせいに見えければ、一定いちぢやう究竟くつきやうの者どもを選つて、大勢の中を懸け破り、頼春よりはるに近付かば、組んで勝負を決せん為にてぞあるらん。しからば思ひ切つたる小勢を一息に討たんとせば、手に余つて討たれぬ事あるべし。ただ敵破らんとせば被破てしかも迹を塞げ、くつばみを双べて懸からば、いつはつて引き退いて敵の馬の足を疲らかせ、打ち物に成つて一騎合ひに懸からば、あひの鞭を打つて推しもぢりに射て落とせ。敵疲れぬと見ば、荒手を替へて取り篭めよ。余りに近付いて敵に組まるな。引くとも御方を見放すな。敵の小勢に御方を合はすれば、一騎に十騎を対しつべし。飽くまで敵を悩まして、つひえに乗つて一揉み揉みたらんに、などかこれらを可不討」と、委細に手段てだて成敗せいはいして、旗の真つさきあらはれて、閑々しづしづとぞ進まれたる。




やがて細川刑部大輔(細川頼春よりはる)は七千余騎を率して、敵はすでに打ち出た後でしたので、心よく駆け合いの合戦を致すべしと、千町原(現愛媛県西条市)へ打ち出て、敵の陣を見渡せば、渺々([果てしなく広い様])たる野原に、大中黒(新田一つ引)の旗が一流れかすかに風に飛揚して、わずかに勢のほど三百騎ばかりが控えていました。細川刑部大輔(頼春)はこれを見給ひて、「当国の敵がこれほどの小勢とは思えないが、あまりに無勢に見える、きっと究竟の者どもを選って、大勢の中を駆け破り、頼春に近付いて、組んで勝負を決しようとしておるのであろう。思い切った小勢を一息に討とうとすれば、手に負えずに討たれることもあるやも知れぬ。ただ敵を破ろうと見せかけて破られて後を塞ぎ、轡を並べて懸かってくれば、偽って引き退いて敵の馬の足を疲れさせ、打ち物になって一騎合いに懸かってくれば、相の鞭を打って押しもじりに射て落とせ。敵が疲れたと見えれば、新手に替えて取り籠めよ。余りに近付いて敵に組まれるな。引くとも味方を見放すな。敵の小勢に味方を合わせる時は、一騎に十騎で当たれ。ともかく敵を悩まして、弊えに乗って一揉み揉めば、どうして討てないことがあろうや」と、委細に手段を成敗([取り計らうこと])して、旗の真前に出ると、ゆっくりと進みました。


続く


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by santalab | 2017-03-03 07:06 | 太平記 | Comments(0)

    

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