Santa Lab's Blog


2017年 03月 06日 ( 4 )



「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その39)

ここに梨軍支りぐんし比丘大きに慚愧ざんぎして、四衆の前にして、『今はこれならでは可食物なし』とて、砂を噛み水を飲みてすなはち涅槃に入りけるこそ哀れなれ。諸々の比丘怪しみて、梨軍支が前生の所業しよげふを仏に問ひ奉る。于時世尊諸々の比丘に告げて曰はく、『なんぢら聞け、乃往過去ないわうくわこに、波羅奈国はらないこくに一人の長者あつて名をば瞿弥くみと云ふ。供仏施僧くぶつせそうの心ざし日々に不止。瞿弥已に死して後、その妻相続あひつづいて三宝に施しする事同じ。長者が子これを忿いかつてその母を一室の内に置き、門戸もんこを堅く閉ぢて出入を不許。母泣涕する事七日、飢ゑて死なんとするに臨んで、母、子に向かつて食をふに、子忿れる眼を以つて母を睨みて曰はく、「宝を施行せぎやうにし給はば、なんぞいさごを食らひ水を飲んで飢ゑを不止」と云ひてつひに食物を不与。食絶えて七日に当たる時母はつひに食に飢ゑて死ぬ。




ここに至って梨軍支比丘はたいそう慚愧([慚]=[自己に対して恥じること]、[愧]=[外部に対してその気持ちを示すこと])して、四衆([仏教徒を四つに分けたもの。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷])を前にして、『今はこのほかに食う物なし』と言って、砂を噛み水を飲んでたちまち涅槃([死ぬこと])に入ったのは哀れなことじゃった。諸々の比丘([出家して、定められた戒を受け、正式な僧となった男子])は怪しんで、梨軍支の前生の所業を仏(釈迦)に訊ねたんじゃよ。時に世尊は諸々の比丘に告げ申して、『お前たちよ聞きなさい、乃往過去(遠い昔)に、波羅奈国(古代インドの王国)に一人の長者があって名を瞿弥といった。供仏施僧([仏を供養し僧をもてなすこと])の心ざしを常に持っておった。瞿弥が死んだ後は、妻が変わりなく三宝([仏・法・僧])に施しをしておった。長者の子はこれに腹を立てて母を一室に籠め置き、門戸を堅く閉じて出入を許さなかった。母は七日間泣涕しておったが、飢え死にするに臨んで、母は、子に向かって食を乞うたが、子は怒れる目で母を睨んで申して、「宝を施行([仏法の善行を積むため僧侶や貧しい人々に物を施し与えること])しているのだから、砂を食らい水を飲んでも飢えを癒せるだろう」と言って食物を与えなかったのだ。食絶えて七日に当たる時に母は遂に食に飢えて死んでしもうた。


続く


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by santalab | 2017-03-06 08:20 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その38)

第五日に、阿難また昨日梨軍支りぐんしを忘れたりし事を浅ましく思し召して、これに与へん為にある家に行きていひひてかへり給ふ。道に荒狗あらいぬ数十疋すじつぴきわしり進みける間、阿難鉢を地に棄てて、這ふ這ふ帰り給ひしかば、その日も梨軍支餓ゑにけり。第六日に、目連尊者もくれんそんじや梨軍支が為に食を乞うて帰り給ふに、金翅鳥こんじてう空中より飛び下がりて、その鉢を取つて大海に浮かべければ、その日も梨軍支餓ゑにけり。第七日に、舎利弗しやりほつまた食を乞うて、梨軍支が為に持て行き給ふに、門戸もんこ皆堅くして不開。舎利弗以神力その門戸を開いて内へ入り給へば、にはかに地裂けて、御鉢金輪際こんりんざいへ落ちにけり。舎利弗、伸神力手御鉢を取り上げいひを食はせんとし給ふに、梨軍支が口にはかにつぐみて歯を開く事を不得。兔角するほどに時已に過ぎければ、この日も食らはで餓ゑにけり。




五日目に、阿難(阿難陀。釈迦の十大弟子の一人。 多聞第一)は昨日梨軍支を忘れたことを後悔して、梨軍支に食を与えるためにある家へ行って飯を乞うて帰った。道中狂犬が数十匹現れて襲って来ての、阿難は鉢を地に棄てて、やっとのことで帰ったんじゃが、その日も梨軍支は食に餓えてしもうた。六日目に、目連尊者(摩訶目犍連まかもつけんれん。釈迦の十大弟子の一人。神通第一)が梨軍支のために食を乞うて帰っておったが、金翅鳥([インド神話・仏典に見える想像上の鳥])が空中より飛び下りて、その鉢を取って大海に落として行った、その日も梨軍支は食にありつけなかったんじゃ。七日目に、舎利弗(釈迦の十大弟子の一人。智慧第一)がまた食を乞うて、梨軍支のために持って行ったが、門戸が皆堅く閉ざされて開かんじゃった。舎利弗は神力をもって門戸を開き内へ入ったんじゃが、にわかに地が裂けて、鉢は金輪際([大地の最下底のところ。金輪=地下にあって大地を支える大輪])に落ちてしもうた。舎利弗は、神力の手を伸べて鉢を取り上げ飯を食わそうとしたんじゃが、梨軍支の口は急に閉じて歯を開くことができなかったんじゃよ。そうこうするうちに時は過ぎて、この日も食うことができずに餓えてしもうた。


続く


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by santalab | 2017-03-06 08:15 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北野通夜物語の事付青砥左衛門事(その37)

そのあけの日また舎利弗、長者のしやうを得て行き給ひけるが、梨軍支りぐんし比丘を伴なひ連れ給ふ。長者五百の阿羅漢にいひを引きけるが、如何がして見はづしたりけん。梨軍支一人には不引けり。梨軍支鉢を捧げて高声に告げけれども人つひに不聞付ければ、その日も飢ゑてかへりにける。阿難尊者この事をあはれみて、『今日我仏に随ひ奉て請を受くるに、汝を伴なつて飯に可令飽』と約し給ふ。阿難既に仏に随ひて出で給ふ時に、梨軍支に約束し給ひつる事を忘れて、連れ給はざりければ、今日さへ鉢を空しくして徒然とぜんとしてぞくらしける。




その翌日また舎利弗(釈迦の十大弟子の一人。智慧第一)は、長者に呼ばれて出かけて行ったのじゃが、梨軍支比丘を連れて行ったんじゃ。長者は五百人の阿羅漢([仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと])に飯を与えたが、どういう訳で見落としたか。梨軍支一人には与えなかったんじゃ。梨軍支は鉢を捧げて大声で知らせたんじゃ終に聞き付ける人もなく、その日も飢えて帰った。阿難尊者(阿難陀。釈迦の十大弟子の一人。 多聞第一)はこれを憐れんで、『今日わたしは仏(釈迦)の供をして請を受けることになっておる、お前も連れて行くから飯を十分もらえ』と約束したんじゃ。阿難は仏に従い出かけたが、梨軍支と約束したことを忘れて、連れて行かなかった、梨軍支は今日も鉢を空しくして腹を減らして日を送ったんじゃよ。


続く


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by santalab | 2017-03-06 08:09 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大館左馬助討死の事付篠塚勇力の事(その1)

斯かりしかば、大将細川頼春よりはるは、今戦ひ事散じて、御方の手負ひ死人を記さるるに、七百人に余れりといへども、宗との敵二百余人討たれにければ、人皆気を挙げ勇みをなせり。「さらばやがて大館おほたち左馬の助が籠もつたる世田の城へ寄せよ」とて、八月二十四日早旦さうたんに、世田の後ろなる山へ打ち上がりて、城を遥かに見下ろし、一万余騎を七手に分けて、城の四辺に打ち寄り、先づ己が陣々をぞ構へたる。向かひぢんすでに取り巻かせければ、四方しはうより攻め寄せて、持楯もつだてかづき寄せ、乱杭らんぐひ逆茂木さかもぎを引き退けて、夜昼三十日までぞ攻めたりける。城の内には宗との軍をもしつべきつはものと憑まれし岡部をかべ出羽ではかみが一族四十しじふ余人、皆日来のみにて自害しぬ。その外の勇士どもは、千町が原の戦ひに討ち死にしぬ。力尽きじきとぼしうして可防やうもなかりければ、九月三日の暁、大館左馬の助主従十七騎、一の木戸口へ打ち出でて、屏に付きたる敵五百余人を、遥かなる麓へ追ひ下ろし、一度に腹を切つて、枕を並べてぞ臥したりける。防ぎ矢射けるつはものどもこれを見て、今は何をか可期とて、あるひは敵に引つ組んで刺し違ふるもあり、あるひは己が役所に火を懸けて、猛火みやうくわの底に死するもあり。目も当てられぬ有様なり。




こうして、大将細川頼春は、戦い散じて、味方の手負い死人を記すと、七百人に余るほどでしたが、主な敵二百余人を討ったので、人は皆気は高ぶり勇みをなしました。「ならばすぐに大館左馬助(大舘氏明うぢあき)が立て籠もっている世田城(現愛媛県新居浜市)へ寄せよ」と、八月二十四日の早旦に、世田城の後ろの山へ打ち上がり、城を遥かに見下ろし、一万余騎を七手に分けて、城の四辺に打ち寄り、先づ己の陣を構えました。向かい陣で取り巻くと、四方より攻め寄せて、持楯を引き抜き、乱杭([地上や水底に数多く不規則に打ち込んだくい])・逆茂木([敵の侵入を防ぐために、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ、結び合わせた柵])を引き退けて、夜昼三十日間攻めました。城の内では軍兵として頼りにされていた岡部出羽守の一族四十余人が、皆自害しました。そのほかの勇士どもは、千町が原の戦い(現愛媛県西条市)で討ち死にしました。力尽き食料も乏しくなり防ぐことも適わず、九月三日の暁、大館左馬助(氏明)主従十七騎は、一の木戸口へ打ち出て、屏を囲んだ敵五百余人を、遥か麓へ追い下ろし、一度に腹を切って、枕を並べて臥しました。防ぎ矢を射ていた兵どもはこれを見て、今は何を期すべきと、ある者は敵と引っ組んで刺し違えるもあり、ある者は己の役所([戦陣で、将士が本拠としている所])に火を懸けて、猛火の底に死ぬ者もありました。目も当てられぬ有様でした。


続く


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by santalab | 2017-03-06 07:25 | 太平記 | Comments(0)

    

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