Santa Lab's Blog


2017年 03月 08日 ( 2 )



「太平記」公家一統政道の事(その2)

同じき十三日じふさんにちに可有御入洛被定たりしが、無其事と、延引あつて、被召諸国兵、作楯砥鏃、合戦の御用意ありと聞こへしかば、が身の上とは知らねども、京中の武士の心中更に不穏。これによつて主上しゆしやう右大弁の宰相さいしやう清忠きよただを勅使にて被仰けるは、「天下すでにしづまつて偃七徳之余威、成九功之大化処に、なほ動干戈被集士卒之条、そのえう何事ぞや、次に四海騒乱さうらんのほどは、為遁敵難、一旦そのそのすがたを雖被替俗体、世すでに静謐の上は急ぎ帰剃髪染衣姿、門迹相承もんぜきさうじようげうを事とし給ふべし」とぞ被仰ける。宮、清忠を御前おんまへ近く被召、勅答申させ給ひけるは、「今四海一時にしづまつて万民誇無事化、依陛下休明徳、由微臣籌策功矣。しかるに足利治部の大輔高氏たかうぢわづかに以一戦功、欲立其志於万人上。今もし乗其勢微不討之、取高時法師逆悪加高氏威勢上に、者なるべし。このゆゑに挙兵備武、全く非臣罪。次に剃髪の事、兆前てうぜんに不鑒機者定めて舌をひるがへさんか。今逆徒不測滅びて天下雖属無事、与党よたうなほ隠身伺隙、不可有不待時。この時かみ無威厳、しも必可有暴慢心。されば文武ぶんぶの二道同じく立つて可治今の世なり。我もし帰剃髪染衣体捨虎賁こほん猛将威、於武全朝家人はそや。それ諸仏菩薩垂利生方便日、有折伏・摂受二門。その摂受せふじゆとは者、作柔和忍辱之貌慈悲為先、折伏しやくぶくとは者、現大勢忿怒形刑罰を為宗。いはん聖明せいめいの君求賢佐・武備才時、あるひは出塵のともがらを帰俗体あるひは退体の主を奉即帝位、和漢その例多し。いはゆる賈嶋浪仙かたうらうせんは、釈門より出でて成朝廷臣。我がてうの天武・孝謙かうけんは、替法体登重祚位。そもそも我栖台嶺幽渓、わづかに守一門迹、居幕府上将、とほく静一天下いちてんが、国家の用いづれをか為吉。この両篇すみやかに被下勅許様に可経奏聞」被仰、すなはち清忠をぞ被返ける。




同じ元弘三年(1333)六月十三日に入洛と定められましたが、(護良もりよし親王は)入洛できないと、延引し、諸国の兵を召し、楯を作り鏃を砥いで、合戦の用意をしていると聞こえました、いったい誰の身の上とは知りませんでしたが、京中の武士の心中はまったく穏やかではありませんでした。これによって主上(第九十六代後醍醐天皇)が右大弁宰相清忠(坊門清忠)を勅使として仰せられるには、「天下はすでに鎮まって七徳([中国における武の七徳。禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財])の余威([なお残る勢い])も休まり、九功([九種の功績。民を養う基、六府=水・火・金・木・土・穀。と善政の本、三事=正德・利用・厚生])の大化をなすところに、なお士卒を集め干戈([武器])を持たせておるというが、いったい何のためぞ、次に四海([国内])騒乱のほどは、敵から遁れ難く、一旦その姿を俗体に替えたが、世すでに静謐の上は急ぎ剃髪し染衣([墨染めの衣])の姿に戻り、門跡([皇族・公家の子弟などの住する特定の寺院])相承([弟子が師から、子が親から、学問・技芸・法などを次々に受け継ぐこと])の業に専念するべし」と申されました。宮(護良親王)は、清忠を御前近く召して、勅答されて、「今四海は一時に鎮まり万民は不安なく過ごしております、これひとえに陛下の明徳([立派な徳性])によるもの、臣の籌策([計略])の功によるものではございません。けれども足利治部大輔高氏(足利高氏)はわずかに一戦の功により、万人に超える欲心を起こしております。もし勢がわずかなうちにこれを討たなければ、高時法師(北条高時。鎌倉幕府第十四代執権)の逆悪([道理や秩序に反する悪])以上に高氏が威勢を振るうことに、なりましょう。そうならぬよう兵を挙げ武を備えることは、臣として当然のことでございます。次に剃髪のことでございますが、兆前([きざしが現れる前])を慮らずは必ず舌を翻す([ひどく驚く])ことになりましょう。今逆徒が図らずも滅んで天下は安寧といえども、与党はなお身を隠し隙を窺い、時を待っております。もしその時上に威厳なくば、下は必ずや慢心([おごり高ぶること])に驕りましょう。文武の二道同じく立ってこそ世を治めることができるのです。我がもし剃髪染衣姿に戻り虎賁([前漢代に設立された皇帝直属の部隊名])猛将の威を捨てたなら、朝家において誰が武を全うするのですか。諸仏菩薩垂の利生方便([仏・菩薩が衆生に利益を与える手だてを講じること])にいわく、折伏([悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること])・摂受([慈悲の心で、相手をやさしく仏道に入らしめること])の二門あるといいます。摂受とは、柔和(観音菩薩)が忍辱([侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと])の姿で慈悲を垂れること、折伏とは、大勢(勢至菩薩)が憤怒を現し刑罰をなすことでございます。申すまでもなく聖明の君は賢佐・武備の才ある者を求め、あるいは出塵([出家して僧となること])の輩を帰俗させあるいは退体の主を帝位に即かせられました、和漢にその例は多くございます。いわゆる賈島浪仙(中国唐代の詩人)は、釈門を出て朝廷の臣となりました。我が朝の天武(第四十代天皇。第三十五代皇極天皇・第三十七代斉明天皇の誤り)・孝謙(第四十六代孝謙天皇・第四十八代称徳天皇)は、法体を替えて重祚の位に登られました。そもそも我は台嶺([比叡山を天台山=中国浙江省の天台山。に模して唐風に呼ぶ称])の幽渓を栖みかとし、わずかに一門跡を守る者でございましたが、今は幕府の上将(征夷大将軍)として、一天下を静めることを願っております、国家としていずれが理にかなっておりましょうや。いずれになされるかすみやかに勅許下されますようにと奏聞せよ」と仰せて、たちまち清忠を帰しました。


続く


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by santalab | 2017-03-08 08:30 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大館左馬助討死の事付篠塚勇力の事(その3)

篠塚ちつとも不騒、小歌にて閑々しづしづと落ち行きけるを、敵、「余すな」とて追つ懸くれば立ち止まつて、「嗚呼御辺たち、痛く近付いて首に中違なかちがひすな」とあざ笑うて、くだんの金棒を打ち振れば、蜘の子を散らすが如くさつとは逃げ、また群立むらだつて迹に集り、やじりを揃へて射れば、「某がよろひにはかたがたのへろへろ矢はよも立ち候はじ。すはここを射よ」とて、後ろを差し向けてぞ休みける。されども名誉の者なれば、一人なりとももしや打ち止むると、追つ懸けたる敵二百余騎に、六里の道を被送て、その夜の夜半許りに、今張いまばりの浦にぞ着きたりける。自らこの舟に乗りて、陰の島へ落ちばやと心ざし、「舟やある」と見るに、敵の乗り棄てて水主許かこばかり残れる舟数多あまたあり。これこそ我が物よと悦んで、鎧着ながら浪の上五町ごちやう許りを泳ぎて、ある舟にがはと飛び乗る。水主かこ梶取かんどり驚いて、「これはそもそも何者ぞ」と咎めければ、「さな云ひそ。これは宮方の落人おちうと篠塚と云ふ者ぞ。急ぎこの舟を出だして、我を陰の島へ送れ」と云ひて、二十にじふ余人して繰り立てけるいかりを安々と引き挙げ、四十五尋しじふごひろありけるほばしらを軽々と推し立てて、屋形の内に高枕して、いびき掻きてぞ臥したりける。水主・梶取りどもこれを見て、「あなおびたたし、凡夫ぼんぶわざにはあらじ」と恐怖して、すなはち順風に帆を懸けて、陰の島へ送りて後、いとまを請うてぞかへりにける。昔も今も勇士多しといへども、懸かる事をば不聞とて、篠塚を誉めぬ者こそなかりけれ。




篠塚(篠塚重広しげひろ)はこれを物ともせず、小歌を口ずさみながらゆっくりと落ち行きました、敵が、「逃がすな」と追っ駆ければ立ち止まって、「御辺たちよ、へたに近付いて首と仲違いするな」とあざ笑って、手に持った金棒を打ち振れば、蜘の子を散らしたようにさっと逃げ、また集まっては後に付き、鏃を揃えて矢を射れば、「わしの鎧にはお前達のへろへろ矢は立たぬ。さあここを射よ」と、背中を向けて休みました。けれども名誉の者でしたので、一人なりとももしや討たれるやもと、追っ駆けた敵二百余騎に、六里の道を送られて、その夜の夜半ばかりに、今張の浦(現愛媛県今治市)に着きました。自らこの舟に乗って、陰の島(因島?現広島県尾道市。篠塚重広は隠岐島へ落ち延びたらしいが)へ落ち延びようと思い、「舟はあるかな」と見れば、敵が乗り棄てて水主ばかり残る舟が多くありました。これぞ我が舟よとよろこんで、鎧を着たまま浪の上を五町(約500m)ばかり泳いで、ある舟に飛び乗りました。水主・梶取りは驚いて、「そもそも何者ぞ」と責め立てると、「つめたいことは言うな。わしは宮方の落人で篠塚と言う者よ。急ぎこの舟を出して、わしを陰の島へ送れ」と言って、二十余人して上げるほどの碇を安々と引き上げ、四十五尋(おそらく十五尋=約25m)もある帆柱を軽々と立てると、屋形の内に高枕で、鼾をかいて寝てしまいました。水主・梶取りどもこれを見て、「なんという馬鹿力ぞ、とても凡夫の態ではない」と恐怖して、たちまち順風に帆を懸けて、陰の島へ送った後、暇を請うて帰りました。昔も今も勇士多しといえども、このような者は聞いたことはないと、篠塚(重広)を誉めぬ者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2017-03-08 07:18 | 太平記 | Comments(0)

    

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