Santa Lab's Blog


2017年 03月 10日 ( 2 )



「太平記」先帝崩御の事(その2)

主上しゆしやう苦しげなる御息を吐かせ給ひて、「妻子珍宝及王位さいしちんはうきふわうゐ臨命終時不随者りんみやうじゆうじふずゐしや、これ如来の金言にして、平生へいぜい朕が心に有ありし事なれば、秦の穆公ぼくこう三良さんりやううづみ、始皇帝しくわうていの宝玉を随へし事、一つも朕が心に取らず。ただ生々世々しやうじやうせぜ妄念まうねんともなるべきは、朝敵てうてきを悉く亡ぼして、四海しかいを令泰平と思ふ計りなり。朕すなはち早世の後は、第七の宮を天子の位に即け奉て、賢士忠臣事をはかり、義貞義助よしすけが忠功を賞して、子孫不義の行ひなくば、股肱ここうの臣として天下てんがしづむべし。思之ゆゑに、玉骨はたとひ南山の苔にうづもるとも、魂魄こんばくは常に北闕の天を望まんと思ふ。もし命めいを背き義をかろんぜば、君も継体の君に非ず、臣も忠烈の臣に非じ」と、委細ゐさいに綸言を残されて、左の御手に法華経ほけきやうの五のまきを持たせ給ひ、右の御手には御剣をあんじて、八月十六日の丑の剋に、つひに崩御成りにけり。




主上は苦しげな息を吐かれて、「妻子・珍宝・王位は、冥土に持っていくことはできぬ、これは釈迦如来の金言(『大方等大集経』)であるが、平生朕の心にあるものぞ、秦の穆公(秦の第九代公)が三良詩を埋め、始皇帝は宝玉を埋葬したというが、朕にはまったくそのような思いはない。ただ生々世々([永遠])に妄念となるであろうことは、朝敵を一人残らず亡ぼして、四海([国内])を泰平せしめんと思う心のみ。朕早世の後は、第七の宮(義良のりよし親王)を天子の位に即け、賢士忠臣が相謀り、義貞(新田義貞)義助(脇屋義助。新田義貞の弟)の忠功を賞し、子孫に不義の行いのないようにせよ、必ずや股肱([主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下])の臣として天下を鎮めることであろう。それを思えば、玉骨はたとえ南山の苔に埋まるとも、魂魄は常に北闕の天(北にある宮城の門の方角)を望もうと思うておる。もし命に背き義を軽んずれば、君も継体の君ではなく、臣も忠烈の臣とならぬであろう」と、委細に綸言を残されて、左の手に法華経の五の巻を持たれ、右の手を御剣に懸けて、八月十六日の丑の刻([午前十二時頃])に、遂に崩御されました。


続く


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by santalab | 2017-03-10 10:02 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」公家一統政道の事(その4)

その次に花やかによろふたるつはもの五百人勝つて、帯刀たてはきにて二行に被歩。その次に、宮は赤地あかぢの錦の鎧直垂よろひひたたれに、火威ひをどしの鎧の裾金物すそかなものに、牡丹の陰に獅子のたはむれて、前後左右に追ひ合ひたるを、草摺長に被召、兵庫鎖ひやうごくさりの丸鞘の太刀に、虎の皮の尻鞘懸けたるを、太刀懸けの半ばに結うてげ、白篦しらの節陰許ふしかげばかり少し塗つて、くぐひはねを以つていだる征矢そや三十六さんじふろく指したるを筈高はずだかに負ひ成し、二所藤ふたところどうの弓の、銀のつく打つたるを十文字じふもんじにぎつて、白瓦毛しろかはらげなる馬の、尾髪をがみ飽くまでつて太くたくましきに沃懸地いつかけちの鞍置いて、厚総あつふさしりがひの、只今染め出でたる如くなるを、芝打ちだけに懸け成し、侍十二人じふににん双口もろぐちをさせ、千鳥足を蹈ませて、小路をせばしと被歩。後乗こうじようには、千種の頭の中将ちゆうじやう忠顕ただあき朝臣千余騎にて被供奉。




その次に華やかな鎧を着た兵を五百人選んで、帯刀として二列に歩かせました。その次に、宮(護良もりよし親王)は赤地の錦の鎧直垂([鎧の下に着る衣])に、火威([緋色に染めた革や組紐 くみひもなどで威したもの])の鎧の裾金物([鎧の袖や、草摺の菱縫ひしぬひの板の端に打った金物])に、牡丹の陰に獅子が戯れて、前後左右に追い合うものを、草摺長([鎧の草摺を長く垂らして着ている様])に着て、兵庫鎖([兵具鎖]=[兵具に用いる鎖])の丸鞘([軍陣用の肉厚の太刀を納めるために こしらえた、断面が楕円形に近い鞘])の太刀に、虎皮の尻鞘([雨露を防ぐために、太刀の鞘をおおう毛皮製の袋])を懸け、太刀懸けの半ばに結って提げ、白篦([竹を磨いただけで、焦がしたり塗ったりしてい ない矢竹])に節ばかり少し塗って、鵠([白鳥])の羽を、矧いだ征矢([戦闘用の矢])の三十六本差して筈高([えびらに入れた矢の矢筈が頭上高く突き出ている様])に負いなし、二所籐([弓の籐の巻き方の一。二か所ずつ一定の間をおいて巻いたもの])の弓に、銀で銑([弓の両端])打ったものを十文字に握って、白瓦毛の、尾髪が長く垂れて太くたくましい馬に沃懸地([蒔絵の地蒔きの一。金または銀の粉を密に蒔いた上から漆をかけ、研ぎ出したもの])の鞍を置いて、厚総の鞦([頭・胸・尾にかける紐の総称。三繫])の、ただ今染め出したように鮮やかなものを、芝打ち長([先端が地面に触れるほど垂れていること])に懸けて、侍十二人に諸口([馬の口取り縄を左右両方からとること])させ、千鳥足([馬の足並みが乱れること。千鳥の羽音に似るという])を踏ませて、小路を狭しと歩ませました。後乗り([行列の最後尾を騎馬で行くこと])には、千種頭中将忠顕朝臣(千種忠顕)が千余騎で供奉しました。


続く


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by santalab | 2017-03-10 07:33 | 太平記 | Comments(0)

    

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