Santa Lab's Blog


2017年 03月 12日 ( 2 )



「太平記」公家一統政道の事(その6)

その後妙法院めうほふゐんの宮は四国の勢を被召具、讚岐の国より御上洛しやうらくあり。万里小路までのこうぢ中納言藤房ふぢふさきやうは、預人あづかりうど小田民部をだみんぶの大輔相具あひぐして常陸ひたちの国より被上洛しやうらく。春宮の大進だいしん季房すゑふさは配所にて身罷りにければ、父宣房のぶふさ卿悦びのうちの悲しみ、老後の泪満袖。法勝寺ほつしようじ円観ゑんくわん上人をば、預人結城上野ゆふきかうづけの入道奉具足上洛したりければ、君法体ほつたいの無恙事を悦び思し召して、やがて結城に本領安堵の被成下綸旨。




その後妙法院宮(宗良むねよし親王)は四国の勢を召し具して、讚岐国より上洛しました。万里小路中納言藤房卿(万里小路藤房)は、預人([人の身柄を引き受けて監視や世話をする人])小田民部大輔を連れて常陸国より上洛しました。春宮大進季房(万里小路季房すゑふさ。万里小路藤房の弟)は配所で亡くなったので、父宣房卿(万里小路宣房)はよろこびの中の悲しみに、老後の涙は袖を満たしました。法勝寺の円観上人は、預人結城上野入道(結城宗広むねひろ)を連れて上洛したので、君(第九十六代後醍醐天皇)は法体無事であったことをよろこばれて、やがて結城に本領安堵の綸旨を下しました。


続く


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by santalab | 2017-03-12 09:18 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」先帝崩御の事(その4)

天下てんが久しく乱に向かふ事は、末法まつぼふの風俗なれば暫く言ふに不足。延喜天暦えんぎてんりやくよりこの方、先帝ほどの聖主神武の君は未だをはしまさざりしかば、何となくとも、聖徳一度開けて、拝趨はいすう忠功の望みを達せぬ事は非じと、人皆たのみをなしけるが、君の崩御なりぬるを見まゐらせて、今は御裳濯河みもすそがはの流れの末も絶え果て、筑波山の陰に寄る人もなくて、天下皆魔魅まみの掌握に落つる世に成らんずらんと、あぢきなく思へければ、多年著き纏ひ進らせし卿相雲客けいしやううんかく、あるひは東海の波を蹈んで仲連ちゆうれんが跡をたづね、あるひは南山の歌を唱へて寗戚ねいせきが行ひを学ばんと、思ひ思ひに身の隠れ家をぞ求め給ひける。




天下が久しく乱に向かうことは、末法([仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期])の習いでしたので申すまでもありませんでした。延喜天暦(第六十代醍醐天皇と、その皇子で第六十二代村上天皇)よりこの方、先帝(第九十六代後醍醐天皇)ほどの聖主神武の君はおられませんでしたので、どうにかして、聖徳が再び開けて、拝趨([出向くことをへりくだっていう語])忠功の望みを達すべきと、人は皆頼みにしていましたのに、君が崩御されたのを見知って、今は御裳濯川(伊勢神宮の内宮神域内を流れる五十鈴川の異称)の流れの末も絶え果て、筑波山(現茨城県つくば市)の陰に寄る人もなくて、天下はすべて魔魅([人をたぶらかす魔物])の掌握に落ちる世になるのではないかと、甲斐なく思われて、多年近習していた卿相雲客([公卿と殿上人])は、あるいは東海の波を越えて仲連(魯仲連。中国戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴したらしい)の跡を尋ね、あるいは南山の歌を唱えて寗戚(春秋時代の東周の軍人らしい)の業績を学ぼうかと、思い思いに身の隠れ家を探し求めました。


続く


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by santalab | 2017-03-12 09:13 | 太平記 | Comments(0)

    

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