Santa Lab's Blog


2017年 03月 20日 ( 1 )



「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その4)

中和院ちゆうくわゐんは中のゐん内教坊ないけうばう雅楽所ががくじよなり。御修法みしほ真言院しんごんゐん神今食じんごんじき神嘉殿しんかでん、真弓・競べ馬をば、武徳殿ぶとくでんにして被御覧。朝堂院てうだうゐんまうすは八省の諸寮これなり。右近の陣の橘は昔を忍ぶ香を留め、御階みはしに滋る竹の台幾世の霜を重ぬらん。在原の中将ちゆうじやうの弓・胡簶やなぐひを身に添へて、雷鳴かんなり騒ぐ終夜よもすがらあばらなる屋に居たりしは、くわんちやう八神殿やつじんどの、光源氏の大将だいしやうの、く物もなしと詠じつつ、朧月夜にあこがれしは弘徽殿こうきでん細殿ほそどの相公しやうこういにしへこしぢの国へ下りしに、旅の別れを悲しみて、「後会期こうくわいご遥かなり。濡纓於鴻臚之暁涙」と、長篇ちやうへんの序に書きたりしは、羅城門らしやうもんの南なる鴻臚館こうろくわんの名残りなり。




中和院([内裏の南西隅、朝堂院の北に位置し、天皇が新嘗祭、神今食 かんいまけ)月次つきなみの祭の夜に行われた宮中の神事。神嘉殿に天皇が天照大神を祀り、火を改めて新たに炊いた飯を供え、天皇みずからも食する。などの祭式を行なったところ])は中院、内教坊([宮中で舞姫をおいて女楽・踏歌 などを教え練習させた所])は雅楽所です。御修法は真言院([中和院の西にあった密教の修法道場])、神今食は神嘉殿([中和院の正殿])、馬弓・競べ馬は、武徳殿(大内裏の西方に位置したらしい)でご覧になられました。朝堂院と申すのは八省の諸寮のことです。右近の陣の橘は昔を忍ぶ香を留め、御階([紫宸殿の南階段])に茂る竹台は幾世の霜を重ねたか。在原中将(在原業平)が弓・胡簶([矢を差し入れて背に負う武具])を身に負うて、雷鳴騒ぐ夜もすがらあばらなる屋に居たというのは、官庁の八神殿([天皇守護の八神を祀る神殿])、光源氏大将が、しくものもなし(『照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の 朧月夜に しくものぞなき』=[晴れるでもなく曇るでもなく、 春の夜の朧月夜に比べるものなどない]。大江千里)と詠じつつ、朧月夜(『源氏物語』の架空の登場人物)に憧れたのは弘徽殿([平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一])の細殿([殿舎のひさしの間 で、細長いもの 。仕切りをして、女房などの居室として使用した])、江相公(大江朝綱あさつな。平安時代中期の公卿、学者、書家。後江相公)がその昔(越前介として)越前国へ下った時、旅の別れを悲しんで、「後会([再会])の時は遥かに遠く、鴻臚館([平安時代に設置された外交および海外交易の施設])でのはなむけの宴の暁にえい([冠の付属具で、背後の中央に垂らす部分])を涙で濡らしています」と、長篇(『本朝文粹』)の序に書いたのは、羅城門の南にあった鴻臚館の名残りです(大江朝綱の時代には、鴻臚館は羅城門の北にあったらしい)。


続く


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by santalab | 2017-03-20 09:42 | 太平記 | Comments(0)

    

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