Santa Lab's Blog


2017年 03月 26日 ( 1 )



「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その10)

同じき年十月に、延喜えんぎの帝即御位給ひし後は、万機のまつりごと然しながら自幕府上相出でしかば、摂禄せつろくの臣も清花せいぐわの家も無可比肩人。昌泰しやうたい二年の二月に、大臣の大将だいしやうに成らせ給ふ。この時本院ほんゐん大臣おとどまうすは、大織冠たいしよくくわん九代のそん昭宣公せうせんこう第一のなん皇后くわうごうの御せうと、村上天皇てんわうの御伯父をぢなり。摂家と云ひ高貴かうきと云ひ、旁々かたがた我に等しき人非じと思ひ給ひけるに、官位・禄賞ろくしやうともに菅丞相くわんしようじやうに被越給ひければ、御いきどほり更に無休時。




同じ年(寛平九年(897))の十月に、延喜帝(第六十代醍醐天皇)が位に即かれた後は、万機の政は(菅原道真が)幕府([近衛大将])上相(亜相?大納言)となって、摂籙([摂政・関白。また、その家柄])の臣も清華家([公家の家格の一。最上位の摂家に次ぎ、大臣家の上の序列に位置する])の家も肩を並べる人はいませんでした。昌泰二年(899)の二月に、大臣の大将(右大臣、右大将)になりました。この時本院大臣(藤原時平ときひら)と申すは、大織冠(藤原鎌足)の九代孫(藤原鎌足・不比等ふひと房前ふささき真楯またて内麻呂うちまろ冬嗣ふゆつぐ長良ながら基経もとつね・時平)、昭宣公(藤原基経)の長男で、皇后(醍醐天皇中宮、藤原穏子やすこ)の兄(同母兄)、村上天皇(第六十二代天皇)の伯父(村上天皇は、藤原穏子の子)でした。摂家といい高貴といい、いずれも我に等しい人はいないと思っていましたが、官位・禄賞ともに菅丞相(菅原道真)に越えられて、その憤りは休む時はありませんでした。


続く


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by santalab | 2017-03-26 08:32 | 太平記 | Comments(0)

    

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