Santa Lab's Blog


2017年 03月 30日 ( 1 )



「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その14)

去る仁和の頃、讚州さんしうの任に下り給ひしには、解甘寧錦纜、蘭橈桂梶らんのさをかつらのかぢ、敲舷於南海月、昌泰しやうたいの今配所の道へ赴かせ給ふには、恩賜おんし御衣ぎよいの袖を片敷いて、浪の上とまの底、傷思於西府雲、都に留め置きまゐらせし北の御方・姫君の御事も、今は昨日きのふを限りの別れと悲しく、知らぬ国々へ被流遣十八人の君達きんたちも、さこそ思はぬ旅に趣いて、苦身悩心らめと、一方ひとかたならず思し召し遣るに、御泪更に乾く間もなければ、旅泊の思ひを述べさせ給ひける詩にも、

自従勅使駈将去
父子一時五処離
口不能言眼中血
俯仰天神与地祇


北の御方より被副ける御使ひの道よりかへりけるに御文あり。

君が住む 宿のこずゑを 行く行くも 隠るるまでに かへり見しはや


心筑紫に生きの松、待つとはなしに明け暮れて、配所の西府に着かせ給へば、埴生はにふの小屋のいぶせきに、奉送置、都の官人も帰りぬ。都府楼とふろうの瓦の色、観音寺の鐘の声、聞くに随ひ見るに付けての御悲しみ、この秋は独り我が身の秋となれり。



去る仁和の頃(仁和二年(886))、讃岐守として下った時には、解甘寧(中国後漢末期の武将。孫権に仕えた)が錦のともづなを解いて、蘭の棹桂の舵で、南海の月にふなばたを叩いて興じたものでしたが、昌泰([醍醐天皇の時の年号]。昌泰の変(901))に配所の道へ赴く今は、恩賜の御衣の袖を片敷いて、浪の上篷([すげかやなどで編んで作ったもの。船などを覆い、雨露をしのぐのに用いる])の底、傷西府(太宰府)の雲に思いを馳せて、都に留め置いた北の方・姫君のことも、今は昨日を限りの別れと悲しく、知らぬ国々へ流された十八人の君達も、それこそ思いもしなかった旅に赴いて、苦しみ心を悩ませているであろうと、一方ならず思い遣るに、涙はさらに乾く間もなければ、旅泊の思いを記す詩にも、

勅使にたちまち都を追い出された後は、
父子は一時にして五所に離れ、
話もできずに血の涙を流す。
今はただ天神地祇に俯仰([うつむくことと仰ぎ見ること])のみぞ。


北の方の使いとして供をしていた者が道中で帰る時に文を贈りました。

あなたが住む宿の梢を、道中で見えなくなるまで、幾度振り返って見たことか。


心は筑紫の生きの松(神宮皇后が三韓征伐に出征の際、渡海に先立ち、松の枝を切り逆さに濱に挿し「今般の軍に勝利あらばこの松生きよ」と勅宣があったが皆生付きて松原となったという)、待つとはなしに明け暮れて、配所の西府に着けば、憂鬱な埴生の小屋([土の上にむしろを敷いて寝るような粗末な小屋])に、留め置かれて、都の官人は帰って行きました。都府楼(かつて現福岡県太宰府市にあった大宰府政庁)の瓦の色、観音寺(現福岡県太宰府市にある観世音寺)の鐘の声を、聞くに付け見るに付けての悲しみは、この秋が独り我が身の秋のように思われました。


続く


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by santalab | 2017-03-30 08:32 | 太平記 | Comments(0)

    

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