Santa Lab's Blog


2017年 04月 09日 ( 2 )



「太平記」新田起義兵事(その2)

この時、故新田左中将さちゆうじやう義貞よしさだの次男左兵衛さひやうゑすけ義興よしおき・三男少将せうしやう義宗よしむね従兄弟いとこ左衛門さゑもんの佐義治よしはる三人、武蔵・上野・信濃・越後の間に、在所を定めず身を隠して、時を得ば義兵を起こさんとくはたて居たりけるところへ、吉野殿いまだ住吉に御坐おましありし時、由良ゆら新左衛入道信阿しんあを勅使にて、「南方と義詮よしあきら御合体ごがつていの事は暫時の智謀なりと聞こゆるところなり。すなはちせつに迷ひ時を過ごすべからず。早く義兵を起こして、将軍を追討つゐたうし、宸襟しんきんを休め奉るべし」とぞ仰せ下されける。信阿急ぎ東国へ下つて、三人の人々に逢うて事の子細を相触あひふれける間、さらばやがて勢を相催あひもよほせとて、廻文くわいぶんを以つて東八箇国を触れまはるに、同心のやから八百人に及べり。中にも石堂いしたう四郎入道は、近年高倉殿にしよくして、薩埵山の合戦に打ち負けて、甲斐なき命ばかりを助けられ、鎌倉にありけるが、大将に頼みたる高倉禅門は毒害せられぬ。我とは事を起こし得ず。あはれ謀反を起こす人のあれかし、与力せんと思ひけるところに、新田兵衛ひやうゑの佐・同じき少将の許より内状を通じて、事の由を知らせたりければ、流れに棹差すと悦びて、やがて同心してけり。




この時、故新田左中将義貞(新田義貞)の次男左兵衛佐義興(新田義興)・三男少将義宗(新田義宗)・従兄弟の左衛門佐義治(脇屋義治)の三人は、武蔵・上野・信濃・越後の内に、在所を定めず身を隠して、時を待って義兵を起こそうと企てていましたが、吉野殿(第九十七代後村上天皇)が住吉(現大阪市住吉区にある住吉大社)におられた時、由良新左衛入道信阿を勅使に立てて、「南方(南朝)と義詮(足利義詮。足利義貞の嫡男)が和平したのはしばらくの時間稼ぎだと聞いておろう。この折を逃し無駄に時を過ごすではない。早く義兵を起こし、将軍(足利尊氏)を追討し、宸襟を休められよ」と仰せ下されました。信阿は急ぎ東国へ下って、三人の人々に面会して事の子細を伝えたので、ならばたちまち勢を集めよと、廻文([複数の人に順に回して知らせるよう にした手紙や通知])をもって東八箇国に触れ回ると、同心の者どもは八百人に及びました。中でも石塔四郎入道(石塔義房よしふさ)は、近年高倉殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に属して、薩埵山の合戦(1351)に打ち負けて、甲斐なき命ばかりを助かって、鎌倉にいましたが、大将と頼りにしていた高倉禅門(足利直義)は毒害された。己では力不足である。もし謀反を起こす人があれば、与力しようと思っていましたが、新田兵衛佐(新田義興)・同じく少将(新田義宗)の許より内状([内密の書状])を通じて、事の由を知らせたので、流れに棹差す([時流に乗ること])とよろこんで、たちまち同心しました。


続く


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by santalab | 2017-04-09 11:02 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」大内裏造営の事付聖廟の御事(その24)

かくてあるべきにあらねば、内裏造営ざうえいあるべしとて、運魯般斧新たに造り立てたりける柱に一首のむしくひの歌あり。

造るとも またも焼けなん 菅原や 棟の板間の 合はん限りは


この歌に神慮なほも御納受なふじゆなかりけりと驚き思し召して、一条院より正一位じやういちゐ太政だいじやう大臣の官位を賜はらせ給ふ。勅使安楽寺に下つて詔書せうしよを読み上げける時天に声あつて一首の詩聞こへたり。

昨為北闕蒙悲士
今作西都雪恥尸
生恨死歓其我奈
今須望足護天皇基


その後よりは、神のいかりもしづまり国土も穏やかなり。おほいなるかな、尋本地、大慈大悲の観世音、弘誓ぐぜいの海深うして、群生済度ぐんしやうさいどの船無不到彼岸。 垂跡すゐじやくを申せば天満大自在天神の応化おうげの身、利物りもつ日々に新たにして、一来結縁いちらいけちえんの人所願しよぐわん任心成就じやうじゆす。ここを以つてかみ自一人、下至万民、渇仰かつがうかうべを不傾云ふ人はなし。まことに奇特無双ぶさうの霊社なり。




そのままにしておくわけにもいかないので、内裏造営あるべしと、魯般(中国春秋時代の魯の工匠)が斧を振るい新たに造り立てた柱に一首の虫喰いの歌がありました。

内裏を造ったところでまたも焼けてしまうであろう。菅原道真に胸の痛みがある限りは。

この歌に神慮なおも納受されぬと驚かれて、(菅原道真に対して)一条院(第六十六代天皇)より正一位太政大臣の官位を賜わりました。勅使が安楽寺(現福岡県太宰府市、太宰府天満宮の敷地にあった。菅原道真の菩提寺)に下って詔書を読み上げた時天から声がして一首の詩が聞こえました。

かつて北闕([宮中])で悲しみに遭い、
今屍となって西都で都の恥を雪ぐ。
生きての恨みは死んでよろこびとなすかな。
今後は天皇の基を護ることにしようぞ。

その後よりは、神の怒りも鎮まり国土も安穏でした。偉大なことよ、本地([仏・菩薩ぼさつの本来の姿])を尋ねれば、大慈大悲の観世音、弘誓([修行者である 菩薩が、自身みずから悟りを開き、同じく生きとし生けるものを救済しようとする決意,、誓いを立てること。またその決意や誓いそのもの])の海深くして、群生済度([仏や菩薩などが迷妄のなかにある衆生を導いて悟りの境界にいたらしめること])の船は彼岸([煩悩を解脱した涅槃の境地])に至らぬことなし。垂跡([仏や菩薩が衆生を救うため、仮に神の姿になって現れること])を申せば天満大自在天神の応化([仏・菩薩が世の人を救うために、相手の性質・力量に応じて姿を変えて現れること])の身、利物([衆生に利益りやくを与えること。人々を救うこと])は日々あらたかにして、一来結縁([世の人が仏法と縁を結ぶこと])の人の所願は心のままに成就しました。こうして上は一人(天皇)、下は万民にいたるまで、渇仰([深く仏を信じること])の頭を傾けぬ人はありませんでした。(現京都市上京区にある北野天満宮は)まこと奇特無双の霊社なのです。


続く


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by santalab | 2017-04-09 08:19 | 太平記 | Comments(0)

    

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