Santa Lab's Blog


2017年 04月 20日 ( 1 )



「太平記」千種殿並文観僧正奢侈の事付解脱上人の事(その6)

上人聞此事給ひて、「これぞ神明の我に道心を勧めさせ給ふ御利生りしやうよ」と歓喜くわんぎの泪を流し、それよりやがて京へはかへり給はで、山城やましろの国笠置かさぎと云ふ深山みやまに卜一巌屋、攅落葉為身上衣、拾菓為口食、長く発厭離穢土心鎮専欣求浄土勤し給ひける。かくて三四年を過ごし給ひける処に承久しようきうの合戦出で来て、義時よしとき執天下権しかば、後鳥羽のゐん被流させ給ひて、広瀬の宮即天子位給ひける。その時解脱げだつ上人在笠置窟聞こし召して、為官僧度々被下勅使被召けれども、これこそ第六天の魔王どもが云ひし事よと被思ければ、つひに不随勅定いよいよ行ひ澄ましてぞおはしましける。智行ちぎやう徳開けしかば、やがて成此寺開山、今に残仏法弘通紹隆給へり。以彼思此、うたてかりける文観もんくわん上人の行儀ぎやうぎかなと、迷愚蒙眼。遂に無幾程建武の乱出で来しかば、無法流相続門弟一人成孤独衰窮身、吉野の辺に漂泊へうはくして、はり給ひけるとぞ聞こへし。




解脱上人(貞慶じようけい)はこれを聞いて、「これこそ神明が我に道心を勧める利生([仏・菩薩が衆生に利益を与えること。また、その利益])である」と歓喜の涙を流し、それよりやがて京には帰らず、山城国の笠置(現京都府相楽郡笠置町)という深山に巌屋を作り、落葉を集めて上衣とし、木の実を拾って食としました、長く厭離穢土([苦悩多い穢れたこの娑婆世界をいとい離れたいと願うこと])の心を持ちひたすら欣求浄土([この穢れた現実世界を離れて極楽浄土、すなわち仏の世界を、心から喜んで願い求めること])に勤めました。こうして三四年を過ごすところに承久の合戦(承久の乱(1221))が起こり、義時(鎌倉幕府第二代執権、北条義時)が執天下を執権しました、後鳥羽院(第八十二代天皇)は配流されて、広瀬院(第八十代高倉天皇の第二皇子、守貞もりさだ親王。後高倉院)の宮が天子の位に即かれました(第八十六代後堀河天皇)。その時解脱上人は笠置窟におられてこれを聞き、勅使が下され度々官僧の召しがありましたが、これこそ第六天魔王([第六天魔王波旬はじゆん]=[仏道修行を妨げている魔])どもが申したことだと思われて、遂に勅定に従わずますます行い澄ましておられました。智行([知識と徳行])の徳が開かれて、やがてこの寺(笠置寺)を開山し、今に仏法弘通([仏教や経典が広まること])の地として紹隆([先人の事業を受け継いで、さらに盛んにすること])しています。これを思うに、文観上人の行儀([振る舞い])は嘆かわしく、愚蒙([愚かなこと])の迷いに他なりませんでした。遂にほどなく建武の乱(延元の乱(1336))が起こると、法流([教えを伝える系譜])相続の門弟は一人もなく孤独衰窮の身となり、吉野の辺に漂泊して、命を終えたということです(文観は後醍醐方に属して吉野へ随行し、大僧正となり、現大阪府河内長野市の金剛寺で没した)。


続く


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by santalab | 2017-04-20 08:43 | 太平記 | Comments(0)

    

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