Santa Lab's Blog


2017年 05月 05日 ( 2 )



「太平記」武蔵野合戦の事(その10)

仁木左京大夫頼章よりあき・舎弟越後ゑちごかみ義長よしながは、元来ぐわんらい加様かやうの所を伺うて未だ一戦もせず、馬を休めて葦原の中に隠れて居られたりけるが、これを見て、「末々すゑずゑの源氏、国々の付き勢をば、何千騎討つても何かせん。あはれさいはひや、天の与へたる所かな」と悦びて、その勢三千余騎、ただ一手に成つて押し寄せたり。敵小勢なれば、定めて鶴翼かくよくに開いて、取り篭めんずらんと推量して、義興よしおき義治よしはる魚鱗ぎよりんに連なつて、くつばみを並べて、敵の中をらんと見繕ふ処に、仁木越後の守義長これをきつと見て、「敵の馬の立てやう・軍立ち、世の常の葉武者に非ず。小勢なればとて、あなどりて中をらるな。一所に馬を打ち寄つて、敵懸かるとも懸け合はすな。前後に常に目をくばつて、大将と思しき敵あらば組んで落ちて首を捕れ。葉武者懸からば射落とせ。敵に力を尽くさせて御方少しも不漂、無勢ぶせいに多勢不勝や」と、委細ゐさいに手立てを成敗して一処に勢をぞ囲みたる。




仁木左京大夫頼章(仁木頼章)・舎弟越後守義長(仁木義長)は、初めより軍の有様を窺いいまだ一戦もせず、馬を休めて葦原の中に隠れていましたが、これを見て、「末々の源氏、国々の付き勢を、何千騎討っても仕方あるまい。なんとありがたいことよ、天が与えたものか」とよろこんで、その勢三千余騎が、ただ一手になって押し寄せました。敵は小勢でしたので、必ずや鶴翼([自軍の部隊を、敵に対峙して左右に長く広げた隊形に配置する陣形])に開いて、取り籠めようとするであろうと推量するところに、義興(新田義興。新田義貞の次男)・義治(脇屋義治。新田義貞の弟、脇屋義助よしすけの子)が魚鱗([中央が突き出した陣形])に連なって、轡を並べて、敵の中を破ろうとするところを、仁木越後守義長が見て、「敵の馬の立て様・軍立ち、世の常の葉武者ではないぞ。小勢だからといって、侮って中を破られるるな。一所に馬を打ち寄って、敵が懸かるとも駆け合わすな。前後に常に目を配って、大将と思われる敵と見たならば組んで落ちて首を捕れ。葉武者ならば射落とせ。敵に力を尽くさせて味方の陣を乱すでない。無勢に多勢が負けるわけがないわ」と、細かく手立てを成敗して一処に勢を集めました。


続く


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by santalab | 2017-05-05 09:13 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北山殿謀反の事(その8)

官軍くわんぐんどもこれを聞いて、「さては橋本の中将殿ちゆうじやうどのを隠し被申にてこそあれ。御所中をよくよく見奉れ」とて数千すせんつはものども殿中に乱れ入つて、天井塗篭め打ち破り、翠簾几帳すゐれんきちやうを引き落として、無残処捜しけり。依之これによつて只今まで可有紅葉の御賀とて楽絃を調べつる伶人、装束しやうぞくをも不脱、東西に逃げ迷ひ、見物の為とて群をなせる僧俗男女、怪しき者かとて、多く被召捕不慮に刑戮けいりくに逢ひけり。その辺の山の奥、いははざままで、もしやとなほ捜しけれども、俊季としすゑ朝臣つひに見へ給はざりければ、官軍無力、公宗きんむねきやう文衡ぶんひら入道とを召し捕り奉て、夜中にきやうへぞかへりける。大納言殿をば定平さだひら朝臣の宿所に、一間なる所をめ篭の如くに拵へて、押し篭め奉る。文衡入道をば結城ゆふき判官はうぐわんに被預、夜昼三日まで、上げつ下ろしつ被拷問けるに、無所残白状はくじやうしければ、すなは六条河原ろくでうかはらへ引き出だして、首を被刎けり。




官軍どもはこれを聞いて、「さては橋本中将殿(橋本俊季としすゑ)を隠すために申しておるのであろう。御所中を隈なく探せ」と数千の兵どもが殿中に乱れ入って、天井塗篭([土などを厚く塗り込んだ壁で囲まれた部屋のこと。初期の寝殿造りでは寝室として使われた])を打ち破り、翠簾([緑色のすだれ。青竹のすだれ])几帳([寝殿造りに用いた室内調度の一。室内に立てて間仕切りとし、また座のわきに立てて隔てとした])を引き落として、残る所なく捜しました。これによってただ今まで紅葉の御賀があると楽絃を調べていた伶人([楽人])は、装束も脱がず、東西に逃げ迷い、見物のために群をなしていた僧俗男女は、怪しい者ではないかと、多くが召し捕られ不慮にして刑戮([刑罰に処すること。死刑に処すること])に遭いました。その辺の山奥、岩の間まで、もしやとなおも捜しましたが、俊季朝臣は遂に見つからなかったので、官軍は仕方なく、公宗卿(西園寺公宗)と文衡入道とを召し捕って、夜中に京に帰りました。大納言殿(西園寺公宗)は定平朝臣(中院定平)の宿所に、一間をまるで詰め牢のように拵えて、詰篭の如くに拵えて、押し籠めました。文衡入道は結城判官(結城親光ちかみつ)が預かり、夜昼三日の間上げつ下ろしつ拷問しました、残るところなく白状したので、たちまち六条河原へ引き出して、首を刎ねられました。


続く


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by santalab | 2017-05-05 09:07 | 太平記 | Comments(0)

    

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