Santa Lab's Blog


2017年 05月 11日 ( 3 )



One Last Year

彼女が卒業してから後の一年の間、僕はどうしてあの場所に居続けたのだろうか。同級たちが卒業するまでの残りの一年、そしてやっとのことで放校を免れた二年生の僕が、彼女のいない暗闇の中でわずかな希望を頼りにしがみついていた。

一瞬にして目の前の景色が何もかも変わってしまったことに、ただただとまどい立ち止まるほか手立てはなかったからなのか。その日を境にまるで昨日とは違う日の始まりが訪れようが、僕は何も変わっていないのだと思いながら。何が天から降って来るわけでもなく、けれども「宝くじ」のその番号が知らされるまでの間は。

あれから幾年経ったかな。この世に生を受けてあの歳を二度生きてすでに三度目も目の前か。あのLast One Yearを決して惜しくはないと強がっていた、思いも何もかもすべてはるか昔の思い出となって、まるで水の如く薄れ流れ失せてしまったけれども。


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by santalab | 2017-05-11 21:30 | 独り言 | Comments(0)


「太平記」鎌倉合戦の事(その3)

鎌倉勢は只今三浦より打ち帰つて、未だ馬の鞍をもろさず鎧の上帯うはおびをも解かぬほどなれば、若宮小路わかみやこうぢへ打ち出でて、ただ一所に控へたり。小俣をまた小輔次郎をば、今日の軍奉行と今朝より被定たりければ、手勢七十三騎選つて、敵の叢立むらだつて控へたる中へつと懸け入り、火を散らして切り乱す。三浦・葦名あしな二階堂にかいだうつはものども、案内は知つたり、人馬は未だ疲れず、ここのやつかしこの小路こうぢより、どつとをめいては懸け入り、さつと懸けつては裏へ抜け、谷々やつやつ小路小路に入り乱れてぞ戦ひたる。兵衛ひやうゑすけ義興よしおきは、浜面の在家のはづれにて、敵三騎切つて落とし、大勢の中をつと懸け抜けける処にて、小手の手覆たおほひを切り流さるる太刀にて手綱たづなの曲がりをづんと切られて、弓手ゆんで片手綱かたたづな土に下がり馬の足に蹈まれけるを、太刀をば左の脇に挟み、あぶみの鼻に落ち下がり、左右の手縄たづなを取り合はせて結ばれけるを、敵三騎よき隙かなと馳せ寄せて、兜の鉢と総角著あげまきつけとを三打ち四打ちしたたかに切りけれども、義興少しも不騒、しづかに手綱を結びて鞍坪になほり給へば、三騎の敵はつと馬を懸け退けて、「あはれ大剛の武者や」と、高声かうじやう二声ふたこゑ三声感じて御方の勢にぞ馳せ着きたる。




鎌倉勢はただ今三浦より打ち帰って、まだ馬の鞍も下ろさず鎧の上帯([鎧の胴を締める緒])も解いていませんでしたので、若宮小路(現神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮の一の鳥居より、大鳥居までの路)へ打ち出て、一所に控えました。小俣小輔次郎は、今日の軍奉行と今朝より決まっていましたので、手勢七十三騎を選って、敵が叢立ち控える中へさっと駆け入ると、火を散らして切り乱しました。三浦・葦名・二階堂の兵どもは、案内([事情や様子をよく知っていること])をよく知っていました、人馬はまだ疲れていませんでしたので、ここの谷かしこの小路より、一斉に喚て駆け入り、さっと駆け破っては裏へ抜け、谷々小路小路に入り乱れて戦いました。兵衛佐義興(新田義興よしおき。新田義貞の次男)は、浜面の在家の外れで、敵三騎を斬って落とし、大勢の中をさっと駆け抜けようとしましたが、小手の手覆い([鎧 の籠手 の、手の甲を覆う部分])を切り流す太刀で手綱の曲がり([馬の手綱の中ほどの部分])を真っ二つに切られて、弓手([左])の片手綱が地に下がり馬の足に踏まれて、太刀を左脇に挟み、鐙の鼻に落ち下がり、左右の手縄を取り合わせて結ぶところに、敵三騎はよき隙と馳せ寄せて、兜の鉢と総角([鎧の背や兜の鉢の後ろの環に付けた、揚巻結びの緒])付けとを三打ち四打ちしたたかに切りましたが、義興は少しも騒がず、静かに手綱を結んで鞍坪に居直ったので、三騎の敵はさっと馬を駆け退けて、「なんと大剛の武者よ」と、高声に二声三声感じて味方の勢に馳せ付きました。


続く


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by santalab | 2017-05-11 10:15 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」北山殿謀反の事(その14)

悲歎の思ひ胸に満ちて、生産うぶやむしろ未乾、中院なかのゐん中将ちゆうじやう定平さだひらの許より、以使、「御産ごさんの事に付いて、内裡だいりより被尋仰事候。もし若君にても御渡り候はば、御乳母めのといだかせて、これへ先づ入れまゐらせられ候へ」と被仰ければ、母上ははうへ、「あな心憂や、故大納言の公達きんだちをば、腹の中までも開けて可被御覧聞こへしかば、若君出で来させ給ひぬと漏れ聞こへけるにこそありけれ。歎きのうちにもこの子を育ててこそ、故大納言殿の忘れ形見とも見、もし人とならば僧にもなして、亡き跡をも問はせんと思ひつるに、未だ乳房も離れぬみどり子を、武士もののふの手に懸けて被失ぬと聞いて、ありし別れの今の歎きに、消えびん露の命を何に懸けてか可堪忍。あるを限りの命だに、心に叶ふ者ならで、斯かる憂き事をのみ見聞く身こそ悲しけれ」と泣き沈み給ひければ、




悲歎の思いは胸に満ちて、産屋の筵もいまだ乾かぬうちに、中院中将定平(中院定平)の許より、使いをもって、「御産のことに付いて、内裏より訊ね申すことがあります。もし若君でございましたら、乳母に懐かせて、まずこちらへお越しください」と申したので、母上は、「なんということでしょう、故大納言(西園寺公宗きんむね)の公達を、腹の中までも開けてご覧になられると聞いていれば、若君が生まれたと漏れ聞こたに違いありません。悲しみの中にもこの子を育てて、故大納言殿の忘れ形見とも見、もし人となれば僧にもなして、亡き跡を弔わせようと思っていましたのに、いまだ乳房も離れぬみどり子を、武士の手に懸けて失ったと聞けば、かつての(西園寺公宗との)別れ今の(子の)悲しみに、消え侘びる([恋などのため、死ぬほどに つらく思う])露の命をどうして堪え忍ぶことができましょう。限りの命さえも、心に叶うものでなく、このような悲しいことを聞く身の哀れさよ」と泣き沈みました、


続く


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by santalab | 2017-05-11 09:50 | 太平記 | Comments(0)

    

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