Santa Lab's Blog


2017年 05月 14日 ( 2 )



「太平記」北山殿謀反の事(その17)

時節をりふし木工もくかみ孝重たかしげ社頭に通夜つやして、心を澄まし耳をそばだてて聞きけるが、曲てて後に、人に向かつて語りけるは、「今夜の御琵琶びは祈願きぐわんの御事あつて遊ばさるるならば、御願ごぐわん不可成就。そのゆゑはこの玉樹ぎよくじゆまうす曲は、昔しんの平公濮水ぼくすゐほとりを過ぎ給ひけるに、流るる水の声に絃管げんくわんの響きあり。平公すなは師涓しけんと云ふ楽人がくにんを召して、琴の曲に移さしむ。その曲殺声さつせいにして、聞く人泪を不流云ふ事なし。しかれども平公これを愛して、もつぱ楽絃がくげんに用ゐ給ひしを、師曠しくわうと云ひける伶倫、この曲を聴きて難じて奏しけるは、『君これをもてあそび給はば、天下一たび乱れて、宗廟そうべうまつたからじ。如何んとなれば、いにしへ殷の紂王ちうわうかの婬声かのいんせいの楽をなして弄び給ひしが、無程しうの武王に被滅給ひき。その魂魄こんばくなほ濮水ぼくすゐの底に留まつて、この曲を奏するを、君今新楽に写して、これを翫び給ふ。鄭声ていせい雅を乱るゆゑ一唱いつしやう三歎の曲に非ず』とまうしけるが、果たして平公滅びにけり。




ちょうど木工頭孝重(藤原孝重)が社頭に通夜していたので、心を澄まし耳をそばだてて聞いていましたが、曲が終わった後に、人に向かって語るには、「今夜の琵琶を祈願あって弾かれたならば、願は成就せぬであろう。その訳はこの玉樹と申す曲は、昔晋の平公(中国春秋時代の晋の君主)が濮水(黄河の支流)のほとりを通り過ぎようとした時、流れる水の音に絃管の響きを聞いた。平公はたちまち師涓という楽人を召して、琴の曲に写させた。その曲は殺声([力のない声、次第に弱くなる声])にして、聞く人は涙を流さぬことはなかった。けれども平公はこれを愛して、専ら楽絃に用いたが、師曠という伶倫([楽人])が、この曲を聴いて諌めて申し上げて、『君がこれを好み続ければ、天下は一度に乱れて、宗廟([国家])を全うすることはございません。どういうこかと申せば、その昔殷の紂王(殷朝最後の第三十代王)は婬声の楽を弾かせて遊び興じておりましたが、ほどなく周の武王に滅ぼされました。その魂魄はなおも濮水の底に留まって、この曲を奏しております、君は今新楽に写して、これを好んでおります。鄭声の雅楽を乱る(鄭国の淫らな俗曲が、雅楽を乱す)故に一唱三歎([すばらしい詩文を賞賛する語])の曲ではありません』と申して、結局平公は亡んだのだ。


続く


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by santalab | 2017-05-14 09:08 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」笛吹峠軍の事(その2)

将軍小手差原こてさしはらの合戦に無事故、石浜にをはする由聞こへければ、馳せまゐられける人々には、千葉の介・小山をやま判官はうぐわん小田をだ少将せうしやう・宇都宮伊予のかみ・常陸の大丞たいじやう・佐竹右馬の助・同じき刑部ぎやうぶの大輔・白河ごん少輔せう結城ゆふき判官・長沼判官・河越かはごえ弾正だんじやう少弼せうひつ高坂かうさか刑部の大輔・江戸・戸島・古尾谷ふるをや兵部ひやうぶの大輔・三田みた常陸の守・土肥の兵衛入道ひやうゑにふだう・土屋備前の前司・同じき修理しゆりすけ・同じき出雲いづもの守・下条小三郎・二宮近江あふみの守・同じき河内かはちの守・同じき但馬たぢまの守・同じき能登の守・曾我上野かうづけの守・海老名四郎左衛門しらうざゑもん・本間・渋谷・曾我三河みかはの守・同じき周防すはうの守・同じき但馬の守・同じき石見いはみの守・石浜上野かうづけの守・武田の陸奥の守・子息安芸の守・同じき薩摩の守・同じき弾正だんじやう少弼せうひつ・小笠原・坂西はんぜい・一条三郎・板垣三郎左衛門さぶらうざゑもん逸見へんみ美濃の守・白州上野の守・天野三河の守・同じき和泉いづみの守・狩野の介・長峯勘解由左衛門かげゆざゑもん、都合その勢八万余騎、将軍の御陣へ馳せ参る。




将軍(足利尊氏)は小手指原(現埼玉県所沢市)の合戦を無事に逃れて、石浜(現東京都福生市牛浜?)におられると聞こえたので、馳せ参る人々には、千葉介(千葉氏胤うぢたね)・小山判官(小山氏政うぢまさ?)・小田少将・宇都宮伊予守(宇都宮氏綱うぢつな)・常陸大掾・佐竹右馬助(佐竹義篤よしあつ?)・同じく刑部大輔(佐竹師義もろよし。佐竹義篤の弟)・白河権少輔・結城判官(結城直光なほみつ?)・長沼判官・河越弾正少弼(河越直重ただしげ)・高坂刑部大輔・江戸・戸島・古尾谷兵部大輔・三田常陸守・土肥兵衛入道・土屋備前前司・同じく修理亮・同じく出雲守・下条小三郎・二宮近江守・同じく河内守・同じく但馬守・同じく能登守・曾我上野守・海老名四郎左衛門・本間・渋谷・曾我三河守・同じく周防守・同じく但馬守・同じく石見守・石浜上野守・武田陸奥守(武田信武のぶたけ)・子息安芸守(武田氏信うぢのぶ?安芸守護)・同じく薩摩守・同じく弾正少弼・小笠原・坂西・一条三郎・板垣三郎左衛門・逸見美濃守・白州上野守・天野三河守・同じく和泉守・狩野介・長峯勘解由左衛門、都合その勢八万余騎が、将軍の陣に馳せ参りました。


続く


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by santalab | 2017-05-14 08:57 | 太平記 | Comments(0)

    

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