Santa Lab's Blog


2017年 05月 16日 ( 2 )



「太平記」笛吹峠軍の事(その4)

同じき二十八日にじふはちにち将軍笛吹うすひの峠へ押し寄せて、敵の陣を見給へば、小松生ひ茂つて前に小河流れたる山の南を陣に取つて、峯には錦の御旗を打ち立て、麓には白旗・中黒・棕櫚しゆろの葉・かじの葉の文書もんかきたる旗ども、その数満ち満ちたり。先づ一番に荒手の案内者なればとて、甲斐かひの源氏三千余騎にて押し寄せたり。新田武蔵のかみと戦ふ。これも荒手の越後勢ゑちごぜい、同じく三千余騎にて相懸かりに懸かりて半時許り戦ふに、逸見へんみ入道以下宗との甲斐源氏ども百余騎討たれて引き退く。




同じ二月二十八日に将軍(足利尊氏)は碓氷峠(現群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠)に押し寄せて、敵の陣を見れば、小松が生ひ茂り前に小川が流れる山の南を陣に取って、峯には錦の旗を打ち立て、麓には白旗・中黒・棕櫚の葉・梶の葉の紋を描いた旗が、充満していました。まず一番に新手の案内者でしたので、甲斐源氏が三千余騎で押し寄せました。新田武蔵守(新田義宗よしむね。新田義貞の三男)と戦いました。これも新手の越後勢が、同じく三千余騎で相懸かりに懸かって半時ばかり戦うと、逸見入道以下主な甲斐源氏どもが百余騎討たれて引き退きました。


続く


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by santalab | 2017-05-16 08:09 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」兵部卿宮薨御の事付干将莫耶事(その1)

左馬のかみ既に山の内を打ち過ぎ給ひける時、淵辺ふちべ伊賀のかみを近付けてのたまひけるは、「御方依無勢、一旦鎌倉を雖引退、美濃・尾張をはり・三河・遠江とほたふみの勢をもよほして、やがてまた鎌倉へ寄せんずれば、相摸次郎時行ときゆきを滅さん事は、不可回踵。なほもただ当家たうけの為に、始終可被成讎は、兵部卿ひやうぶきやう親王しんわうなり。この御事死刑に行ひ奉れと云ふ勅許ちよくきよはなけれども、このついでにただ失ひ奉らばやと思ふなり。御辺は急ぎ薬師堂やくしだうやつへ馳せかへつて、宮を刺し殺しまゐらせよ」と被下知ければ淵辺畏つて、「うけたまはり候ふ」とて、山の内より主従七騎引きかへして宮のましましけるろうの御所へまゐりたれば、宮はいつとなく闇の夜の如くなる土篭つちろうの中に、あしたに成りぬるをも知らせ給はず、なほ灯を挑げて御経遊ばして御坐ありけるが、淵辺が御迎ひに参りて候ふ由をまうして、御輿を庭に舁き据へたりけるを御覧じて、「なんぢは我を失はんとの使ひにてぞあるらん。心得たり」と被仰て、淵辺が太刀を奪はんと、走り懸からせ給ひけるを、淵辺持ちたる太刀を取りなほし、御膝の辺りをしたたかに奉打。宮は半年許り篭の中に居屈ゐかがまらせ給ひたりければ、御足も快く立たざりけるにや、御心は八十梟やたけに思し召しけれども、うつ伏しに被打倒、起き挙がらんとし給ひけるところを、淵辺御胸の上に乗り懸かり、腰の刀を抜いて御首を掻かんとしければ、宮御首をちぢめて、刀の先をしかとくはへさせ給ふ。淵辺したたかなる者なりければ、刀を奪はれまゐらせじと、引き合ひける間、刀のきつさき一寸余りれて失せにけり。




左馬頭(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)が山ノ内(現神奈川県鎌倉市)を通っていた時、淵辺伊賀守(淵辺義博よしひろ)を近付けて申すには、「味方の無勢により、一旦鎌倉を引き退くが、美濃・尾張・三河・遠江の勢を集めて、やがてまた鎌倉へ寄せて、相摸次郎時行(北条時行)を亡ぼすこと、踵を返す([あともどりする])べからず。ただ当家にとって、敵となるであろうものは、兵部卿親王(護良もりよし親王)よ。死刑に処せとの勅許はないが、この機会に失おうと思うておる。お主は急ぎ薬師堂ヶ谷(現神奈川県鎌倉市)に急ぎ帰って、宮を刺し殺し参らせよ」と命じると、淵辺は畏って、「承知いたしました」と、山内より主従七騎で引き返して宮がおられる牢の御所へ参ると、宮はいつとなくまるで闇夜のような土牢の中で、朝になったことも知らずに、なおも灯火を掲げて経を唱えていましたが、淵辺がお迎えに参った由を申して、輿を庭に舁き据えるのを見て、「お前は我を失うための使いであろう。分かっておるぞ」と申して、淵辺の太刀を奪おうと、走り懸かりました、淵辺は持った太刀を取り直し、膝のあたりをしたたかに打ちました。宮は半年ばかり牢の中にいたので、足も満足に立たなかったか、心は八十梟(八十梟帥やそたける。『日本書紀』にある人名。数多くの勇者の意)のように思っていましたが、うつ伏しに打ち倒されて、起き上がろうとするところを、淵辺は胸の上に乗り懸かり、腰の刀を抜いて首を掻こうとすると、宮は首を縮めて、刀の先をがっちり咥えました。淵辺はしたたかな者でしたので、刀を奪われまいと、引き合ったので、刀の切っ先が一寸あまり折れてしまいました。


続く


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by santalab | 2017-05-16 08:01 | 太平記 | Comments(0)

    

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