Santa Lab's Blog


2017年 05月 17日 ( 2 )



「太平記」兵部卿宮薨御の事付干将莫耶事(その2)

淵辺その刀を投げ捨て、脇差しの刀を抜いて、先ず御胸元の辺を護良もりよし親王二刀ふたかたな刺す。被刺て宮少し弱らせ給ふていに見へけるところを、御髪を掴んで引き挙げ、すなはち御首を掻き落とす。ろうの前に走り出でて、明るき所にて御首を奉見、ひ切らせ給ひたりつる刀のきつさき、未だ御口の中に留まつて、御まなこなほ生きたる人の如し。淵辺これを見て、「さる事あり。加様かやうの首をば、主には見せぬ事ぞ」とて、かたはらなるやぶの中へ投げ捨ててぞ帰りける。去るほどに御介錯の為、御前おんまへさふらはれける南の御方、この有様を見奉て、余りの恐ろしさと悲しさに、御身もすくみ、手足も立たでましましけるが、暫く肝をしづめて、人心付きければ、薮に捨てたる御首を取り挙げたるに、御膚おんはだへもなほ不冷、御目も塞がせ給はず、ただ元の気色きしよくに見へさせ給へば、こはもし夢にてやあらん、夢ならば醒むる現のあれかしと泣き悲しみ給ひけり。遥かにあつて理致光院りちくわうゐんの長老、「斯かる御事とうけたまはり及び候ふ」とて葬礼さうれいの御事取り営み給へり。南の御方は、やがて御髪被落ろて泣く泣くきやうへ上り給ひけり。




淵辺(淵辺義博よしひろ)はその刀を投げ捨て、脇差しの刀を抜いて、まず護良親王の胸元のあたりを二刀刺しました。宮は刺されて少し弱ったように見えるところを、髪を掴んで引き上げ、たちまち首を掻き落としました。牢の前に走り出て、明るい所で首を見れば、喰い切った刀の切っ先が、まだ口の中に残って、目は生きた人のようでした。淵辺はこれを見て、「こんな話がある。この首を、主(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に見せてはならぬ」と、傍らの薮の中へ投げ捨てて帰りました。やがて介錯のために、御前に祗候する南の御方(藤原保藤やすふぢの娘)は、この有様を見て、あまりの恐ろしさと悲しさに、身はすくみ、手足も立ちませんでしたが、ようやく気が落ち着いて、人心が付くと、薮に捨てられた首を取り上げました、膚はまだ冷えず、目も塞がれず、ただ元の気色に見えて、これはもしや夢なのか、夢ならば醒める現もあれと泣き悲しみました。遠く理致光院(かつて現神奈川県鎌倉市にあった理智光寺)の長老が、「そのようなことがあったとお聞きしております」と葬礼を営みました。南の御方は、やがて髪を下ろして泣く泣く京に上りました。


続く


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by santalab | 2017-05-17 07:42 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」笛吹峠軍の事(その5)

二番に千葉・宇都宮・小山をやま・佐竹が勢相集あひあつまりて七千余騎、上杉民部の大輔が陣へ押し寄せて入り乱れ入り乱れ戦ふに、信濃勢二百余騎討たれければ、寄せ手も三百余騎討たれて相引きに左右へさつと引く。引けば両陣入れ替はつて追つ返つ、その日のむまの刻より酉の刻のはりまで少しも休む隙なく終日ひねもす戦ひ暮らしてけり。それ小勢を以つて大敵に戦ふは鳥雲てううんの陣にしくはなし。鳥雲の陣とまうすは、先づ後ろに山を当て、左右に水を堺ふて敵を平野に見下ろし、我が勢のほどを敵に不見して、虎賁狼卒こほんらうそつ替はる替はる射手を進めて戦ふ者なり。この陣さいはひに鳥雲に当たれり。待つて戦はば利あるべかりしを、武蔵のかみ若武者なれば、毎度広みに懸け出でて、大勢に取り巻かれける間、百度ももたび戦ひ千度ちたび懸け破るといへども、敵目に余るほどの大勢なれば、新田・上杉つひに打ち負けて、笛吹うすひの峠へぞ引き上りける。




二番に千葉(千葉氏胤うぢたね)・宇都宮(宇都宮氏綱うぢつな)・小山・佐竹(佐竹師義もろよし)の勢が集まって七千余騎は、上杉民部大輔(上杉憲顕のりあき)の陣へ押し寄せて入り乱れ入り乱れ戦うと、信濃勢が二百余騎討たれ、寄せ手も三百余騎討たれてともに左右にさっと引きました。引けば両陣入れ替わって追いつ返しつ、その日の午の刻([午前十二時頃])から酉の刻の終わり(午後七時頃?)まで少しも休む隙なく終日戦い暮らしました。小勢をもって大敵と戦うには鳥雲の陣([鳥や雲の集散の様子が変化きわまりないように、展開・密集が自在で 変化のある陣立て。士卒を分散させておき、機に臨んで集合できるようにするもの])に過ぎるものはありませんでした。鳥雲の陣と申すのは、まず後ろに山を当て、左右に水を境にして敵を平野に見下ろし、我が勢のほどを敵に見せずに、虎賁([前漢代に設立された皇帝直属の部隊名])狼卒が替わる替わる射手を進めて戦うものでした。この陣は幸運にも鳥雲に相当していました。待って戦えば勝利することができましたが、武蔵守(新田義宗よしむね。新田義貞の三男)は若武者でしたので、毎度広みに駆け出ては、大勢に取り巻かれ、百度戦い千度駆け破るといえども、敵は目に余るほどの大勢でしたので、新田・上杉(上杉憲顕のりあき)は遂に打ち負けて、碓氷峠に引き上がりました。


続く


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by santalab | 2017-05-17 06:41 | 太平記 | Comments(0)

    

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