Santa Lab's Blog


2017年 05月 18日 ( 2 )



「太平記」兵部卿宮薨御の事付干将莫耶事(その3)

そもそも淵辺が宮の御首を取りながら左馬のかみ殿に見せ奉らで、薮のかたはらに捨てける事いささか思へるところあり。昔しうすゑに、楚王そわうと云ひける王、武を以つて天下を取らん為に、戦ひを習はし剣を好む事年久し。ある時楚王の夫人、くろがねの柱に寄り添ひてすずみ給ひけるが、心地ただならず思えて忽ちに懐姙くわいにんし給ひけり。十月とつきを過ぎて後、産屋うぶやの席に苦しんで一つの鉄丸てつぐわんを産み給ふ。楚王これを怪しとし給はず、「いかさまこれ金鉄の精霊なるべし」とて、干将かんしやうと云ひける鍛冶を被召、この鉄にて宝剣はうけんを作つてまゐらすべき由を被仰。干将この鉄を賜はつて、この妻の莫耶ばくやと共に呉山の中に行きて、竜泉の水ににぶらして、三年が内に雌雄の二剣を打ち出だせり。剣成つて未だ奏すさきに、莫耶、干将かんしやうに向かつて云ひけるは、「この二つの剣精霊暗に通じてながら怨敵をんできを可滅剣なり。我今懐姙くわいにんせり。産む子は必ずたけく勇める男なるべし。然れば一つの剣をば楚王にたてまつるとも今一つの剣をば隠して我が子に可与給」云ひければ、干将、莫耶がまうすに付いて、その雄剣一つを楚王に献じて、一つの雌剣しけんをば、未だ胎内にある子の為に深く隠してぞ置きける。




そもそも淵辺(淵辺義博よしひろ)が宮(護良もりよし親王)の首を取りながら左馬頭殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に見せることなく、薮の傍らに捨てたのは少々思うところがあったからでした。昔周の末代に、楚王という王が、武力をもって天下を取るために、常に戦い剣を好んで長年に渡りました。ある時楚王の夫人が、鉄の柱に寄り添って涼んでいましたが、心地ただならず思えてたちまちに懐妊しました。十月を過ぎた後、産屋で難産の末一つの鉄丸を産みました。楚王はこれを怪しく思うことなく、「きっとこれは金鉄の精霊であろう」と申して、干将という鍛冶を召して、この鉄で宝剣を作るよう命じました。干将はこの鉄を賜わって、妻の莫耶とちもに呉山の中に入り、竜泉の水で鍛えて、三年の内に雌雄の二剣を打ち出しました。剣ができたことを奏上する前に、莫耶が、干将に向かって言うには、「この二つの剣は精霊に通じていながら怨敵を滅ぼす剣です。わたしは今懐妊しています。産む子はきっと猛く勇める男の子です。ですから一つの剣を楚王に奉るとももう一つの剣は隠して我が子に与えてください」と言いました、干将は、莫耶が言った通り、その雄剣一つを楚王に献上し、一つの雌剣を、いまだ胎内にある子のために深く隠し置きました。


続く


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by santalab | 2017-05-18 07:01 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」笛吹峠軍の事(その6)

上杉民部の大輔が兵に、長尾弾正・根津ねづ小次郎とて、大力のかうの者あり。今日の合戦に打ち負けぬる事、身一の恥辱なりと思ひければ、紛れて敵の陣へ馳せ入り、将軍を討ち奉らんと相はかつて、二人ににんながらにはかに二つ引両びきりやう笠符かさじるしを著け替へ、人に見知られじと長尾は乱れ髪を顔へさつと振り懸け、根津は刀を以つて己がひたひを突き切りて、血を面に流しかけ、切つて落としたりつる敵の首きつさきに貫き、とつ付けに取り著けて、ただ二騎将軍の陣へ馳せ入る。数万の軍勢道に横たはつて、「誰が手の人ぞ」と問ひければ、「これは将軍の御内の者にて候ふが、新田の一族に、宗との人々を組み討ちに討つて候ふ間、首実検の為に、将軍の御前おんまへまゐり候ふなり。開けて通され候へ」と、高らかに呼ばはりて、気色きしよくばうて打ち通れば、「目出たう候ふ」と感ずる人のみあつて、思ひ咎むる人もなし。「将軍はいづくに御座候ふやらん」と問へば、ある人、「あれに控へさせ給ひて候ふなり」と、指差して教ふ。馬の上より伸び上がりみければ、相隔あひへだたる事草鹿くさじし的山計あづちばかりに成りにける。「あはれさいはひや、ただ一太刀に切つて落とさんずるものを」と、二人ににんきつと目くはせして、中々馬を閑々しづしづと歩ませける処に、なほも将軍の御運や強かりけん、見知る人あつて、「そこに紛れて近付く武者は、長尾弾正と根津小次郎とにて候ふは。近付きてたばからるな」と呼ばはりければ、将軍に近付き奉らせじと、武蔵・相摸のつはものども、三百余騎中を隔て左右よりさつと馳せ寄る。




上杉民部大輔(上杉憲顕のりあき)の兵に、長尾弾正・根津小次郎という、大力の剛の者がいました。今日の合戦で打ち負けたことを、身の一番の恥辱と思って、紛れて敵の陣へ馳せ入り、将軍(足利尊氏)を討とうと謀り、二人ともにわかに二つ引両(足利氏の紋)の笠符に付け替え、人に見知られぬよう長尾は乱れ髪を顔へさっと振り懸け、根津は刀で己の額を突き切り、血を面に流しかけ、切って落とした敵の首を切っ先に貫き、取付([鞍の後輪しずわに付けたひも])に取り付けて、ただ二騎将軍の陣に馳せ入りました。数万の軍勢は道を遮って、「誰の手の人ぞ」と訊ねると、「これは将軍の身内の者ですが、新田の一族の、大将と思われる人々を組み討ちに討ったので、首実検のために、将軍の御前に参るところです。開けて通されよ」と、高らかに叫んで、意気揚々として打ち通れば、「めでたいことよ」と感ずる人ばかりで、疑う人はいませんでした。「将軍はどこにおられるや」と訊ねると、ある人が、「あちらに控えておられます」と、指を差して教えました。馬の上から伸び上がり見れば、隔てること草鹿の的ほど(10m?)でした。「なんと幸運なことよ、ただ一太刀に切って落としてやろう」と、二人はきっと目配せして、馬を静かに歩ませるところに、なおも将軍の運は強かったか、見知る人がいて、「そこに紛れて近付く武者は、長尾弾正と根津小次郎ではないか。騙されるな」と叫んだので、将軍に近付けまいと、武蔵・相摸の兵ども、三百余騎が中を隔てて左右よりさっと馳せ寄りました。


続く


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by santalab | 2017-05-18 06:55 | 太平記 | Comments(0)

    

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