Santa Lab's Blog


「宇津保物語」楼の上(その5)

いとうつくしげに見給へば、見合はせ給ひて、扇して招き給へば、うちみて、ふとおはしたり。内に、いとあてなる声にて、「かれ呼び給へ。かの君は、いづちぞ。あな見苦し」と言へば、「おはしませ。おはしませ」と言へども、聞かず。大将、膝に据ゑ給ひて、「母君は、ここにか」とのたまへば、「おはすめり」。「が御子ぞ」。「知らず」。「御てては、誰とか、人は聞こゆる」。「『右の大将』とかや、人は言へど、まだ見え給はず。呼ぶなり。まうでなむ」とて立ち給ふ。「怪しきことかな。西の対の君にこそ。『稚児ありしを、ただ一目見ずて、祖母おば君になむ、かなしうて取り籠めてし』とのたまひしにやあらむ。いとあはれにもあべきかな。それにやあらむ。なほ、気色見む」と思して、硯召し寄せて、

「渡り川 いづれの瀬にか 流れしと 尋ねわびぬる 人を見しかな
思えさせ給ふや。忠実まめやかには、いかでか奉りにしかな。しるべは、いとよう、ここに」と書き給うて、上に近う使ひ給ふ童して奉り給ふとて、「この御返り賜うてなむ、若君を」と聞こえ給ふ。




大将【藤原仲忠】がなんと可愛い子かと眺めていると、目が合ったので、扇で招くと、微笑みながら、たちまちやって来ました。局の内から、とても上品な声で、「あの子を呼んでください。あの子は、どこですか。誰かに見られでもしたらとても恥ずかしいこと」と言ったので、乳母は、「こちらにおいで。こちらにおいで」と呼びましたが、子は言うことを聞きませんでした。大将【藤原仲忠】は、膝の上に子を乗せて、「母君は、ここにおられるのか」と訊ねると、「おります」。「そなたは誰の子か」。「知りません」。「父は、誰と、人は申しておる」。「『右の大将』とか、人は言いますが、まだ会ったことはありません。乳母が呼んでいます。行かなくては」と言って立ち上がりました。大将【藤原仲忠】は「不思議なこともあるものよ。西の対の君に違いない。『子が生まれたが、ただ一目も見ず、祖母君に、悲しいことに引き取られた』と申しておったのではないかな。たいそう哀れな話よ。きっとそうに違いない。なお、確かめてみよう」と思い、硯を召し寄せて、

「いずれの瀬に流れることかと、探し求めていた人ではありませんか。
あの歌を覚えていますか。ぜひ、右大臣殿【藤原兼雅】の許へお連れいたしましょう。案内のことは、心配ありりません、わたしに任せてください」と書いて、女が近く使う女童に文を渡して、「この返事をいただけば、若君をお返しします」と伝えました。



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# by santalab | 2017-10-24 10:20 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」楼の上(その4)

この御局の傍らにとどまりたる人、いとあてやかにゆゑゆゑしき声して、上に、人二人ばかり、下仕へなめり、人にいたうも隠れで、几帳のほころびより見えたるも、目安し。大徳だいとこの、御堂みだうの内より来ためれば、乳母めのとなるべし、さやうの大人大人しき声にて、「この君の御こと、よかんべく祈り給へや。『親におはする殿に知られ奉り給へ』と申し給へ。上いと心苦しうなむ思し嘆くを見奉る」など言ふ。「親子あるにやあらむ。あはれなることなりや。親を見ず知らざらむよ。誰ならむ」と聞き居給ふほどに、八つ九つばかりなむ男子をのこご、髪もよほろばかりにて、掻練かいねりの濃きうちき一襲、桜の直衣のいたう萎れ綻びたるを着て、白ううつくしげに、貴にうつくしげなる、化粧けさうもなく、ただ、見に立ち出でて、の方見立ちたり。よう見給へば、宮の君の顔に似たり。声は、いと貴になまめかしう、愛敬あいぎやう付きて、幼げにも、物など言ふ。




大将【藤原仲忠】の局のとなりに人がいました、とても優雅にして上品な声がしました、女房に加えて、女が二人ほど、下仕え([雑用を務めた女])でしょうか、人からさほど隠れもせず、几帳のほころび([衣や几帳などで、縫い合わせないで間をすかせてあるところ])より見えるのも、見苦しくありませんでした。大徳([高僧])が、御堂の内から現れると、乳母でしょう、相応の落ち着いた声で、「この君のこと、よろしく祈りなさいませ。『親であられる殿がこの君のことをお知りになりますように』と申されよ。上がたいそう心苦しそうに嘆いておられるのを知っておりますれば」などと言いました。「父親と離れた親子ではないか。哀れなことだ。あの子は父親に会ったこともなく誰かも知らずにいるのではないか。あの女はいったい誰であろう」と聞きいていると、八つ九つばかりであろう男の子が、髪の丈はよほろ([膝の裏側のくぼんだ部分])ほど、掻練([練って柔らかくした絹])の赤い袿([貴族の男性が狩衣や直衣の下に着た衣])一襲に、桜色の直衣([貴族の平常服])のたいそうくたびれて綻んだのを着ていました、白く美しく、品がありかわいらしい子が、愛想を振りまくこともなく、ただ、見に立ち出て、外の方を向いて立っていました。よくよく見れば、宮の君【藤原仲忠の長男】の顔に似ていました。声は、とても上品で若々しく、愛敬があり、幼いながらも、口調はしっかりしていました。


続く


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# by santalab | 2017-10-13 14:42 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」楼の上(その3)

かくて、石作いしづくり 寺の薬師仏現じ給ふとて、多くの人詣で給ふ。大将の、「御物忌みし給はむ」とて、いと忍びて、一所、御供に人多くもなくて参り給へり。げに、いみじう騒がしきまで、人詣でたり。暁には、皆出でぬ。




そうこうするほどに、石作寺(かつて、現京都市西京区あたりにあったらしい)の薬師仏が示現したということで、多くの人が参詣しました。大将【藤原仲忠。右大将】は、「物忌みしよう」と、たいそう忍んで、ただ一人、供に人も多く付けずに出かけて行きました。噂通り、騒がしいほどに、参詣の者でごった返していました。通夜を終えて暁には、皆帰って行きました。


続く


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# by santalab | 2017-10-12 13:43 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」楼の上(その2)

かかるほどに、朱雀院の御はらから、承香そきやう殿の女御と聞こえし御腹の、斎宮にておはしつる、女御隠れ給ひぬれば、「上り給はむ」とて、右大臣殿のたまふやう、「この宮の御母方も離れ給はねば、早う、近うて、時々見奉りしに、御かたち清げにてをかしくおはせしかば、折々に聞こえ交はししに、『何かは』と思し契りしを、にはかに下り給はむとせしに、また、かく見付け奉りて、異事も思えでなむ。大将の侍りし。げに、物せられずは、忍びて、たまさかに、さやうにありなまし。まだ、御歳も若うおはすらむかし」。「何かは。今も、さおはせかし。宮、いかが思さむ、かたじけなけれども」。「ここには、大将の歳のほど見給ふるに、今にあらねばこそ」と聞こえ給へば、「いさや、なほすさめ言なり。今、かの一条の西の対の君は尋ね侍らむ」と聞こえ給ふ。




そうこうするほどに、朱雀院のご兄弟、承香殿の女御と呼ばれている腹の、斎宮([伊勢神宮の斎王])であられる、女御がお隠れになられて、「京に上られるそうだ」と申して、右大臣殿【藤原兼雅】が申すには、「承香殿の女御の母方とは近い関係で、斎宮が小さい頃より、親しくして、時々お目にかかっておったのだが、顔かたち清らかにして趣きがあられて、折々に文など届けておったのだ、『いつかは』と将来を約束してくれたこともあったが、にわかに伊勢に下ることになったのだ、再び、お会いしようと思っておったのだが、残念でならぬ。大将【藤原仲忠】もそう思うであろう。まこと、斎宮になっておられなかったら、忍んで、もしや、会っておったかも知れぬ。まだ、歳も若かったのに残念なことよ」。「何を申されます。今は、宮【女三の宮】がおられるではありませんか。宮【女三の宮】が、どう思われることか、畏れ多いことです」。「わしは、大将【藤原仲忠】にどうかと思っておったのだ、お前が(朱雀院の女一の宮)と結婚しておらなければ」と申すと、「いやはや、ご冗談でしょう。ちょうど今、あの一条の西の対の君を探しておるところです」と答えました。


続く


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# by santalab | 2017-10-11 15:38 | 宇津保物語 | Comments(0)


「宇津保物語」楼の上(その1)

三条右大臣殿の、かの一条殿の対どもに居給へりし御方々、宮迎へられ給ひて、「今は、限りなめり」とて、思ひ思ひに渡り給ひし中に、西の一の対に、源宰相の、

故郷に 多くの年は 住みわびぬ 渡り川には はじとやする

と書き付け給へりしを、殿、おはして、見付け給ひて、「心深く、をかしう、かたちなどもことなむなかりしを、いかで、こればかりを、あり所を聞かましかば、尋ねてしかな」とのたまへば、尚侍ないしのかみ、「いとよきことなり。宮のおはしける所に、数多あまた、さても物し給ひけるを、女子をんなごもなく、さうざうしき。所は、広う面白うめでたきに、もとのやうにて物し給はば、聞こえ交はしてあらむ」とて、右大将の参り給へるに、「ここにのたまふめること、なほ、御心留めて尋ね給へ」と聞こえ給へば、「げに、長く」と思す。




三条右大臣殿【藤原兼雅】の、かの一条殿の対屋に住んでいた女房たちは、女三の宮が兼雅に迎え入れられたので、「こことも、お別れね」と言って、各々一条殿から去って行きました、西の一の対屋に、源宰相が住んでいましたが、

この一条殿を故郷だと思って長年住んできましたのに、ここを出て行かなくてはなりません。渡り川([三途の川])を訪ねよということでしょうか。

と書き付けてあったのを、殿【藤原兼雅】が、訪ね来て、見付け、「情け深く、趣きがあり、顔かたちも非の打ち所ない女であった、どうにかして、この女ばかりは、もしも居所を聞くことがあったなら、訪ねてみたいものだが」と申すと、尚侍【藤原兼雅の妻。清原俊蔭の娘で藤原仲忠の母】は、「それはとてもよいことですわ。宮【女三の宮。嵯峨院の皇女】のおられる所には、数多くの女房たちが、いらっしゃいましたのに、わたしには一人の娘もなく、さみしい思いをしておりました。所は、広く風情があって立派なのですから、もとのように女房として仕えてくれれば、話し相手にもなってくれましょう」と言って、右大将【藤原仲忠】が訪ねた折に、「そなたの父が申したことです、よくよく、心に留めて居場所を探しなさい」と申すと、「そういうことならば、忘れず心に留めておこう」と思うのでした。


続く


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# by santalab | 2017-10-10 02:44 | 宇津保物語 | Comments(0)


「太平記」直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事(その5)

去るほどに師子外の山より帰り来て后をたづね求むるに、后もおはしまさず、我が子もなし。こはいかなる事ぞと驚きあわてて、化けたるかたち元のすがたに成つて、山を崩し木を堀り倒し求むれども不得。さては人の棲む里にぞおはすらんとて、師子国へ走り出でて、奮迅の力を出だして吠え忿いかるに、いかなるくろがねじやうなりとも破れぬべくぞ聞こへける。野人村老おそたふれ、死する者幾千万と云ふ数を知らず。また不近付所も、家を捨て財宝を捨て逃げ去りける間、師子国十万里の中には、人一人もなかりけり。されども、この師子王位にや恐れけん、都の中へは未だ入らず、ただ王宮近き辺に来て、夜な夜な地をうごかして吠えいかり、天に飛揚ひやうして鳴き叫びける間、大臣・公卿・刹利せつり居士こじ、皆宮中に逃げ篭もる。




やがて獅子は他所の山より帰って后を探したが、后もなく、我が子もいなかった。これはどうしたことかと驚きあわてて、化けた形を元の姿に変えて、山を崩し木を堀り倒し探したが見付からなかった。さては人が住む里にいるのではと思い、師子国へ走り出て、奮迅([勢い激しく奮い起つこと])の力を出して吠え怒れば、いかなる鉄の城であろうとも壊れるようほどだった。野人村老は怖れ倒れ、死ぬ者は幾千万という数を知を知れなかった。また近付かぬ所も、家を捨て財宝を捨て逃げ去ったので、師子国十万里の中には、人一人もいなかった。けれども、獅子も王位に恐れをなしたか、都の中へは入らず、ただ王宮に近いあたりに来て、夜な夜な地を響かして吠え怒り、天に届くほどに鳴き叫んだので、大臣・公卿・刹利([刹帝利]=[インドのバルナ=四種姓。で、バラモンに次ぐ第二位の身分。王族および武士])・居士([出家をせずに 家庭において修行を行う仏教の信者])は、皆宮中に逃げ籠もった。



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# by santalab | 2017-07-04 15:37 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事(その4)

かくて三年みとせを過ごさせ給ひけるほどに、后ただならず成り給ひて男子を生み給へり。あはれみのふところの中にひととなつて歳十五に成りければ、貌形みめかたちの世に勝れたるのみに非ず、筋力人に超えて、いかなる大山を挟んで北海を飛び越ゆるとも、可容易とぞ見へたりける。ある時この子母の后に向かつて申しけるは、『たまたま人界にんがいの生を受けながら、后は畜類の妻と成らせ給ひ、我は子と成りて候ふ事、過去の宿業しゆくごふとは申しながら、心憂き事にて候はずや。可然しかるべき隙を求めて、后この山を逃げ出でさせ給へ。我負ひ奉て師子国の王宮わうぐうへ逃げ篭もり、母を后妃の位に昇せ奉り、我も朝烈てうれつの臣と仕へて、畜類のくわを離れ候はん』と勧め申しければ、母の后無限喜びて、師子の他の山へ行きたりける隙に、后この子に負はれて、師子国の王宮へぞ参り給ひける。帝なのめならず喜び思し召して、君恩たぐひなかりければ、後宮綺羅の三千、為君薫衣裳、君聞蘭麝為不馨香。為君事容色、君看金翠為無顔色。新しき人来たりて旧き人棄てられぬ。眼の裏の荊棘けいぎよくたなごころうへの花の如し。




こうして三年を過ごすほどに、后は子を宿して男子を生んだ。憐れみの懐の中に人となって十五歳になると、見目かたちは世に優れるばかりでなく、筋力は人に超えて、いかなる大山を挟んで北海を飛び越えることさえ、容易いことに思われた。ある時この子が母の后に向かって申すには、『たまたま人界の生を受けながら、后は畜類の妻となられて、わたしは子となりました、過去の宿業とは申しながら、嘆かわしいことではありませんか。しかるべき隙を見付けて、この山からお逃げなさいませ。わたしが背負って師子国の王宮へ逃げ籠もり、母を后妃の位に昇らせて、わたしも朝烈の臣として仕え、畜類の果を離れましょう』と勧め申したので、母の后は限りなくよろこんで、獅子が他の山へ行った隙に、后は子に負われて、師子国の王宮に参った。帝はたいそうよろこんで、君恩は類なく、後宮綺羅の三千人が、君のために衣裳を着飾れど、蘭麝([蘭の花と麝香じやこうの香り。また、よい香り])に魅せられて他の者に馨香([かぐわしいよい香り。また、遠くまで及ぶ徳のたとえ])に及ぶことはなかった。容色([美貌])をなしても、君は金翠ばかりを見て他に目を向けることはなかったのだ。新しい人が来て今までの人は棄てられた。荊棘([イバラなど、とげのある低い木])の身が花に変わったようであった。


続く


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# by santalab | 2017-07-01 09:12 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事(その3)

その中に王たる師子、かの后を口にくはへて、深山幽谷のいはほの中に置奉て、この師子容顔ようがん美麗なる男の形に変じければ、后この妻と成り給ひて、思はぬ山の岩の陰に、年月をぞ送らせ給ひける。始めのほどは后、かかる荒きけだものの中に交はりぬれば、我さへ畜類ちくるゐの身と成りぬる事の心憂さ、何に命の永らへて、一日片時いちにちへんしも過ぐべしと思えず、消えぬを露の身の憂さに思し召ししづませ給ひけるが、苔深き巌は変じて玉楼金殿となり、虎狼野干こらうやかんけて卿相けいしやう雲客うんかくとなり、師子はして万乗の君と成つて、玉位ぎよくいの座によそほひをうづだかくして、袞竜こんりようの御衣に薫香くんかうを散ぜしかば、后早や憂かりし御思ひも消え果てて、連理の枝の上に、心の花のうつろはん色を悲しみ、階老かいらうの枕の下に、夜の隔つるほどをだにかこたれぬべく思し召す。




その中にいた王の獅子は、かの后を口に咥えて、深山幽谷の巌の中に連れ帰ったのだ。獅子は容顔美麗な男の姿に変わり、后は妻となって、思いもしなかった山の岩陰で、年月を送った。はじめの頃は、このような獰猛な獣の中に交わって、我も畜類の身となることを悲しみ、どうして命を永らえて、一日片時も過ごせようと思いながら、消えぬ露の身の悲しみに沈んでおったが、苔深き巌は変じて玉楼金殿となり、虎狼野干([中国で、悪獣の名。狐に似た外見で、木登りがうまく、オオカミに似た鳴き方をするという])は化けて卿相([公卿])雲客([殿上人])となり、獅子は化けて万乗の君となり、玉位の座に装飾を重ね、袞竜([ 天子の礼服につける竜の縫い取り。また、その縫い取りのある衣服])の衣は薫香を漂わせていたので、后は悲しみも消え果てて、連理の枝([男女の契りの深いことのたとえ])の上には、心の花の色あせることを悲しみ、偕老([生きてはともに老いること])の枕の下には、一夜の隔てさえも嘆かわしく思うようになった。


続く


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# by santalab | 2017-06-30 06:58 | 太平記 | Comments(0)


「太平記」直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事(その2)

伝奏洞院とうゐん右大将うだいしやう頻りに被執申ければ、再往さいわうの御沙汰迄もなく直冬ただふゆが任申請、すなはち綸旨をぞ被成ける。これを聞きて遊和軒朴翁いうくわけんはくをう難じまうしけるは、「天下の治乱興滅ちらんこうめつ皆大の理に不依と云ふ事なし。されば直冬朝臣を以つて大将として京都を被攻事、一旦雖似有謀事成就じやうじゆすべからず。その故は昔天竺に師子国ししこくと云ふ国あり。この国の帝他国より后を迎へ給ひけるに、軽軒香車けいけんかうしや数百乗すひやくじよう侍衛じゑ官兵十万人、前後四五十里しごじふりに支へ道をぞ送りまゐらせける。日暮れてある深山しんざんとほりける処に、勇猛奮迅ふんじんの師子ども二三百疋走り出で、追つめ追つ譴め人を食ひける間、軽軒ぢくれて馳すれども不遁、官軍くわんぐん矢射尽くして防げども不叶、大臣・公卿・武士・僕従、上下三百万人、一人も不残喰い殺されにけり。




伝奏の洞院右大将(洞院実守さねもり)がしきりに執申([仲介する、 取次ぐ])したので、再往の沙汰もなく直冬(足利直冬。足利尊氏の子で足利直義ただよしの猶子)の申請通り、たちまち綸旨を下されました。これを聞いて遊和軒朴翁は非難して申すには、「天下の治乱興滅は皆大理に依らずということなし。なれば直冬朝臣を大将として京都を攻めたところで、一旦の謀となるとも成就することはあいであろう。その故は昔天竺に師子国という国があった。この国の帝が他国から后を迎えるために、軽軒([軽快な上等の車])香車([立派な車])数百乗、侍衛官兵十万人、前後四五十里に連なって道中を送った。日が暮れてある深山を通っておると、勇猛奮迅([勢い激しくふるいたつこと])の獅子どもが二三百匹現れて、追い詰め追い詰め人を喰った、軽軒の軸は折れて急ごうとも逃れることはできず、官軍が矢を射尽くして防ぐとも叶わず、大臣・公卿・武士・僕従、上下三百万人が、一人も残らず喰い殺されたのじゃ。


続く


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# by santalab | 2017-06-29 07:24 | 太平記 | Comments(0)


太平記

巻第一

後醍醐天皇御治世の事付武家繁昌の事
関所停止の事
立后事付三位殿御局事
儲王の御事
中宮御産御祈之事付俊基偽篭居の事
資朝俊基関東下向の事付御告文の事
無礼講の事付玄恵文談の事
頼員の事

巻第二
南都北嶺行幸の事
僧徒六波羅召捕事付為明詠歌の事
三人の僧徒関東下向の事
俊基朝臣再関東下向の事
長崎新左衛門尉意見の事付阿新殿の事
俊基被誅事並助光事
天下怪異の事
師賢登山の事付唐崎浜合戦の事
持明院殿御幸六波羅の事
主上臨幸依非実事山門変儀の事付紀信事

巻第三
主上御夢の事付楠事
笠置軍事付陶山小見山夜討事
主上御没落笠置事
赤坂城軍の事
桜山自害事

巻第四
笠置囚人死罪流刑の事付藤房卿の事
八歳宮御歌の事
一宮並妙法院二品親王の御事
俊明極参内の事
中宮御歎の事
先帝遷幸の事
備後三郎高徳事付呉越軍の事

巻第五
持明院殿御即位の事
宣房卿二君奉公の事
中堂新常灯消事
相摸入道弄田楽並闘犬の事
時政参篭榎嶋事
大塔宮熊野落の事

巻第六
民部卿三位局御夢想の事
楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事
正成天王寺未来記披見の事
赤松入道円心賜大塔宮令旨事
関東大勢上洛事
赤坂合戦の事付人見本間抜懸の事

巻第七
吉野城軍事
千剣破h城軍の事
新田義貞賜綸旨事
赤松蜂起事
河野謀反事
先帝船上臨幸事
船上合戦事

巻第八
摩耶合戦の事付酒部瀬河合戦の事
三月十二日合戦の事
持明院殿行幸六波羅事
禁裡仙洞御修法の事付山崎合戦の事
山徒寄京都事
四月三日合戦の事付妻鹿孫三郎勇力の事
主上自令修金輪法給ふ事付千種殿京合戦の事
谷堂炎上事

巻第九
足利殿御上洛事
山崎攻の事付久我畷合戦の事
足利殿打越大江山事
足利殿着御篠村則国人馳参事
高氏被篭願書於篠村八幡宮事
六波羅攻の事
主上・上皇御沈落事
越後守仲時以下自害の事
主上・上皇為五宮被囚給事付資名出家の事
千葉屋城寄手敗北の事

巻第十
千寿王殿被落大蔵谷事
新田義貞謀反の事付天狗催越後勢事
三浦大多和合戦意見の事
鎌倉合戦の事
赤橋相摸守自害の事付本間自害の事
稲村崎成干潟事
鎌倉兵火の事付長崎父子武勇の事
大仏貞直並金沢貞将討死の事
信忍自害の事
塩田父子自害の事
塩飽入道自害の事
安東入道自害の事付漢王陵事
亀寿殿令落信濃事付左近の大夫偽落奥州事
長崎高重最期合戦の事
高時並一門以下於東勝寺自害の事

巻第十一
五大院右衛門宗繁賺相摸太郎事
諸将被進早馬於船上事
書写山行幸の事付新田注進の事
正成参兵庫事付還幸の事
筑紫合戦の事
長門探題降参の事
越前牛原地頭自害の事
越中守護自害の事付怨霊の事
金剛山寄手ら被誅事付佐介貞俊事

巻第十二
公家一統政道の事
大内裏造営の事付聖廟の御事
安鎮国家の法の事付諸大将恩賞の事
千種殿並文観僧正奢侈の事付解脱上人の事
広有射怪鳥事
神泉苑の事
兵部卿親王流刑の事付驪姫事

巻第十三
北山殿謀反の事
中前代蜂起の事
兵部卿宮薨御の事付干将莫耶事
足利殿東国下向の事付時行滅亡の事

巻第十四
新田足利確執奏状の事

将軍御進発大渡・山崎等合戦の事
主上都落の事付勅使河原自害の事
長年帰洛の事付内裏炎上の事
将軍入洛の事付親光討死の事
坂本御皇居並御願書の事

巻第十五
園城寺戒壇事
奥州勢着坂本事
三井寺合戦並当寺撞鐘事付俵藤太事
建武二年正月十六日合戦事
正月二十七日合戦事
将軍都落事付薬師丸帰京事
大樹摂津国豊嶋河原合戦事
主上自山門還幸の事
賀茂神主改補事

巻第十六
将軍筑紫御開の事
小弐与菊池合戦事付宗応蔵主事

備中福山合戦事
新田殿被引兵庫事
正成下向兵庫事
兵庫海陸寄手事
本間孫四郎遠矢事
経嶋合戦事
正成兄弟討死事
新田殿湊河合戦事
小山田太郎高家刈青麦事
聖主又臨幸山門事
持明院本院潜幸東寺事
日本朝敵の事
正成首送故郷事

巻第十七
義貞北国落事
還幸供奉人々被禁殺事
北国下向勢凍死事

巻第十九
光厳院殿重祚の御事
本朝将軍補任兄弟無其例事
新田義貞落越前府城事
金崎東宮並将軍宮御隠の事
諸国宮方蜂起の事
相摸次郎時行勅免の事
奥州国司顕家卿並新田徳寿丸上洛の事
追奥勢跡道々合戦の事
青野原軍事付嚢沙背水事

巻第二十
黒丸城初度軍の事付足羽度々軍の事
越後勢越越前事
宸筆の勅書被下於義貞事

八幡炎上の事
義貞重黒丸合戦の事付平泉寺調伏法の事
義貞夢想の事付諸葛孔明事
義貞の馬属強の事
義貞自害の事
義助重集敗軍事
義貞の首懸獄門事付勾当内侍の事
奥州下向勢逢難風事
結城入道堕地獄事

巻第二十一
天下時勢粧の事
佐渡判官入道流刑の事
法勝寺の塔炎上の事
先帝崩御の事
南帝受禅の事
任遺勅被成綸旨事義助攻落黒丸城事

巻第二十二
作々木信胤成宮方事
義助予州下向の事
義助朝臣病死の事付鞆軍の事
大館左馬助討死の事付篠塚勇力の事

巻第二十三
大森彦七事
就直義病悩上皇御願書の事
土岐頼遠参合御幸致狼籍事付雲客下車事

巻第二十四
三宅・荻野謀反の付壬生地蔵の事

巻第二十五
持明院殿御即位事付仙洞事

自伊勢進宝剣事黄粱夢事
住吉合戦の事

巻第二十六
正行参吉野事

巻第二十七
右兵衛佐直冬鎮西没落事
左馬頭義詮上洛事
直義朝臣隠遁の事付玄慧法印末期の事
上杉畠山流罪死刑の事
大嘗会の事

巻第二十八
義詮朝臣御政務事
太宰少弐奉聟直冬事
三角入道謀反事
直冬朝臣蜂起の事付将軍御進発の事

巻第二十九
宮方京攻事
将軍上洛事付阿保秋山河原軍事
将軍親子御退失事付井原石窟事
越後守自石見引返事
光明寺合戦の事付師直怪異の事
小清水合戦の事付瑞夢の事
松岡の城周章の事
師直師泰出家事付薬師寺遁世事
師冬自害事付諏方五郎事
師直以下被誅事付仁義血気勇者の事

巻第三十
将軍御兄弟和睦事付天狗勢汰事
高倉殿京都退去の事付殷紂王の事
直義追罰の宣旨御使の事付鴨社鳴動の事
薩多山合戦の事
慧源禅門逝去の事
吉野殿与相公羽林御和睦の事付住吉松折事
相公江州落事
持明院殿吉野遷幸事付梶井宮事

巻第三十一
新田起義兵事
武蔵野合戦の事
鎌倉合戦の事
笛吹峠軍の事
八幡合戦事付官軍夜討の事
南帝八幡御退失の事

巻第三十二
茨宮御位事

山名右衛門佐為敵事付武蔵将監自害の事
主上義詮没落事付佐々木秀綱討死事
山名伊豆守時氏京落事
直冬与吉野殿合体事付天竺震旦物語事

巻第三十三
京軍事
八幡御託宣の事

将軍御逝去事
新待賢門院並梶井宮御隠事
崇徳院御事
菊池合戦事
新田左兵衛佐義興自害事

巻第三十四
宰相中将殿賜将軍宣旨事

龍泉寺軍の事

巻第三十五
新将軍帰洛の事付擬討仁木義長事

北野通夜物語の事付青砥左衛門事

巻第三十六
仁木京兆参南方事付大神宮御託宣事
大地震並夏雪事
天王寺造営事付京都御祈祷事
山名伊豆守落美作城事付菊池軍事
秀詮兄弟討死事
清氏反逆事付相摸守子息元服事
頓宮心替事付畠山道誓事

巻第三十七
清氏正儀寄京事
新将軍京落事
南方官軍落都事
持明院新帝自江州還幸事付相州渡四国事
可立大将事付漢楚立義帝事
尾張左衛門佐遁世事
身子声聞一角仙人志賀寺上人事
畠山入道道誓謀反事付楊国忠事

巻第三十八
彗星客星事付湖水乾事
諸国宮方蜂起事付越中軍事
九州探題下向事付李将軍陣中禁女事
菊池大友軍の事
畠山兄弟修禅寺城楯篭事付遊佐入道事
細川相摸守討死事付西長尾軍事
和田楠与箕浦次郎左衛門軍の事
大元軍事

巻第三十九
大内介降参事
山名京兆被参御方事
仁木京兆降参事
芳賀兵衛入道軍事

光厳院禅定法皇行脚事
法皇御葬礼事

巻第四十
中殿御会事
左馬頭基氏逝去事
南禅寺与三井寺確執事
最勝講之時闘諍に及ぶ事
将軍薨逝の事
細川右馬頭自西国上洛の事
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# by santalab | 2017-06-28 08:10 | 太平記 | Comments(0)

    

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