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カテゴリ:滝口入道( 145 )



滝口入道

花宴横笛時頼恋淵夢路恋闇鴆毒溜涙定業義絶暇乞託命無常遁世憂身罪作残月女心空蝉一念登科恋塚夢幻興亡火炎灰塵形見旅人高野報恩懺悔男泣散花
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by santalab | 2014-03-07 23:16 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」散花(その6)

ああこれ、恋に望み失ひて、世を捨てし身の世に捨てられず、主家の運命を影に負うて二十六年を盛衰の波に漂はせし、斎藤滝口時頼ときよりが、まこと浮世の最期なりけり。




ああこれが、恋に希望を失って、世を捨てて仏門に入った身でありながら世に捨てられることもなく、主家の運命を背に負って我が身二十六年間を平家盛衰の波間に漂わせた、斎藤滝口時頼(斎藤時頼)の、この世の最期でした。


(終)


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by santalab | 2014-03-07 23:14 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」散花(その5)

次の日の朝、和歌の浦の漁夫ぎよふ、磯辺に来て見れば、松の根元に腹掻き切りて死せる一個の僧あり。さすがけがすに忍びでや、墨染の衣は傍らの松枝まつがえに打ち掛けて、身に纏へるは練り布の白衣、脚下に綿津見わたつみの淵を置きて、刀持つ手に毛ほどの筋の乱れも見せず、血汐の糊にまみれたる朱溝しゆみぞの鞘巻逆手に握りて、膝も崩さず端坐せる姿は、いずれ名ある武士の果てならん。




次の日の朝、和歌の浦(今の和歌山県和歌山市)の漁師が、磯辺に出てみると、松の根元で腹を掻き切って息絶えた一人の僧がいました。さすがに血で汚すのは憚れたのか、僧衣はそばの松の枝に掛けて、身に纏っていたのは練り布の白衣で、足元を海に向けて、刀を持つ手にはほんのわずかに躊躇したところもなく、体から流れ出た血糊でまみれた刀を逆手に握って、膝をくずさずに正座する姿は、きっと名のある武士の果てに違いありませんでした。


続く


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by santalab | 2014-03-07 23:10 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」散花(その4)

路傍の家に維盛これもり卿が事それとなしに尋ぬれば、狩衣着し侍二人、麓の方に下りしは早や程過ぎし前の事なりと答ふるに、いよいよ足を速め、走るが如く山を下りて、路すがら人に問へば、尋ぬる人は和歌の浦指して急ぎ行きしと言ふ。滝口胸いよいよとどろき、気も半ば乱れて飛ぶが如く浜辺を指して走り行く。雲にそびえる高野の山よりは、眼下に見下ろす和歌の浦も、歩めば遠き十里のさと路、元より一刻半の途ならず。日は既に暮れ果てて、おぼろげながら照り渡る弥生やよひ半ばの春の夜の月、天地を差す青紗せいしやの幕は、雲か煙か、はた霞か、風雅のすさびならで、生死の境ひに争へる身のげに一刻千金の夕べかな。夢路を辿る心地して、滝口は夜もすがら馳せてやうやく着ける和歌の浦。見渡せば海原うなばら遠く煙籠めて、月影ならで物もなく、浜千鳥声絶えて、浦吹く風に音澄める磯馴そなれ松、波の響きのみいと冴えたり。入りにし人の跡もやと、ここかしこ彷徨さまよへば、とある岸辺の大きなる松の幹を削りて、夜目にもしるき数行の文字。月の光に立ち寄り見れば、「南無三宝」。「祖父太政大臣平朝臣清盛公法名浄海じやうかい、親父小松内大臣左大将重盛しげもり公法名浄蓮じやうれん、三位中将維盛盛年二十七歳、寿永じゆえい三年三月十八日和歌の浦に入水じゆすゐす、従者ずさ足助あすけ二郎重景しげかげ二十五歳殉死す」。墨痕淋漓りんりとして乾かざれども、波静かにして水に哀れの痕も残らず。滝口は、あはやとばかり松の根元に伏しまろび、「許し給へ」と言ふも切なる涙声、哀れを返すいづこの花ぞ、行方も知らず二片三片ふたひらみひら、誘ふ春風は情けか無情か。




路傍の家に維盛卿(平維盛)のことをそれとはなしに訊ねると、狩衣を着た侍二人が、麓の方に下って行ったのはもうしばらく前のことだと答えたので、滝口(斎藤時頼ときより)はますます足を速めて、走るように山を下りて、路すがらの人に訊ねねました、尋ね人は和歌の浦(今の和歌山市南部の海岸)を目指して急いでいたと答えました。滝口はますます胸騒ぎを覚え、正気も半ば失って飛ぶように浜辺を指して走りました。雲にそびえる高野山からは、眼下に見下ろせる和歌の浦でしたが、歩けば遠い十里(約40km)の道のり、一刻半(小一時間)の間に着くような所ではありませんでした。日はすでにすっかり暮れて、おぼろ月が空を照らしていた弥生([陰暦三月])半ばの春の夜のことでした、月が照らす青紗([青色の薄衣])の幕は、雲か煙か、それとも霞かと、風雅([みやびな趣])のすさび([興])と見る余裕もなく、生死の境を争ってわずか一時も惜しむ夜でした。滝口は夢路を辿るような心地で、夜通し走ってやっと和歌の浦にたどり着きました。見渡すと海原遠くに水煙が立ち込めて、月の光のほかに何もありませんでした。浜千鳥の声も絶えて、浦を吹く風に音を立てる磯馴れ松([潮風のために傾いて生えている松])と、波の音だけが聞こえるばかりでした。二人(平維盛と足助重景)が訪ねた跡を探して、あちらこちらとさまよい歩くと、とある岸辺の大きな松の幹を削って、夜目にもはっきりと分かる数行の文字がありました。月の光を頼りに近付いて見て、「ああ遅かったか」。「祖父太政大臣平朝臣清盛公法名浄海、親父小松内大臣左大将重盛公法名浄蓮、三位中将維盛盛年二十七歳、寿永(1184)三年三月十八日和歌の浦にて入水す、従者足助二郎重景二十五歳殉死す」と書かれてありました。墨の跡淋漓([水・汗・血などが、したたり流れるさま])としてまだ乾いていませんでしたが、波は静かで水に悲しみの痕も残っていませんでした。滝口は、ああしまったとばかり松の根元に倒れ込んで、「お許しくださいませ」と思いを切にして涙声で口走りました、まるで悲しみの返事を返すかのようにどこから飛んで来た花なのでしょうか、行方も知らず二片三片と、さまよっていたのは情けそれとも無情の春風だったのでしょうか。


続く


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by santalab | 2014-03-07 23:08 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」散花(その3)

哀れ、御身を落ち葉と観じ給ひて元の枝をば屋島とは見給ひけん、入りにし跡をいづことも知らせぬ浜千鳥、潮干しほひの磯に何を尋ねよとや。―さてはとばかり滝口は、折り紙のおもてを見つめつつしばし茫然として居たりしが、何思ひけん、あらかじめ秘蔵せし昔の名残りの小鍛冶こかぢ鞘巻さやまき、慌ただしく取り出だして衣の袖に隠し持ち、麓の方に急ぎける。




ああ、御身を落ち葉と見て元の枝を屋島(今の香川県高松市)だと思ったのでしょうか、入った跡をどことも知らせぬ浜千鳥のように、潮干([潮を引いて現れた砂浜])の磯に何を尋ねよと言うのでしょうか。―どういう意味かと滝口(斎藤時頼ときより)は、折り紙([鳥の子紙])の面を見つめてしばらく茫然としていましたが、何を感じたのか、前もって秘蔵していた昔の名残りの小鍛冶([名刀])の鞘巻き([腰刀])を、急ぎ取り出して僧衣の袖に隠し持ち、麓を目指して急ぎました。


続く


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by santalab | 2014-03-07 22:59 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」散花(その2)

松杉暗き山中なれば、傾き易き夕日の影、はや今日の春も暮れなんず。姿ばかりは墨染めにして、君が行方をけはしき山路に思ひ比べつ、谷間の泉を閼伽桶あかをけに汲み取りて立ち帰る滝口入道、いほりの中を見れば、維盛これもり卿も重景しげかげも、いづこに行きしか、影もなし。さては我がいさめを入れ給ひて屋島に帰られしか、さるにても一言の御知らせなきいぶかしさよ。あたりを見廻せばふと目にとまる経机の上にある薄色の折り紙、取り上げ見れば維盛卿の筆と思しく、水茎みづぐきの跡鮮やかに走り書きせる二首の和歌、

かへるべき 梢はあれど いかにせん 風を命の 身にしあなれば

浜千鳥 入りしに跡を しらせねば 潮の乾る間に 尋ねてもみよ




松杉暗い山中でしたので、日が暮れるのも早く夕陽の光は、すでに今日の春も暮れようとしているようでした。滝口(斎藤時頼ときより)の姿といえば墨染めの僧衣を身に纏い、君(平維盛これもり)の将来を険しい山路に重ね合わせながら、谷間の泉を閼伽桶([仏前に供える水を汲む桶])に汲み取って帰ったところでした、庵の中を見ると、維新卿も重景(足助あすけ重景)も、どこへ行ったのか、姿はありませんでした。さては滝口の諌めを聞き入れて屋島(今の香川県高松市)に帰られたのかと思いましたが、それにしても一言の知らせもないのが気がかりでした。滝口があたりを見回すとふと経机の上にある薄色の折り紙([鳥の子紙]=[上質の和紙])に目がとまりました、取り上げて見れば維盛卿が書いたと思われて、筆の跡美しく走り書きした二首の和歌がありました。

帰る所はあっても、今さらどうしようもないのだ。ただ風に身を任せるだけの、枯れ葉のような我が身なのだから。

浜千鳥は立ち入った跡を残さないもの。もし知りたければ、潮が引いた間に、訪ねてみるがよかろう。


続く


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by santalab | 2014-03-07 22:53 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」散花(その1)

夜もすがら恩義と情けのちまたに立ちて、いづれをそれと定めかねし滝口が思ひ極めたる直諫ちよくかんに、さすがに御身の上を恥じらひ給ひてや、言葉もなく一間に入りし維盛これもり卿、ああ思へば君が馬前の水つぎ取りて、「大儀ぞ」の一声をこの上なき誉れと人も思ひ我も誇りし日もありしに、如何に末の世とは言ひながら、露忍ぶ木陰もなく彷徨さまよひ給へる今の痛はしきに、こころよき一夜の宿もとくせず、目のあたり主を恥ぢしめて、忠義顔なる我はそも如何なる因果ぞや。末望みなき落人故のこのつれなさと我を恨み給はんことのうたてさよ。あはれ故内府在天の霊も照覧あれ、血を吐くばかりの滝口が胸の思ひ、いささか二十余年の御恩に報ゆるの寸志にて候ふぞや。




夜通し重盛(平重盛しげもり)への恩義と維盛(平重盛の嫡男、維盛これもり)への情けの間で滝口(斎藤時頼ときより)の心は揺れ動いて、どちらを取るとも決めかねたあげく決心して維盛に直諫([遠慮することなく率直に目上の人を、いさめること])申し上げましたが、さすがに身の上を恥じてか、維盛は言葉もなく一間に入りました、ああ思い起こせば君(維盛)の馬前の水を注いで、「ご苦労であった」の一言をこの上ない名誉と人も思い我も誇りに思った日もありましたが、いくら世末とは言え、露を凌ぐ木陰もなくさまよう維盛の今の有様を不憫に思いながらも、心地よい一夜の宿を提供することもできず、面と向かって主であるはずの維盛をはずかしめて、忠義顔([いかにも忠義であるようなふりをすること])をする我にはいったいどのような因果([前に行った善悪の行為が、それに対応した結果となって現れること])があるというのでしょうか。行く末に望みもない落人だからこそつれなくされるのだとわたしを恨まれることだろうと思えばつらくなる滝口でした。ああ故内府(重盛)の天にまします御霊もきっと見ておられることでしょう、血を吐かんばかりの滝口の苦しい胸の思いは、多少とも二十年余りの重盛の恩に報いるわずかばかりの寸志([心ざし])でした。


続く


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by santalab | 2014-03-07 22:44 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」男泣(その5)

まず、はばからず、涙ながらにいさむる滝口入道。維盛これもり卿は至極の道理に面目なげに差しうつぶき、狩衣の御袖を絞りかねしが、言葉もなく、つと次の室に立ち入り給ふ。後見送りて滝口は、そのままがばと伏して男泣きに泣き沈みぬ。




避けることなく、気がねすることなく、涙ながらに諫言する滝口入道(斎藤時頼ときより)でした。維盛卿(平維盛)は至極当然の道理に面目なさそうにうつむいたまま、狩衣の袖を絞ることさえままなりませんでしたが、言葉もなく、不意にとなりの部屋に入っていきました。滝口は維盛の後ろを見送ると、そのまま倒れ込んで男泣きに泣きました。


続く


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by santalab | 2014-03-07 22:37 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」男泣(その4)

滝口は黙然として居たりしが、しばらくありてきつとおもてを上げ、襟を正して維盛これもりが前にうやうやしく両手をつき、「さほど先君の事御心に掛けさせ給ふ程ならば、何とてかかる落人にはならせ給ひしぞ」。意外の一言に維盛卿は膝押し進めて、「何と言ふ」。「御驚きはさることながら、御身のため、また御一門のため、御恨みの程を身一つに忍びて滝口が申し上ぐる事、一通り御聞きあれ。そも君は正しく平家の嫡流にておはさずや。今や御一門の方々屋島の浦に在りて、生死を一つにし、存亡を共にして、回復の事叶はぬまでも、押し寄する源氏に最後の一矢を報いんと日夜肝胆かんたんを砕かるること申すも中々の殊に候へ。そも寿永じゆえいの初め、指す敵の旗影も見で都を落ちさせ給ひしさへ平家末代の恥辱なるに、せめてこの上は、一門の将士、御座船ござぶね枕にしてしかばねを西海の波に浮かべてこそ、あっぱれ名門の最後、いさぎよしとこそ申すべけれ。さるを君には宗族故旧そうぞくこきう波濤はたうの上に振り棄てて、妻子の情に迷はせられ、かく見苦しき落人にならせ給ひしぞ心外千万なる。明日にも屋島没落の暁に、御一門残らず雄々しき最後を遂げ給ひけん時、君一人は如何にならせ給ふ御心に候ふや。もしまた関東の手に捕はれ給ふ事のあらんには、君こそは妻子の愛に一門の義を捨てて、死すべき命を卑怯にも逃れ給ひしと世の口々にあざけられて、京鎌倉に立つ浮名をば君には風やいづこと聞き給はんずる御心に候ふや。申すもおそれある事ながら、御父重盛しげもり卿は智仁勇の三徳をそなへられし古今の明器。敵も味方も共に敬慕する所なるに、君にはその正嫡と生まれ給ひて、先君の誉れを傷つけん事、口惜しくは思さずや。本三位の卿の虜となりて京鎌倉に恥をさらせしこと、君には口惜しう見え給ふほどならば、何とて無官の大夫が健気けなげなる討ち死にを誉れとは思ひ給はぬ。あはれ君、先君の御事、一門の恥辱となる由を思ひ給はば、願はくは一刻も早く屋島に帰り給へ、滝口、君を宿し参さする庵も候はず。ああかくつれなくもてなし参らするも、故内府が御恩の万分の一に答へん滝口が微衷びちゆうせんずる所、君の御ためを思へばなり。御恨みのほどもさこそと思ひ遣らるれども、今は言ひ解かんすべもなし。何事も申さず、ただただ屋島に帰らせ給ひ、御一門と生死を共にし給へ」。




滝口(斎藤時頼ときより)は黙って聞いていましたが、しばらくして険しい表情で顔を上げ、襟を正して維盛(平維盛)の前で礼儀正しく両手をついて、「それほどまでに先君(維盛の父、平重盛しげもり)のことをご心配なさるのであれば、どうして今このような落人になられたのですか」と言いました。意外な一言に維盛京は体を乗り出して、「何を申すか」と言いました。滝口は「驚かれるのはもっともですが、あなたのため、また平家一門のため、恨みは我が身一つに置いて滝口が申し上げることを、一通りお聞きくださいませ。そもそもあなたは正しく平家の嫡流ではございませんか。今や平家一門の方々は屋島の浦(今の香川県高松市)にあって、生死を一つにし、存亡を共にして、名誉回復までは叶わないとしても、押し寄せる源氏に最後の一矢を報いようと日夜全力を尽くしておられますのはりっぱなことでございます。そもそも寿永の初めに、敵の旗印も見ないで都を逃れたことも平家末代までの恥でありますが、せめてこうなった上は、平家一門の将士([将軍と兵卒])と共に、御座船([将軍が乗る船])を枕に屍を西海の波に浮かべてこそ、りっぱな平家一門の最後、潔いことだと申し上げておるのでございます。それなのに君(維盛)が宗族([一門])故旧([古くからの家来])を波濤([大波])の上に振り棄てて、妻子の情に心惑わされ、こうして見苦しい落人になられるとはまったく思いも寄らなかったことでございます、明日にも屋島が没落し、平家一門の方々は一人残らずりっぱな最後を遂げるやもしれません、あなた一人だけ生き残ってどうするおつもりなのでございましょう。もしまた関東の手にかかって捕えられれば、あなたが妻子の愛に平家一門の義理を捨てて、死ぬべき命を非常にも逃れたのだと世の者たちに口々に嘲られて、京鎌倉に浮名を立てることになられてもあなたはどこ吹く風と聞き流すおつもりですか。申すも恐れ多いことですが、あなたの父重盛卿は智仁勇([儒教でもっとも基本的な三つの徳])が具わった古今における優者でございました。敵も味方も共に敬慕する人でございましたが、あなたはその正嫡と生まれて、先君(重盛)の名誉を傷つけることを、悔しく思わないのですか。本三位の卿(清盛の五男、平重衡しげひら)が捕虜となって京鎌倉に恥を晒されたことを、あなたが悔しく思うのならば、どうして無官の大夫が健気に討ち死にするのを名誉とは思わないのですか。維盛殿よ、先君のことを思い、平家一門の恥となるとお考えになるのなら、願わくは一刻も早く屋島にお帰りなさいませ、わたしには、あなたをお泊めする庵はございません。ああこうして情のないもてなしをするのも、故内府(内大臣重盛)のご恩の万分の一でもこたえる微衷([まごころ])からでございます、申し替えれば、あなたのためを思ってのことではございません。さぞやお恨みのこととは存じ上げますが、今は弁解するつもりもございません。何も申さず、ただただ屋島にお帰りなさいませ。平家一門と生死を共にするべきでございます」と言いました。


続く


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by santalab | 2014-03-07 22:34 | 滝口入道 | Comments(0)


「滝口入道」男泣(その3)

やがて看経かんきん終はりて後、維盛これもり卿は滝口に向かひ、「さても殊勝の事を見るものよ、今広き日の本に、浄蓮じようれん大禅門の御霊位を設けて、朝夕の回向えかうをなさん者、滝口、そちならで他にその人ありとも思えざるぞ。思へば先君の被官内人、幾百人とその数を知らざりしが、世の盛衰につれて、多くは身を浮き草の西東、元の主人に弓引く者さへある中に、世を捨ててさへ昔を忘れぬそちが殊勝さよ。これには反して、世に落人の見る影もなき今の我が身、草葉の陰より先君のさぞかし不甲斐なき者と思ひ給はん。世に望みなき維盛が心にかかるはこの事一つ」。言いつつ涙をぬぐひ給ふ。




やがて看経([読経])が終わり、維盛卿(平維盛)は滝口(斉藤時頼ときより)に向かって、「それにしても感心なことよ、今この広い日本で、浄蓮(維盛の父重盛しげもりの法名)大禅門の位牌を置いて、朝夕の回向([死者の成仏を願って仏事供養をすること])をする者は、滝口、お主の他にいるとは思えない。思い起こせば先君(重盛)の被官([家来])内人([天皇から賜った召使いの童])は、幾百人とその数は知れないが、世の盛衰とともに、多くは身を浮き草のように西東へ逃れ、元の主人に弓矢を引く者さえあるというのに、お主は世を遁れてさえも昔を忘れぬとは感心なことだ。それにつけても、浮世に落人となってかつてを見る影もない今の我が身ぞ、草葉の陰([あの世])から先君もさぞかし不甲斐ないと嘆いておられるこどだろう。浮世に望みをなくした維盛(平維盛)が心配するのはこの事一つだけだ」と言いました。維盛はこう言いつつ涙を拭うのでした。


続く


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by santalab | 2014-03-07 22:21 | 滝口入道 | Comments(0)

    

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