Santa Lab's Blog


カテゴリ:曽我物語( 729 )



「曽我物語」館回りの事(その15)

五朗ごらう、兄を待ち兼ねて、心許なくして、佇みけるところへ、十郎じふらう来たりて、「如何に待ちどほなるらん」。五朗聞きて、「らぬだに、人を待つは悲しきに、愚かにや思し召す」。「祐成すけなりも、さ存ずるを、かたき左衛門さゑもんやかたへ呼び入れられ、酒をこそ呑みたりつれ」。「さて、如何にさうらひける。便宜びんぎ悪しく候ひけるか」。「言ふにや及ぶ。乱舞らつぶ折節をりふしあはれと思ひしかども、御分一所にこそと存じて、こらへつる心ざし、推し量り給へ」。五朗も聞きて、「御淵はる事にてさうらへども、これほど寄り付かずして、心を尽くす。便宜よく候はば、御討ち候ふべきものを。さりながら、一太刀づつともどもに斬りたく候ふぞかし。そのやかたの次第、道すがらの様、御覧じ候ひけるにや」。




五朗(曽我時致ときむね)は、兄(曽我祐成すけなり)を待ち兼ね、心配しながら、外で待っていました、そこへ十郎が戻って来て、「待たせたな」。五朗はこれを聞いて、「そうでなくとも、人を待つのはつらいものです、どれほど心配したことでしょう」。「祐成も、そう思っておったが、敵の左衛門(工藤祐経すけつね)の館に呼び入れられて、酒を呑んでおったのだ」。「どうしてその時、討たなかったのです。都合悪くございましたか」。「そう思ってはいたが。乱舞しながら、どれほど悔しい思いをしたことか、だがそなたと共にと思い、堪えていたのだ、分かってくれ」。五朗(時致)も聞いて、「さぞや心苦しいことでございましたでしょう([淵]=[容易に 抜け出られない苦しい境遇])、今まで近寄ることもできずに、どうすればよいものかと思案に暮れておられたのです。よい機会なれば、討たれるのも当然のこと。とは言え、わたしも兄(祐成)とともに一太刀ずつ斬りたいと思っております。館の中、あたりの様子は、ご覧になられましたか」。


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by santalab | 2015-12-11 09:22 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」館回りの事(その14)

十郎じふらう、かく言ふを立ち聞きて、すなはち、やかたへの内に走り入り、如何にもならばやと思ひしかども、五朗ごらうに憂き身のしまれて、ただ空しくてかへりける、心の内こそ、無慙なれ。そもそも、只今の言葉ども、よくよく思へば、ただ王藤内わうとうないが言はする言葉なり。今夜は、落ちば落とさんと思ひつれども、今の言葉の奇怪きくわいなれば、一の太刀には左衛門さゑもん、二の太刀には王藤内と思ひ定めて、館よりこそかへりけれ。




十郎(曽我祐成すけなり)は、工藤祐経すけつねが話すのを立ち聞いて、すぐさま、館の内に走り入り、いかにもなれと思いましたが、五朗(曽我時致ときむね)のことを思えば命が惜しまれて、そのまま帰る、心の内は、悔しくてたまりませんでした。そもそも、今の言葉を、よくよく思へば、王藤内(王藤内隆盛たかもり)が言わせたようなもの。今夜、王藤内が逃げるのなら放っておこうと思っていましたが、今の言葉は許せませんでした、一の太刀で左衛門(工藤祐経すけつね)、二の太刀には王藤内と心に決めて、館より帰りました。


続く


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by santalab | 2015-12-10 07:45 | 曽我物語 | Comments(0)


曽我物語

巻第一
神代の始まりの事
惟喬・惟仁の位争ひの事
伊東を調伏する事
同じく伊東が死する事
伊東の次郎と祐経が争論の事
佐殿、伊東の館にまします事
大見・八幡が伊東狙ひし事
杵臼・程嬰が事
奥野の狩りの事
同じく相撲の事
費長房が事
河津が討たれし事
御房が生まるる事
女房、曽我へ移る事

巻第二
大見・八幡を討つ事
泰山府君の事
頼朝、伊東におはせし事
若君の御事
王昭君が事
玄宗皇帝の事
頼朝、伊東を出で給ふ事
頼朝、北条へ出で給ふ事
時政が娘の事
橘の事
兼隆聟に取る事
盛長が夢見の事
景信が夢合はせ事
酒の事
頼朝謀反の事
兼隆が討たるる事
伊東が斬らるる事
奈良の勤操僧正の事
祐清、京へ上る事
鎌倉の家の事
八幡大菩薩の事

巻第三
九月名月に出でて、一萬・筥王、父の事歎く事
兄弟を母の制せし事
源太、兄弟召しの御使ひに行きし事
母歎きし事
祐信、兄弟連れて、鎌倉へ行きし事
由比の水際へ引き出だされし事
人々、君へ参りて、請ひ申さるる事
畠山の重忠請ひ許さるる事
臣下ちやうしが事
曽我へ連れて帰り、喜びし事

巻第四
十郎元服の事
筥王、箱根へ上る事
鎌倉殿、箱根御参詣の事
筥王、祐経にあひし事
眉間尺が事
筥王、曽我へ下りし事
筥王が元服の事
母の勘当蒙る事
小二郎語らひ得ざる事
大磯の虎思ひ染むる事
平六兵衛が喧嘩の事
三浦の片貝が事
虎を具して、曽我へ行きし事

巻第五
浅間の御狩の事
五朗と源太と喧嘩の事
三原野の御狩の事
那須野の御狩の事
朝妻狩座の事
帝釈・修羅王戦ひの事
三浦の与一を頼みし事
五朗、女に情け懸けし事
巣父・許由が事
貞女が事
鴛鴦の剣羽の事
五朗が情け懸けし女出家の事
呉越の戦ひの事
鴬・蛙の歌の事

巻第六
大磯の盃論の事
弁才天の御事
曽我にて虎が名残り惜しみし事
山彦山にての事
比叡山の始まりの事
仏性国の雨の事
嵯峨の釈迦作り奉りし事

巻第七
千草の花見し事
斑足王が事
勘当許す事
李将軍が事
三井寺大師の事
鞠子川の事
二宮の太郎に会ひし事
矢立の杉の事

巻第八
箱根にて暇乞の事
三嶋にて笠懸射し事
富士野の狩場への事
館回りの事

巻第九
和田の館へ行きし事
兄弟館を替ゆる事
曽我へ文書きし事
鬼王・道三郎帰りし事
悉達太子の事
館館にて咎められし事
波斯匿王の事
祐経、館を変へし事
祐経に止め刺す事
十番斬りの事
十郎が討ち死にの事
五朗召し捕らるる事

巻第十
五朗御前へ召し出され、聞こし召し問はるる事
犬房が事
五朗が斬らるる事
伊豆の二郎が流されし事
鬼王・道三郎が曽我へ帰りし事
同じくかの者ども遁世の事
曽我にて追善の事
禅師法師が自害の事
京の小二郎が死する事
三浦の与一が出家の事

巻第十一
虎が曽我へ来たる事
母、箱根へ上りし事
鬼の子取らるる事
箱根にて仏事の事
貧女が一燈の事
菅丞相の事
兄弟、神に祝はるる事

巻第十二
虎、箱根にて暇乞ひして、行き別れし事
井出の館の跡見し事
手越の少将に会ひし事
少将出家の事
虎と少将、法然に会ひし事
虎、大磯に取り籠りし事
二宮の姉、大磯へ尋ね行きし事
虎出で合ひ、呼び入れし事
少将法門の事
母、二宮行き別れし事
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by santalab | 2015-12-09 09:02 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その37)

日暮れ、君、井出ゐでやかたへ入り給ひしかば、国々の大名だいみやう小名せうみやう、御供してぞかへりける。曽我の兄弟きやうだいも、人並々に、柴のいほりへぞ帰りける。




日暮れに、君(源頼朝)は、井出の館(現静岡県富士宮市)に戻りました、国々の大名・小名も、供をして帰りました。曽我兄弟(曽我祐成すけなり時致ときむね)も、人とともに、柴の庵([粗末な家])に帰りました。


続く


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by santalab | 2015-12-09 08:59 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その34)

重忠しげただおほせけるは、「『命を養ふ者は、病ひの先に薬を求め、代ををさむる者は、乱れの先に賢を習ふ』と、さんふろんに見えたり。それまでこそなくとも、斯様かやう似非者えせものを近く召し使ひて、すゑの世いかが」とぞ仰せける。




重忠(畠山重忠)が申すには、「『命を大切にする者は、病いになる前に薬を求め、時代を治める者は、乱れぬ先に徳を学ぶ』と、さんふろん(『潜夫論』。後漢末の儒者王符の著書)に見える。それほどでなくとも、あのような(梶原景季かげすゑ)のような似非者([つまらない者])を近く召し使えば、末の世はどうなることか」と申しました。


続く


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by santalab | 2015-12-06 08:42 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その33)

折節をりふし梶原かじはら源太げんだ左衛門さゑもんが近う控へたりしが、「何事にや、曽我の殿ばらに、『まだしきに色付く』と詠じ給ふは、心得ず」。重忠しげただ聞きて、「夏山にゆふ日影の残る、風情、初紅葉はつもみぢに似ずや。この夕暮ゆふぐれこそ、なほも移り行かば、まこと秋にや成り行かん」。源太は、なほも言葉ありがほなりしを、君より急ぎ召されしかば、駆けとほるとて、「重忠の御歌の不審残りて」と言ひながら、馳せ付きければ、人々聞きて、「今に始めぬ梶原が和讒わざんとは言ひながら、殊に掛かりて見えぬるをや」とまうし合ひける。




ちょうど、梶原源太左衛門(梶原景季かげすゑ)が近くにいましたが、「気になることよ、曽我の殿どもに、『もう色付いたか』と詠むは、どういうことであろうか」。重忠(畠山重忠)はこれを聞いて、「夏山に夕日が残る、風情は、初紅葉に似てはおらぬか。この夕暮れが、時を移して、まことの秋になるのだろう」。源太は、なおも何か言いたそうでしたが、君(源頼朝)より急ぎ呼ばれたので、急ぎ参ると申して、「重忠の歌が妙に気に掛かるが」と言いながら、急ぎ追いかけました、人々はこれを聞いて、「今に始まる梶原(景季)の和讒([一方で親しみ、他方で悪く言うこと])とは言え、ことさら突っかかっていたように思える」と噂しました。


続く


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by santalab | 2015-12-05 08:51 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その32)

その後は、人々如何に見るらんとて、十郎じふらう駆くれば、五朗ごらう控へ、五朗行けば、十郎止まり、余所目をも包みけりは、時移り、事延び行きければ、その日も、既に暮れなんとす。畠山殿は、程近くましませば、兄弟きやうだいの有様をつくづくと御覧じて、今まで本意を遂げぬぞや、あはれ、平家の御代と思はば、などか矢一つとぶらはざらん。たう君の御代には、斯様かやうの事も適はず、重忠しげただも、若き子どもを持ちぬれば、人のうへとも思はずして、まこと無慙に思えたり。梶原かぢはら触れぢやうには、明日、鎌倉へ入らせ給ふべきなれば、今宵こよひ、討たでは叶ふまじ、この由知らせんと思ひ給へども、人々数多あまたありければ、歌にてぞとぶらひ給ひける。

まだしきに 色づく山の 紅葉かな この夕暮れを 待ちて見よかし

と眺め給ひて、涙ぐみ給ひけり。




その後は、人々が怪しむのではないかと、十郎(曽我祐成すけなり)が駆ければ、五朗(曽我時致ときむね)は立ち止まり、五朗が進めば、十郎は止まり、余所目を気に掛けているうちに、時は移り、事は遅々として進まず、その日も、すで暮れようとしていました。畠山殿(畠山重忠しげただ)は、ほど近くにいましたので、兄弟(曽我祐成すけなり時致ときむね)の様子を見て、今まで本意を遂げることがなかったことが、哀れよ、平家の御代であれば、どうして矢の一つも射掛けぬことがあろう。当君(源頼朝)の時代では、そのようなまねもできまい、この重忠も、若き子どもを持っておれば、とても他人事とは思えず、不憫でならない。梶原(梶原景季かげすゑ)の触れ状([触れ知らせる書状。連名の宛名で順番に回覧させる文書])では、明日は、鎌倉へ戻られるということだ、今夜、討たなくば無駄足で終わることであろう、このことを知らせたいと思うが、まわりに人々が多くいるので、歌で知らせようと思いました。

まだ秋だとは思っておらぬであろうが、時はすでに夏の終わりよ。この夕暮れを待つのがよかろう。

と夕日を眺めて、涙ぐみました。


続く


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by santalab | 2015-12-04 07:18 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その31)

十郎じふらう、これを聞きて、「暫く待ち給へ。それ泰山たいざんらいは、石を穿うがつ。うんてくのつるべのなわは、いげたを断つ。みづは、石鑽いしのみにあらず。なはは、木ののこぎりにあらず。せんひのしからしむるところなり。ただ心こころを延べて、功を積み給へ。今宵こよひは命を待ち給へ」とて、馬引き寄せ打ち乗りけり。




十郎(曽我祐成すけなり)は、これを聞いて、「しばらく待たれよ。泰山(山東省泰安市にある山。道教の聖地である五つの山=五岳の一。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる)の霤([雨垂れ])は、石を穿つ(『泰山の霤石を穿つ』)。うんてく(殫極たんごく=使い古した)のつるべの縄は、幹をも断つと申す。水は、石を穿つ鑽ではない。縄は、木を切る鋸でもない。せんひ(枚叔ばいしゆく章炳麟しようへいりん。中国、清末民国初の学者、革命家)が諭すところぞ。ただ今は機を待ち、功を積まれよ。今夜は命を継がれよ」と申して、馬を引き寄せ打ち乗りました。


続く


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by santalab | 2015-12-03 07:29 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その30)

この隙に、かたきは、遙かに馳せ延びぬ。鹿をも、人に射られけり。五朗ごらう、空しく引きかへし、急ぎむまより下り立つて、兄を介錯しける心の内こそ悲しけれ。「あはれ、実に我らほど、敵に縁なき者あらじ。只今は、さりともとこそ思ひしに、馬強かりせば、斯様かやうには成り行かじ。これも、ただ貧より起こる事なり。人を恨むべきにもあらず。適はぬ命永らへて、物を思はんよりも、自害して、悪霊あくりやう死霊しりやうにも成りて、本意を遂げん」とぞ悲しみける。




この隙に、敵(工藤祐経すけつね)は、遥かに去ってしまいました。鹿も、他の人に射られました。五朗(曽我時致ときむね)は、空しく引き返し、急ぎ馬から下り立ち、兄(曽我祐経すけつね)を介抱しましたが心の内は悲しいものでした。「ああ、まこと我らこそ、敵に縁のない者はありません。これで、敵を討てると思ったのに、馬が強ければ、しくじることはなかったでしょう。これも、貧しさ故のこと。人を恨んだところで仕方ありません。望み叶わぬ命を永らえて、悲しい思いをするよりも、自害して、悪霊死霊ともなり、本意を遂げた方がましです」と申して悲しみました。


続く


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by santalab | 2015-12-02 07:46 | 曽我物語 | Comments(0)


「曽我物語」富士野の狩場への事(その29)

五朗ごらうも、同じく中差し取りて番ひ、左衛門さゑもんじようが首の骨に目を懸け、大磐石だいばんじやくを重ねたりと言ふとも、などか斬つて捨てざらんと、鞭にあぶみをも見添へて、馬手めてあひ付け馳せ並べ、三つある鹿と左衛門さゑもんを真ん中に取り込め、矢先を左衛門に差し当てて、引かんとするところに、祐経がしばしの運や残りけん、祐成すけなりが乗りたる馬を、思はぬ伏し木に乗り掛けて、真逆様まつさかさまに転びけり。過たず弓の本を越して、むまかしらに下り立つたり。五朗ごらうは、これを知らずして、矢筈はづを取り立ち上がりける。兄の有様一目見て、目も暮れ、心も消えにけり。




五朗(曽我時致ときむね)も、同じく中差し([征矢])を取って番い、左衛門尉(工藤祐経すけつね)の首の骨に狙いを定め、たとえ大磐石を重ねたといえども、どうして斬って捨てることができないことがあろうかと、鞭に鐙を添えて、馬手([右手])に付けて馬を馳せ並べ、三頭の鹿と左衛門(祐経)を真ん中に取り込め、矢先を左衛門に向けて、矢を引こうとした時、祐経に少しの運が残っていたのか、祐成(曽我祐成)の乗った馬が、思わず伏し木に乗り掛けて、真逆様に転んでしまいました。祐成は弓の本を突いて、馬の頭に下り立ちました。五朗は、これに気付きませんでした、矢筈([矢の一端の弦にかける部分])を番い馬上で立ち上がりました。その時兄(祐成)の姿を一目見て、目も暮れ、気力をなくしてしまいました。


続く


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by santalab | 2015-12-01 08:23 | 曽我物語 | Comments(0)

    

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